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若松港築港関連施設群 |
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評価情報 |
北九州港に位置する洞海湾・若松港は、背後にある筑豊炭田からの石炭の積出基地として1890(明治23)年以降に開発整備され、大正期には日本最大の石炭積出港として繁栄し、日本の近代化に大きく貢献した港湾施設である。 洞海湾・若松港が整備されたことにより、筑豊炭田からの出炭量は、1890年(明治23年)の80万tから大正期には1000万tに増大し、国内シェアの約50%を占めるまでになる。 その間、洞海湾には官営八幡製鉄所が設立され、浚渫土で造成した埋立地には重化学工業を中心に多くの工場が立地するなど、日本の四大工業地帯の一角として発展し、日本経済の高度成長を支えることとなった。 (1)東海岸係船護岸(若松港石垣岸壁、石積護岸、延長約850m) 当初は防波堤として建設された石垣。1892(明治25)年から1906(明治39)年に構築され、そのうち約850mが護岸として現存する。高さ2.7m、上端幅2.7mの台形石積提体であるが、提体中心線には長さ5.4mの木杭が1.8m間隔で打設され横木で連結されている。堤体の移動や崩れを防止しているものと思われる。 (2)東海岸通護岸(石積護岸、延長約350m) 東海岸係留護岸と同時期に埋立護岸として建設された石積み提体であり、ゆるやかなカーブを描き約350m続いている。現在、護岸前面部には遊歩道が設匿され、古い石積みを正面から眺めることができる。 (3)若松南海岸物揚場(石積護岸、延長約480m) 昭和初期に石炭積出用に整備された花崗岩の切七布禎式の堤体。現在の物揚場沿いのプロムナ一ドは石張りや木製デッキ等でレ卜口調に修景されており、周囲の大正期の建物群と合わせ近代港湾都市固有の帯状の都市空間を形成している。石炭景気に沸いた若松の歴史と発展を伝えるとともに景観的にも優れた地域となっている。 (4)弁財天上陸場1) 若松南海岸通りの中ほどに位置する階段式護岸は、1917(大正6)年頃 、若松市によって建設され弁財天上陸場と呼ばれた。人々の船への乗降や荷役作業にも使用され、階段左右にある常夜灯は1922(大正10)年頃に地元の商店主等により建立されている。 (5)出入船舶見張り所跡 1931(昭和6)年に設置。1938(昭和13)年に港の運営が若松築港会社から福岡県に移管され港銭徴収が廃止されるまで、不正入港を監視するために使われた歴史的価値のある施設である。 (6)測量基準点 明治時代に使用された測量基準点であり、わかちく史料館敷地内に残されている。当該敷地は、若松港築港事業の最初期である1892(明治25)年頃に海側に張り出して埋立拡張された土地であり、以降の防波堤建設などの築港事業において見通しが確保しやすい場所であった。当時測量に使用された標石をそのまま屋外展示しており、明治の空気を感じることができる。 |
参考図表
図2 若松港築港関連施設の位置(引用:Googleマップ)
図3 洞海湾(明治18年と昭和33年の比較)
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写真1 洞海湾全景 |
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写真2 東海岸係船護岸 |
図4 防波堤石垣(東海岸係船護岸)断面図 |
写真3 東海岸通り護岸 |
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写真4 若松南海岸物揚場 |
写真5 弁財天上陸場 |
写真6 旧ごんぞう小屋 |
写真7 旧ごんぞう小屋内の展示 |
写真8 出入船舶見張り所跡 |
写真9 明治時代の測量基準点 |
[参考文献]
1) 「日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800 選[改訂版]」、土木史研究委員会編、2005
2) 「筑豊石炭鉱業会五十年史」筑豊石炭鉱業会、1935
3) 「福岡県史・通史編・近代産業経済(二)」、西日本文化協会、2000
4) 「筑豊炭田の隆盛を見届けた「若松港石積護岸」」、遠藤徹也、Civil Engineering Consultant VOL.254、2012
5) 「創生期における若松港・洞海湾の開発に関する史的研究」、田中邦博/長弘雄次、土木史研究第18号、1998
6) 「北九州市土木史」、北九州市、1998
7) 「若築建設百十年史」、若築建設、2000
8) 「若松港石炭統計書について」、今津健治、九州大学学術情報リポジトリ、1977年
9) 「若築建設七十年史」、若築建設、1960