土木学会誌12月号モニター回答
宇沢弘文氏に聞く
読んでいて、残念だなあ、とてもおしいと感じたことがある。p9の宇沢氏の翻訳に関することである。詳細はわからないが、既得権益やパラダイムの批判は、それだけで、きわめて重要なことで、その情報を海外に発信することは、さらに、その重要度を増すのに。海外の社会に虚構の夢を追い続けて、ひたすら海外の情報を入手することにのみ奔走し、国内の貴重な文化や歴史を海外に発信することの少なかった日本の惨状を救うチャンスだったかもしれない。ここでの話は、海外に誇れる話ではないというが、逆に恥だからこそ、その姿を赤裸々に発信することが、日本の国際的理解につながる。本音の苦しみがわかるし、リストラの具体的なアイデアも生まれてくるだろう。翻訳を断ったことに、経済学という学問分野、そして、経済学者の権威や既得権益にすがろうとする宇沢氏の姿がみえるというのは、いいすぎだろうか。恥を明確に表現し公表し、そしてその反省の上に、具体的な改善の方向を考えていくというスタンスがないのは、もしかしたら土木学会も同じではないだろうか?今回の学会誌では、土木学会が、次世紀に向けて築き上げていこうとする社会像がはっきりみえてこない。何かぼんやりとしてすっきりしていないのは、クリアな自己批判がないからではないか?結局、描かれる社会像は貧困といわれてもしかたがないのではないだろうか?今の政治家や行政の曖昧なビジョン(グランドデザインといわれるものか?)と同じで、多分、社会像に関するシナリオライテイングの教育の欠如が問題なのであろう。
社会像の貧困さをより強めているのが、安っぽい用語、表現の乱用である。「土木が環境悪化をもたらした面もあるから、地球環境によくしていこうなんて、人間にとってやさしい社会をつくろう」なんて、抽象的で、安っぽくて、きれいごとで内容の乏しい言葉はいらない。まだまだある。人間らしくとか、自然発生とか、右脳とか左脳とか、便益計測とか、景観とか、環境配慮とか、持続可能とか、価値観の多様化。。。今となっては三流のマスコミが好んで書くような表現だ。もう、うんざりだ。土木は、人のくらしをささえるインフラを考える学問分野なのだから、土木の社会的貢献に関する存在感をうむためには、もっと、人間くさく、生活に密着した生活感のただよう表現をさがすべきだ。風格もあり、内容も充実した用語を考えてほしい。ひょっとしたら、日本の土木学会がもたらした社会の貧困の側面(恥部)の多く(?)を、土木学会自身が勇気を出して具体的に(赤裸々に)表現し、そのすべてを翻訳して海外に発信して批判され、そして用語を諸外国と一緒になって考えるという土壌をつくりあげることが、案外、土木の用語を発見する近道なのかもしれない。日本から発信する情報は、日本のよさ、また、成功例にこだわる必要はない。成功よりも、むしろ失敗した事例に、長所よりも恥部に、そして内容の乏しい抽象的な概念より現場に目を向けた方がいいかもしれない。反省して少しずつでも現場を改善していこうとする真摯な姿勢が、貴重な議論につながるのではないだろうか。と思うのですよ。
(豊橋技術科学大学 人文社会工学系 平松登志樹(平成13年度上半期モニター))
交通計画に極めて大きな影響を与えた「自動車の社会的費用」の著者,宇沢弘文先生のインタビュー記事が非常に興味深かった.インタビューの中で,宇沢先生が,アダムスミスの道徳感情論の重要性についての私的があった.現代程,この点を十全に理解しなければならない時は,かつて無かったかも知れない.近代経済学の祖であるアダムスミスが道徳哲学者であった事を,土木計画で経済理論を援用する全ての計画者は忘れてはならないだろう.その思いが,このインタビューからも垣間見えたように感じた.
(京都大学 藤井 聡)
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