土木学会誌3月号モニター回答

話の広場 段ボールの橋

 先生って大変ですよね。でもこのブリッジコンテストの授業は、楽しそうですね。破壊荷重が1500N以上出るものがあるとなると実際作ってみたくなりました。橋梁関係の仕事をしている自分が段ボールと木工用ボンドのみで50cm支間の橋を作成するとしたらどの形式を採用し、どのように作るか…悩めるところです。今回の文章の中では、得票数が多いものや破壊荷重が大きかった作品の写真を掲載してほしかったです。でも、これは、実際自分がつくってみようとしたときのカンニングになってしまいますね。
(山晃測量設計株式会社 三村幸正)

 工業高校で土木を教えている立場として、とても興味のある記事でした。
 ブリッジコンテストとしての話題は、もう何回か土木学会誌に報告されているようですが、今回の記事は実験の授業の際に感じられた憂鬱をきっかけとして、コンテストを取り入れた実験をするに至ったという記述に共感を覚えました。
 文中で「一人ひとりが考える」という構図を実現できたとありますが、これが私が日々付き合っている高校生にとって一番欠けている部分ではないかという思いをずっと抱き続けていました。そんな中で、コンテストなどを取り入れた取り組みを考えていた折であるだけに、この記事はたいへん示唆に富んでいたと思います。
 ただ一点、知りたいことがあります。それは、コンテストを行った学生たちのその後についてです。ブリッジコンテストを通して得た「感動」が次の行動、つまり学習や研究に対する自発的なモチベーションとして働いているのかどうか、またそれを支援してゆくような働きかけや仕組みを考えているのかどうかという点を、もう少し知りたかったです。
(石川県小松工業高校土木科 根石 修)

 初めに、「 する人・見る人 」、「 てがら 」、「 エライ 」 などの表現を取り混ぜた分かり易いレポートであることが、この欄を読ませて頂く魅力として確保されており安心した。
この欄は、一般読者が目を通す会誌の1ページとして、また一般の方々への広報誌にも掲載したい内容を記載する場所として、貴重な存在であると認識している。
これまでの2つのコンテストで投稿者が感じられたという学生の真剣さと興奮は、社会に出た土木技術者の生き甲斐とも共通するものであり、これを未来に生きる子供たちに体験させることは大変重要なことであると常々感じていることである。このような企画、行事を実施し報告して頂くことに、感謝している読者は少なくないと確信する。
土木事業の必要性とともに、これに携わる者が感じている土木技術の魅力を社会一般に広報することは、正確な理解に基く客観的な批判や評価を得る意味において、今後より一層重要性が増すことになる筈であると感じている。
高等専門学校の学生に対して、新鮮味があり「一人ひとりが考える」構図を備えた実験を提供して既往の役割分担(?)を自然に回避し、一方で「エライと声に出して言う」などの素朴感を感じさせたことは、少々優しすぎるが必要なことかと納得してしまう。
載荷試験を行うことは小学生や中学生対象のコンテストとは当然違う意味があったし、学習コースの中に試行錯誤という要素を取り入れたり、実験の目的の考え方を「確かめる」から「作る」にして与えたことなど大変興味深く読ませて頂いた。是非とも学生のレポートを見てみたいと感じさせる投稿であった。
(鹿島建設梶@中込國喜)


話の広場「段ボールの橋」を興味深く読ませてもらった.大学の講義では、受け手としての学生の無気力がとかく囁かれているが、与える側の努力も必要であるように感じる.この事例以外にも全国の大学で与えるだけの講義の見直しの努力がなされていると思う.できたらそのような事例も交えて大学教育のあり方に関する記事を掲載してもらえるとありがたい.その場合には学生の意見も汲み上げて欲しい.また、国際技術者資格認定に関連して大学教育の見直しがなされていると思う.是非そのことも紹介して欲しい.
(愛媛大学大学院生 水澤史子)

 非常におもしろい実験であり、授業であると思う。条件を同じにして、大きな荷重に耐える橋を作った者に好成績を与えるとの評価方法は、分かりやすくて興味を引くものであり、その過程で現実の橋がどのような考え方で作られているのかを学ばせるものである。”答え”がある実験ではなく、課題を自ら設定して目標を達成させるこのような実験は、高専や大学のカリキュラムに加えることを検討してはどうだろうか。
(港湾技術研究所 システム研究室 赤倉康寛)

 私も高専の教官をしている一人ですが、この記事を読んで高専での教育の難しさを感じました。大学では学生と相対するのは講義ですが高専では授業です。まず教官の一方的な講義では、学生は居眠りになるか居眠りしないまでも頭はまったく違うところにあるのが実情ではないでしょうか。したがって、何を教えるかといった課題と同時に教えるテクニックとでもいいますか、どのように教えるかといった課題が重要になります。私も新米教官ですが、1年の教官生活でそこらあたりの難しさをしみじみと感じております。
 この記事を読んで、学生に対する塩野先生の情熱、ご苦労といったものに改めて敬服した次第です。先生の授業に対する取り組み姿勢に共感させられると同時に授業の方法に対する工夫の必要性を痛感いたしました。
(松江工業高等専門学校 高田龍一)

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