土木学会誌11月号モニター回答

特集 インフラストラクチャーのデザイン


 今回の特集は、デザインについて多角的に特集されており、更には電車やパソコンといった分野からの寄稿も多く、全体として面白い記事だったと思う。
 私が大学4年のときに、「土木景観学」がはじめて開講された。この年になってはもはや当時の講義の内容は覚えていないが、当時ではまだ景観といった考え方はそれほど講義に取り入れられなかったせいか、ずいぶん新鮮な内容だなという印象を持っている。ただ、当時は、(後日景観の専門家から批判を受けることになる)トンネルの入り口のペイントなども話題になりはじめた頃であり、実際の現場において景観の考え方がどのように活かされるかということについては興味を持っていた。また、職場においても「港湾景観形成モデル事業」の業務にも携わったこともあり、振り返ると景観とかいう話と無縁ではなかったようだ。
 私見であるが、土木においては景観、デザインはどうしても軽視されやすいこと、そしてデザインの専門家、あるいはセンスを持った人がなかなかいないのではと感じている。センスが無い私が言うのは何だが、専門家になるのは無理にしろ、我々土木技術者も普段の生活からいろんなモノのデザインに気をつけてみたい。案外それが土木とデザインを融合させていくきっかけとなるのではなかろうか。
(国土庁 松永康司)


 シビックデザインの記事は、デザイン事例が多く掲載されており、読みやすく、かつ デザインに関する知識を向上できる内容であったと思います。また、その後のグローバルデザイン戦略(車)やJRの車両デザインについても、身近にあるものだったので、興味深く読みました。
(大林組 上垣義明)


 7月よりモニター会員として貴誌を購読するチャンスに恵まれたが、それらに共通して、広義のデザインの視点から土木計画・技術を見直そうとする意志を感じる。
 文中で印象に残ったは、デザインの「責任者=デザイナー」が曖昧なままで”デザイン”されてしまう、現状の公共空間デザインの仕組みの問題点である。経済的な追い風が無く、自力で進まなくてはいけない今の時期にこそ、腰を据えて、明快な対話を通して(可もなく不可もないデザインや、たらい回し的委員会ではなく、各々の役割分担と十分な情報交換によって)じっくりとデザインを検討していくことの重要性を感じる。
(都市計画設計研究所 平井一歩)


 この記事を読んでインフラ整備において技術面で成熟した現在においてデザインを重視していくことは重要であると感じた。よいデザインを持つ構造物あるいは、空間であれば観光資源にもなり、新たな人の移動が生じると思う。鉄道のデザインも実用的なものでなく、用途に応じたデザイン・設計を重視し、通勤用、観光用と割り切れば、旅への意欲をかき立てられる人や、自家用車ではなく鉄道で、といった新たな客層をつかむことも可能ではないかと思う。工業製品においても、同じデザインの製品ではなく多様なデザインの製品を創ることにより、特定の客層ではなく様々な客層から購入され、企業のイメージ戦略にも有効となり、機能向上にデザイン付加というのが主流となるであろう。
(鳥取大学大学院 福井伸之)


 景観を考慮する事の重要性は、今日では広く認識されている。しかし、景観を考慮することを、とても大袈裟に考えすぎたり、工事費が増加するという考えが認識されている割りには広まらない理由の様に思える。材料を特殊なものを採用したり、装飾を施すことも手法の一つかもしれないが、お金をかけずに、ちょっとした形状の変更や、配慮で景観は大きく変わるものだと思う。多くの人がもっと手軽(?)で身近な問題として捉えられるようになれば、状況は随分変わるように思える。
(JR東日本 岩田道敏)


 「インフラのデザイン、問い直すデザインシステム」にどう演繹するべきや?とクルマ、インターネット、車両と企業のデザイン戦略は、また、異なる視点の紹介で興味を引くものでしたが、最後の「競争万能主義の落とし穴」が印象的でした。
(新日本製鐵(株)木村秀雄)


 特集の意図の中で斎藤氏が指摘されているように、80年代後半から普及をみた景観・デザインではあるが、設計の現場では専門的人材の確保を得てなかったことなどのため、良質の社会基盤の整備を困難にしている面があると思う。しかし、企業にもデザイン戦略があるように、社会基盤の整備にも使用者のために、また、地域の人々が誇れるものとして後世に引き継がれていく施設としてデザインしていくことを心掛けていかなければならないと思う。このためには、岡部氏がバルセロナで建築家と土木技師の協力により都市の難題に回答を示したことを紹介されているように、また、身近な例では、宍道湖の湖岸施設の整備における建築家のデザインと地 元民の考えとの違いにみられるように、それぞれの観点の違いをうまく活かすことも、考えていくことが必要ではないかと考える。
(松江高専 裏戸 勉)


 本題とはズレますが、学会誌において教育関係者以外で他の分野の方々の記事を掲載するというのは、大変めずらしいことなのではないでしょうか。今までになく、学会誌が新鮮に感じられました。個人的にはこのような企画は大変すばらしいと思います。土木技術者にとっては他の業界の考え方を知る良い機会になりますし、土木に携わる人以外にも、学会誌に興味を持ってもらうきっかけになると思います。事実、単純な私はMacや車の写真に思わず目を引かれてしまいました。今後は公共事業の各段階において住民参加の機会が増えると思われます。学会誌が、一般の人にも興味を持って読まれるようになり、その中で、土木の分野の正しい情報や有用な情報を提供出来るようになればすばらしいと思います。今後の企画に期待いたします。
(大成建設 大矢敏雄)


 デザインや環境と、経済性や施工性などは、本来、プロジェクトの評価項目として平等に存在しなければならない。しかし、実際には、デザインや環境の検討を行う場合はどちらかといえば特殊なケースで、ほとんどのケースでは経済性や施工性が優先され、デザインや環境にあまり配慮しないインフラがストックされているのが現状であると思う。土木、建築、環境、デザインなどの中心的な研究・開発機関や人材は別々に存在してもかまわないと思うが、これらを結びつける何かを作っておく必要があると思う。例えば、今後、種種の条件の総合的評価が可能な手法が早期に一般化されることが望まれる。
(ニュージェック 川崎順二)


 土木業界以外のデザインの取り組みは、常日頃話題になることも多く、十分認識しているつもりでしたが、改めて土木という世界と比較考察してみると、標準化と大量生産的な発想による近年の社会資本整備の仕組みが限界に来ている事を再認識させられてしまいました。これからは、プロジェクト全体を市民レベルの要求まで考慮しつつ、技術的にも斬新な発想を取り入れながら推進する仕組みの構築が必要であり、規制緩和の推進による積極的な民間へのシフトが急務と感じました。
((株)熊谷組 西島洋幸)


 多くの分野の専門家の文章により、記事の総体が立体的に構成されていた。とくに、中村良夫氏が「・・・橋長300mほどの渡河計画」と「地下鉄道駅のデザインコンペ」の例によって、インフラストラクチャーのデザインの本質をついている。
 鈴木博之氏や岡部明子氏が述べる、設計競技によるデザインの向上は、建築では高い確立で実現されている。しかし、それがそのままインフラストラクチャーにあてはまるとは思えない。
 インフラストラクチャーは、建築に比べて比べものにならない物的な大きさと数量がともなう。したがって、その施設がいいデザインになるかどうかの前に、それをつくるべきかどうかという総合検討をへる必要がある。その検討は、インフラにせよ建築にせよ、用途としての必要かどうかか、政策的経済的に有効がどうかといった、文面や数値としての計画として結論されることがほとんどである。僕は、その根本的検討に、景観や環境という物的な側面から、その施設があるべきかあらざるべきかの議論を加え、計画としてより総合的なデザインとして検討すべきだと思う。
(フリー 前田英寿)


 この特集は今までの土木のイメージからやや離れた切り口で書かれていて興味を持った。このなかで ・工業デザインの戦後史とその教訓
については、今までのデザインの変遷が書かれていて興味深く読ませていただいた。広島市現代美術館所有の電子ジャーなんかはうん、あったこんなの!みたいなのりで読んでいた。写真−9の道路計画についてはこれだけ景観とマッチしたものも少ないだろうなと思いながら拝見した。
 デザインもスポット的のみ見ていると”木を見て森を見ず”的になってしまうので難しいところがあるが、少しずつよい方向にいってくれればと思う。
・消費者の指向を無視できないが、おもねると失敗・・・情報化時代のIT製品については今後土木も時代の半歩先を見据えながらなおかつ後世にも何ら違和感のない構造物を造るのにはどうすればいいのかを考えながら読ませていただいた。
 時代の半歩先はとても難しいことではあるが、今後今まで以上に必要性にせまられるのではないであろうか。

 この特集を読んで、土木にもデザインがますます入り込むことになりそうだと考えさせられた。
 今後は、構造計算ができかつデザインもできるという技術者が必要とされる予感がする。
(清水建設梶@小宮山由起江)


 最近では土木構造物のデザインや景観等を見直す記事が多い。土木構造物は自然環境の中に,あるエリアの森林,畑もしくは住居等を排除して造られるので,世間的な印象はあまりよくないと思える。また,我が国は高度経済成長の時期に多くの土木構造物が造られ,現在の経済大国の基盤となったわけだが,都内を車で運転しているとデザイン的な要素は度外視されたものも少なくないように感じられ,冷たいイメージを持つことが多々ある。社会的に様々な面が見直されている今,土木デザインの確立も必要であると思う。
 私はデザインについてはよくわからないため,建築と土木のデザインの違いはわからない。ただ,土木においては構造物に造形の美だけを求めることは危険であり,"調和"の美しさを最大限に発揮させるのが土木デザインのひとつではないかと思っている。
 先日,破壊されてい京都の街並みの特集をデレビで見た。木造の長屋が続く歴史が造った街並みの中心に近年多くの高層マンションが建設されているという。京都には久しく訪れていないが,歴史と日本を象徴する街並みが壊されていくことは悲しく感じる。新しい景観を造るだけでなく,歴史ある景観を遠い将来まで維持することを学・官・民が一体となってできなかったものかと感じた。
(片平エンジニアリング 齋藤彰宏)


わが国のシビックデザイン特にインフラストラクチャーのデザインの問題点が、
@価格で受注者を決める発注方式Aコンペにおける評価システム(選定基準、審査体制)B技術者の教育等であるのは理解できた。また、ユーザーである一般市民への対応が重要であることは分かった。
その中で「付録 デザインコンペの可能性と限界」(なぜ付録なのかわからないが)は、理解を深める上で非常に参考になった。特に、バルセロナで市民の風当たりから竣工間もない建物が取り壊されたことである。この世論と取り壊し、再設計のプロセスがどのように行われたかはわからないが、まさしく欧米でのユーザーのデザインへの視点を示すものと思う。批判するのもユーザーである市民であり、それによる取り壊しの費用も納税者の市民だからそのような選択ができたのであろう。
振り返ってみるとわが国で果たして市民に公共施設のユーザーとしての権利を考えている人がどれほど居るのだろうか。また、取り壊しの費用負担を享受する感覚があるのだろうかとしみじみ考えた。つまるところ、市民の政治、行政への参加意識(または参加の機会、方法)の問題が大きいのではないかと思う。わが国のシビックデザインが必要だといってもそれはユーザーである市民の要求なのか非常に疑問に思う。
わが国のシビックデザインの必要性は土木技術者自身の自らの設計に対する良心的な不満、理想、志に基づいているのではないだろうか。そうならば小生はその事を土木技術者の意識レベルの高さに誇りさえ抱いている。

今後は、市民の公共施設のユーザーとして積極的にデザインに関する意見要望を聞く及び取り入れるシステム作りが必要だと思う。それがなければわが国のシビックデザインは技術者による技術者のための自己満足に陥ってしまうのではないだろうか。
(大阪ガス株式会社 西崎丈能)


今後の公共土木構造物のデザインは地域住民から益々所望されるものである。道路、河川、公園等一体で景観設計を行なうことでより良い景観となるはずであるが、現在の縦割り行政では良い景観設計は行なうことができない。横断的な行政対応を実施して頂きたいのと同時に、土木技術者のみに頼ることなく、地域住民、景観の専門者等の意見を幅広く受け止め、より良い土木構造物を造る姿勢が必要である。土木技術者の景観に関する能力を伸ばす意味でも、教育現場体制の見直し、景観設計に対して適切な判断を下せる土木技術者の育成を今後とも推し進めて頂きたい。
 (電源開発(株)茅ヶ崎研究センター 下越 仁)


デザインは、それを行なう人、各個々人の考え方・方針によるところが大きく、また、受け取る側の印象も様々なものとなる。産・官・学含めて、その必要性は認めていることから、暗中模索のまま取り組みが行なわれてきているが、地域として統一性の取れていない構造物なども出現していっているように思います。このため、相対的に受け入れられるものが良いデザインとして評価され、また、公共構造物はその存在期間が長いことから、奇抜なデザインには違和感を持つ人も多いと思います。本特集の中でも、様々な視点から意見を述べられており興味を持って読みました。デザインにマニュアルはないとは思いますが「インフラストラクチャーのデザイン」に関する方向性、課題を打ち出すべく、今後の議論の展開を望みます。
(日本道路公団 中川裕明)


 最近、とみに話題になるテーマですが、デザインは本来、需要者側の意識によってその価値が創造されるものであります。デザイナーや教育者がいくら精力を傾注しても、ニーズにそぐわなければ、一顧だにされないものと思います。つまりデザイナーや教育が社会を引っ張る時代ではないのではあるまいか、と思うわけです。土木のデザインに対する社会の意識はどのように変化してきているのでしょうか。
(足利工大 小林康昭 )

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