土木学会誌7月号モニター回答
表紙にテーマを持たせているのは面白い。ただ、このような芸術的要素は苦手分野なので、楽しめるか理解に苦しむかのいずれかになるだろう。
また、作品のメッセージが、土木技術・土木工事を礼讃するものばかりに偏らないことを期待している。
(日本鉄道建設公団 水越 潤)
今まで土木学会誌の表紙すらよく見たことがありませんでしたが、今回の表紙の写真を見て、とても綺麗だと思いました。この写真を土木関係者ではない方々がご覧になってもきっと私のように綺麗な橋の写真だと思われることでしょう。
私は電車で通勤をしていますが、その車中、他に乗車されている方々がご覧になっている雑誌や新聞が目に付くときがあります。逆に私が通勤中の電車の中で学会誌を開いていたら、学会誌の写真や記事に目が付く人もいるのだろうと思いました。そして、その中から土木について興味を持っていただける方がいるのではと思いました。それをきっかけに土木を志す方がいらっしゃったらと期待を抱きつつこれからも通勤中に学会誌を開いてみたいと思います。
(清水建設株式会社 太田智久)
この文章を読んで、まず自分の認識不足を痛感したのが、「間接水(輸入する食品を生産するのに要した水の量)」に関することです。もちろん、食糧の自給率の低さは認識していたものの、この間接水の量が日本の全国水総使用量の約85%にも達しているとは思い至りませんでした。環境工学を研究の専門としているにもかかわらず、赤面の至りです。その意味で、大変勉強になりました。このような通常とは別の切り口からものを見る方法を気づかせてもらえる文章を、今後とも是非掲載していただけたらと願う次第です。また、ミネラルウォーターの輸入量の急増に対する認識、国内におけるミネラルウォーターの生産量の急増に関する認識は持っていたものの、「一部例外を除けば、ほとんどの都市の水道水は冷やして飲めばボトル水と変わらない」とは思っていませんでした。もちろん、試していないので実感はないのですが、言われてみればそのようなこともあるだろうとの予想は確かにあります。したがって「日本人は水道水をより尊重すべき」との著者のご意見も十分にわかります。ただ、2元給水に関しても多少は触れて欲しかったと思います。2元給水とは飲用水と洗浄水を個別に供給するものです。人の口に入る水は食品を含めて1日にたかだか2リットル程度であり、飲用水を洗浄水と個別に生産すれば飲用水の生産量は極めて少なくすみ、また洗浄水はおいしい必要はないため、水道水の大部分を占める洗浄水そのもののは現在の水道水ほどの質を確保せずにすみます。そのため、水道水をもっと安価に生産できる(飲用水はもっとおいしいものを安価に確保できる)と期待されます。ただし、どうやって2元「給水」するか、が問題です。水道管をもう1本増設するのはナンセンスでありますが、ボトル水としての供給はどうでしょうか?お年寄りなどにとってはボトル水を持って帰るのは労力が大きく、大変でしょう。ほかに方法はないものでしょうか?このような疑問を常々持っていたため、この文章を読んだときに、2元給水のことが頭をよぎりました。もし、機会があれば今度2元給水にも触れていただければと思う次第です。
(山口大学工学部 今井 剛)
水を大切にしなさい,と小さいころから躾けられてきましたが,まさか私たち日本人が自国の水だけはなく,世界中の水(地球の水!)をこんなに直接的にも間接的にも浪費しているとは思いもしませんでした.水を買うことに抵抗感の薄い若い世代である私たちが「水はタダ」という過去の常識をいい意味で壊し,水の尊さを次世代の人たちへ伝えていかなくてはならないと強く思いました.
(畠中淑乃)
第3回世界水フォーラムは日本で開かれ、各新聞でもかなり紙面を割いて報道されていたと思いますが、確かに、これだけ水の豊富な日本では世界の水危機への反応は鈍かったのではないでしょうか。私自身、フォーラム宣伝のための水陸両用バスが広島を訪れた時に取材に行ったのですが、会場には招かれた園児たちとその親だけで一般町民はほとんどおらず、という寂しい状況でした。
一方でペットボトルで販売されている飲料水、ミネラルウォーターやお茶の売り上げは年々伸びていると聞きます。私は6年前まで、生まれ育った東京の世田谷で暮らしていましたが、家庭では、水は浄水器を通してそのまま飲むか、沸かして麦茶にして飲むのが当たり前でした。仕事で移り住んだここ広島では、山の中腹に清水が涌き、近くの住民がタンクをぶらさげて汲みにくる場所が幾つもあります。それだけ水資源が豊富なのに、なぜ日本人は輸入してまで水を買うのでしょう。また日本の高い浄水技術は途上国へ伝えられ、役立てられているのでしょうか。
例えば、7月に広島に設置された国連訓練調査研究所(UNITAR)の開設を検討するため、約2年前に、途上国の研究者たちが独立行政法人産業技術総合研究所中国センターを訪れました。閉鎖性海域である瀬戸内海の浄化の研究について、参加者から熱心な質問が相次いだのが印象的でした。また、今年に入って地元の高専の研究者が考案した排水処理の新技術が、インドでも活用されていることを取材する機会もありました。土木技術、というと一般市民はダムを始めとした大掛かりなプロジェクト、いわゆるハコものばかりを思い浮かべがちですが、さまざまな形で水資源確保のために役立てられる日本の技術がもっと紹介されることを期待したいと思います。
(元中国新聞記者 大川富美)
この3月、「第3回世界水フォ−ラム」が、京都、大阪、滋賀を中心に開催されました。この会議で討議されたことは、まさに「地球と水と日本」についてのものでした。
本記事で指摘している「日本は水の輸入大国」である事は、一部の専門家や関係者を除いては意外と知られていない事実ではないでしょうか。つまり、我が国は水そのもの(ミネラルウォ−タ−等)の輸入のみならず、食糧自給率が低いため「ヴァ−チャルウォ−タ−(=間接水、仮想水;食料や工業製品の輸入に伴って、これらの生産に使用される水)」の大量輸入国となっています。
したがって、水の問題は、ヴァ−チャルウォ−タ−を通じて我が国内だけのものではなく全世界的地球環境の問題である事を認識する必要があります。先の第3回水フォ−ラムにおいて、運営委員会会長の橋本龍太郎元総理は「第3回水フォ−ラムを幻想を振りまく会議に終わらせないためにも、古より研鑚してきた水の叡智を世界に発信する行動を是非、皆様に手伝ってほしい」と提言してています。
今世界は、「アラル海の悲劇」や黄河の例を挙げるまでもなく、地球の水危機に直面しています。この記事でも伸べられているように、我々土木技術者としても上下水道や河川工学、環境学などの専門知識を生かして、全世界の共有財産である地球環境の保全に向けての貢献ができるし、また先の橋本提言にも応えられるのではないでしょうか。
((株)大林組 佐村維要)
日本では水は容易に手に入れることができ、世界基準の何倍もの水を日々の生活の中で使用している。しかし、日本は間接水やミネラルウォーターなど様々な形で大量の水を輸入している。それら輸入先の環境に影響を与えてしまっている可能性もある。地球規模で交流が行われている現代において、どのような事であれ日本だけの問題とすることはできず、地球全体で関わってくるものであると認識していかなければならないと感じた。
(横浜国立大学大学院 加藤大)
自給率の話はよく言われていることで、先進諸国にあって40%という数字について改めて考えさせられた。人は水、食糧なしには生きていけない。水に関わる仕事をしている私にとっても、水の問題は一番の関心事である。グローバルな観点は必要であり、今や水によって沈んでしまう国の心配すらある。
そこで日本でも環境倫理や生態の保全が叫ばれる中、土木分野でその基礎的学問を教えている体制(大学も含めて)はどの程度あるのだろうかと疑問が残った。
(土木研究所河川生態チーム 大石哲也)
数年前、山梨で高橋先生の講演を聞く機会がありました。登山団体主催のフォーラムでした。先生の「山が川の姿を規定する」という言葉が印象的でした。今回の「地球と水と日本」は、仮想水の概念、水道水の復活、世界規模の水管理と日本の立場など、有意義な発現であると思います。
弊社入社試験の作文で「水」を課題にしたことがありますが、学生諸君の論理は「東京では水はペットボトルで買うものだった。山梨の水のありがたさを知った」という薄っぺらな内容がほとんどでした。「水を買う」ことの危うさを、もっと広く知ってもらいたいものです。
(山梨日日新聞社 深沢健三)
水はいくら飲んでもお金はかからないと思っていましたが、ボトル水を普通に購入している現実に気づかされました。地球の水危機が注目を集め始めていますが、まだまだ実感が湧かないのが現実だと思います。日本のような先進国が水危機を実感する頃には世界では大変なことが起こってしまっているに違いないと思います。そうならないように、現在の水危機の現状をもっと広く伝えていく必要があると思います。「アラル海の悲劇」のような有名な環境汚染なども、広く知られているわけではないと思います。対策を考える前に、現状を広め市民に認識させることが一番の課題だと思いました。
(横浜国立大学 桝谷有吾)
食糧輸入に伴う仮想水と言う概念が新鮮であるなら、その仮想水の量が日本の全国水総使用量の85%に達することに驚きを禁じ得ません。相手国の水を間接的に買っていることになるのでしょうけれど、食糧輸入がいわゆるグローバルイシューである水問題に関わっていることに新しい発見をした思いがしました。
水道水への再評価は全く同感でした、私どものような仕事をしている者にとって、日本の水はまさに天の恵み、そのありがたみが実感できます。ある大学で講演した時、サブサハラの水の厳しさを話した後、学生の感想の1つにまずい日本の水に我慢の気持ちが芽生えたとありました。外から見直すとわかりやすいものです。
途上国に支援する時、そこの自然的社会的特性を把握する眼識が不可欠と筆者は書いておられます。とかくハードを押し付けがちな我が国ですが、水資源の有効な活用の仕方、水災害からの回避の仕方を伝えることが先決で、それには我が国の豊かな経験をベースに計画策定に協力すべき、との指針は、まさに今日国際協力に問われている課題そのものです。どちらかと言えば日本人に苦手な分野ではあっても、目先の利益にとらわれず、長く広く捉える視野を養う必要がありそうです。
(国際協力事業団 矢部哲雄)
実績が需要予測を満たさない場合に、その技術的側面や前提条件を論じる前に政治的意図や経営責任の話題ばかり先行する現実が悲しいものである。
あえて責任などを論じるのであっても、それは予測技術的な要素、または前提条件を崩した責任という論じ方がされるべきであると思われる。
今回のような特集がもっと大衆的な新聞や雑誌でなされて欲しいものである。論じられている内容には、賛同できるものが多いからである。
(日本鉄道建設公団 水越 潤)
交通需要予測に限らずある予測値には何らかの前提、仮定条件があり、社会一般の話として結果の数字がそれら条件を伴わず一人歩きする事は仕方のないことだと思います。しかし、社会に見えざる部分でそれら条件を調整し、さも事業が成立するかのごとく見せる行為など、計画主体が直接的に責任を負うことになる民間企業では当然起こり得る事ではありません。計画主体が当事者としての責任を果たすことが肝心ですが、責任の明確化のためにも予測モデル自体の限界や、様々な条件の重みや一般的な設定などが明らかにされる事が重要であり、研究分野もそうした取組みを積極的に行えばよいのではないでしょうか。その上で、事業をより経済的、効果的に進めるための検討方法として交通需要予測が用いられるならば、社会に広がった偏見を払拭するに余りあるのではないかと思います。
(東海旅客鉄道株式会社 山内公介)
昨今の道路関係四公団民営化での交通需要予測の議論などを意識した特集であると思いますが、単なる技術論ではなく行政手法のありかたまで含む興味深い内容でした。交通需要予測が経済予測のひとつと考えれば、景気、物流システム、国際情勢、価値観の変化など予測困難なものに左右されるのは当然だと思います。「単純な予想から決意、創造への変換」、「"なる"予測から"する"予測へ」といったもっと能動的な手法が行政側への提案として述べられていましたが、そのような行政手法がインフラを整備する上で今後の課題でしょうし、そういったシステムの中でこそ、本来の交通需要予測技術が有効に活かされていくのではないでしょうか。
(千葉県 佐藤健一)
需要予測は、数ケースの前提条件を基に幅を持った結果を出しているが、計画決定の段階で意思を持ってある一つの予測値として公表されることが多いと思います。
家田先生の"予測と意図とは切っても切り離せない"はこの段階をさしていると理解し記事を読みました。
計画決定にはたとえば経済成長を押し上げる、利便性の向上を図るといった意図があったはずである。
幅を持った予測を基に議論されたこと、決定に至ったプロセス、これらの情報開示の不足が不満となり、需要予測まで遡り批判を浴びているように思う。
行政の説明責任が問われ、行政主導から住民の主体的な参画による計画決定といった環境の中でこれまで以上の能力と時間が必要となるが、これらの不満に対応しない限り、土木計画技術、建設業への信頼は得られないと思います。
さて、前提条件に大きく左右される需要予測は無用、単なる目安と落胆することは無いと思います。使い方次第で大きな役割を果たせるということが書かれていました。そのとおりだと思います。
家田先生が需要シナリオマネジメントとよばれていましたプロジェクトの進行に合わせ需要予測を行うことにより、計画時点で意図したものとなるような施策を打ち出す、既存施設の有効活用、改善を図ることが出来る。千葉モノレールの事例が紹介されており納得しました。
本特集は計画のあり方、技術の果たす役割を改めて考える機会を与えてくれた。
(復建エンジニヤリング 樋口邦治)
交通需要予測については、学生時に講義を受けたことがあるのみで、それ以降深く考える機会がなかった。特集を読み、今改めて交通需要予測について考えてみると、自分の身の回りにも交通需要予測〜道路計画がうまくいかず、交通量に対して過大な道路が建設されているケース、またその逆のケースが幾つか思い当たる。需要を予測し、これを計画に反映させることは、構造物を建設する上で最も基本となる部分であると思う。交通需要の予測に関してももちろんそうであり、道路を建設するベースとなる部分である。今回この特集を読み、交通需要予測を行う上での影響因子の多さ、妥当な予測を行うことの難しさを再認識させられた。今までは、需要の予測や計画についてはあまり考えることがなかったが、これを機会にこの様な「建設を行う上でのベースとなる部分」についても少しは考えて行きたいと思う。
(三井住友建設 川又啓介)
特集「交通需要予測」を非常に興味深く読ませていただいた.
興味を惹かれた箇所はいくつかあったが,その中でも,東京工業大学藤井聡助教授の言葉が非常に印象的であった.『「未来を予測するもの,自分との存在とは無関係に種々の環境的要因によって決まっていくもの,ととらえるのではなく,未来を,自ら決意し,創造していくもの,自ら意志の力によって変化するもの,ととらえる.」と宣言すること,いわば,「創造決意」の宣言が不可欠である.』
需要予測は,前提条件の与え方や計算手法の違いで出てくる値が大きく変わる.したがって,基本的には完全予測は不可能と考えるのは妥当であろう.そこに政治的意図や恣意的作為が介入していたとしても,それは,それで構わない.ただ,そのときに大切なのは,「将来こうしたい.」という強い意志が含まれているか否かである.
これまでは,「量」が求められた.「量」さえ予測すれば良かった.社会のニーズが多種多様化し,「質」が求められている昨今,どこに価値観をおくかで大きく評価が異なるが,数ある情報量の中から,ありとあらゆる想像力を働かせ,自らの創造決意をもって,それを適切に反映していくのが技術者としての醍醐味である.
そして,大切なのは予測のみで終わらないことである.実態調査・事後評価を行い,予測と実際との比較のもと,反省すべき点は反省し,必ず次につなげるという強い意志を持っておくことが大切と感じた次第である.
(中央復建コンサルタンツ(株) 小阪拓哉)
交通需要予測に対して、過小評価の例もあるのだが、マスコミの報道のせいもあり過大評価の例ばかりが注目されている。そもそも将来を予測することは容易ではなく、まして交通需要ともなると人間行動・社会状況など様々な予測不可能な要因が入ってくるのでなおさらである。また、予測をして終わりではなく、それに対して何をするかが重要である。「なる」から「する」へ、「大砲戦」から「誘導ミサイル戦」という需要予測の発想が大事であると感じた。
(横浜国立大学大学院 加藤大)
"ファジィな要素を多大に含んだ事柄をデータベースとして、如何に合理的な判断を下し、途中、臨機応変に修正をし、最終的に答えを導くかが大切である。"という主旨に感じられました。交通需要予測の問題に限らず、あらゆる事柄に当てはまることなので、非常にいい勉強になった。
大学時代から、"土木計画学"の科目が不得手だったので、新聞の記事よりも難しい文章(私にはそう感じられた)を読むのに大変疲れた。
((株)大林組 村井大亨)
交通量というさまざまな要因が絡む値を一つのモデル式で説明するというのは至難の業である.今回の特集ではその仕組みとこれまでの実績、これからの需要予測という3本立てを通して極論的に完全な需要予測は成しえない事を知った。公共性の高い土木構造物だからこそ、その需要予測が過大評価であったり過小評価であったりすると、世論は敏感に反応するものである。批判を回避するための予測ではないが、一般のユーザーに対して需要予測の方法が不透明であるという事がその批判に多少なりとも拍車をかけるのであれば、需要予測においても市民参加を積極的に取り入れる事でその不透明さを多少なりとも拭う事ができるのではないかと思う。また、現状の交通量の把握にITSを活用することでその精度が上がることが期待できるのではないかと思った。また、近年、社会資本整備の事後評価が重要視されているが、交通需要予測においては、「それをもとに決意した計画」とともに二重の事後評価を行うのか、それとは別に事後評価を行うのか疑問に思った。
(復建エンジニヤリング 甲斐友紀子)
特集記事の「予測の限界と課題」,「需要の創造/決意の計画」は予測の不確実さと価値観の多様化した社会での意思決定が困難を伴う作業であることを露わにしている点が強く印象に残った.需要の予測が困難であることを前提とした上で議論を進めると,場合によっては人々に不安を与えることになるだろう.
しかし,だからこそ,予測・計画・実行の作業は,これまで以上に思考を張り巡らさなければならない.不確かさを曖昧ままにして,思考停止に陥っている暇はないし,それは許されないという思いを強く持った.
「交通」の分野に限らず,この記事が多くの方の目に止まるれば良いと思います.
(東電設計(株) 高橋秀明)
公団民営化の議論とともに厳しい批判にさらされている交通需要予測について、改めて本質的な問題点は何かを考えさせられる記事でした。予測手法における技術的な課題が問題ではなく、前提条件、使用したデータやモデル、予測値の不確実性などに関する十分な説明が成されなかったことが問題であるという意見には賛成です。ただし、十分な説明というのも難しく、最近話題となっているいくつかの公共事業についても、計画段階から説明あるいは情報公開さえ行っていれば現在あるような批判は起こらなかったという単純なものとも思えません。交通需要予測の問題は公共事業全体に関するものであり、永遠の課題だと感じました。
(本州四国連絡橋公団 鳥羽保行)
交通計画について専門的な知識がなく非常に難しく感じましたが、これまでも交通需要を予測することが難しかったように今後も正確に交通需要を予測することは不可能ではないかと思いました。
予測した結果に近づくような自治体側の努力や例えば、交通需要が過小であった場合はハード面でそれを補えるように予測が外れてもよいように(度合いにもよりますが)あらかじめ対策が必要ではないかと感じました。そのような努力、対策をとることはコストもかかるので、予測が外れる度合いが小さくなるように今後とも予測技術の向上は必要であると思いました。
(清水建設株式会社 太田智久)
世間で槍玉に上がっている公共プロジェクトの多くが、交通需要予測の過大評価を指摘されているのは実感として感じている。確かにその数字的な誤差を見ると一市民としてなるほどこれはけしからんと思う。しかし、ここで注意しなくてはならないのは、結果だけを見て交通需要予測全体を間違っているとし、どのプロセスで誤差が発生したのかという分析にあまり注視していないことではないか。
特集を拝見し、なるほどこういうことだったのかという思いを強くした。つまり多くの誤差の原因はインプットにある。人口推移や経済成長といった前提条件もプロジェクト推進側の人々(携わる土木技術者の多くはこちら側であるが)の意図もインプットといえるだろう。
インプットの誤差が予測モデルで修正できるはずもなく、間違ったインプットには間違ったアウトプットしか出力されないのは自明である。
それなのに多くの交通需要予測に携わる技術者が世間の批判に対して肩身の狭い思いをしているのは、この特集から強く感じられる。もちろん、手法も完全なものではなく、研究により改善されていくのであろう。それでも、結果に対するすべての責任が交通需要予測技術者のものではないことは明らかである。プロジェクトの進退を決めるほどの大きな意味を持つ交通需要予測にはいろいろな立場の人間が介在するが、いろいろな立場で決められた、責任の所在が不明確な情報をもとに予測が行ってしまわれている。まず、必要なことは、各プロセスで出される情報に対して責任を明確化し、公表することではないか。
さらに必要なのは予測の修正であろう。将来の社会現象を正確に予測するなんてことはどんなに緻密な計算をしても不可能に近い。特集の中でも語られているが、前提条件等のインプット情報に対して定期的にモニタリングを行い、異なった傾向が読み取れたら、ためらうことなく交通需要予測の再検討を行うべきである。
予測が修正されれば、おのずとプロジェクト修正の必要性が発生する。
現在のシステムではこの修正が難しいためにおかしいとは判っていても突っ走ってしまう。今後は修正できる幅を持った柔軟なプロジェクトを当初から計画していくことも必要になると思う。
予測を行うプロセスにおける責任の明確化、プロジェクト進行中での予測の修正、修正可能な柔軟なプロジェクト推進、この3つを進めていくことで、技術者の過大な負担を軽減し、本来あるべき予測技術の高度化に専念できることになるのではないかと感じた。
何よりも重要なのは、そのプロジェクトの社会的価値が世間に認められることで、初めて全てのプロジェクト関係者が大きな達成感、やりがいを感じることができるということである。
(鹿島建設 松尾 元)
全体を通じて,私には少し難しかったようです.例えば需要予測の専門家の方に加えて,その他立場の違う方々による討論形式であればもう少し理解できたように思います.
その中で,藤井先生の「その過大な交通需要予測の背後に"悪意"を想像させる余地を残したところに,過去の交通需要予測の非があるのではないか。」という言葉に意識が集中しました.交通需要予測だけでなく,土木全体に対する世間の冷たい目も,その批判の本質は多分こういうことなのだろうと思います.
批判的な意見と誤解されるかもしれませんが,土木関係者は国民共通の財産である税金を扱っているにも関わらず,その全てを自分だけの手のひらの上に乗せてようとしているのではないでしょうか.土木が公共事業である以上,それは国民全ての関心事であり,国民のためにあるべきはずです.その中で,土木屋の私たちは単に土木のプロフェッショナルであるに過ぎません.私たちは当然,土木の持つ意味を理解し,その必要性も十分に認識しています.だからこれ以上,土木を国民の目の届かないところに置いてはいけない気がします.
現在の交通需要予測への批判,少なくとも私たちは「問題」ではなく「課題」として捉え,謙虚に受け止める必要があると思います.
(ショーボンド建設(株) 小牟禮建一)
確かに予測とは何事においても難しいことである。天気予報(?)しかり,経済予測しかりである。しかし,その予測に何らかの意図が込められていたとすれば,純粋な予測とはやはり言えないと思う。「交通需要予測」は,どうしても「意図性」「政治性」がつきまとうということに対しては紛れもない事実と認めた上で「どうしたら意図性が少しでも入り込まないようにできるか」といった話の展開はもっともだと納得する点が多かった。最後の全体的な計画システムの転換の必要性についての提言に是非期待したい。
(西松建設 矢部昇一)
「交通需要予測」については、正直に申し上げて、土木技術に関する問題というよりは、むしろ政治・行政の問題の一部として捉えていたため、マスコミからの情報を受け入れるにとどまっていました.今回の特集では、技術者の立場から、1)問題点の整理、2)現在の取り組み例、3)今後のありかたについて、きわめて明快な説明がなされ、改めても技術者の立場からこの問題を考えるいい機会を与えてくれたことを感謝しております.とりわけ、特集第1章としての家田先生の記事は、専門的な表現をほとんど用いることなく、問題点の分析がシステマチックになされ、特集の導入部としての読者への問題喚起が十分に発揮されていたと思われます.同記事の中で、『 「なる」の需要予測から「する」の需要予測 』に関する記述には、これまでの問題点をまさしく言い当てているもので、藤井先生も「需要予測の新しい流れ」のなかで同様の主張を分かりやすく解説されていました.
本特集で紹介されている意見は、土木技術者に限らず、一般の多く方々からも賛同を得ることが出来るのではないでしょうか.土木学会誌が一般の方々に対しても、情報を提供の発信源となることを望みます.
(東北学院大学 石川雅美)
社会資本整備の分野でも、最近では、経営からの視点というようなものがより求められているように感じられる。社会資本整備事業の効果は定性的な事項が多いが、事業をできるだけ定量的・客観的に評価し、ある目標に向かって事業展開し、フィードバックするような方向がみえる。マネジメントする時点でいえば、計画立案、施策実施、検証(社会実験)、(再)実践といったところであろうか。当然、目標についても、漠然としたものではなく、数値的な指標が含まれ、具体的に達成度がわかるように努められている。また、マネジメントの実施には国民に対して方向性=目標を示し、理解を求め、成功に向かって導くことが求められているとも感じる。情報の開示によって、目標が共有化されれば、社会資本整備にまつわる悪いイメージも払拭できるのでないだろうか。
全ての事業に対してはすぐには無理であろうから、そのための社会実験は選択枝の1つという思いは共通するところだろう。
そこには、一方的な説明ではなく双方向にコミュニケーションを行うことも求められるだろう。それが簡単ではないことはだれもが理解できるところではあるが、土木エンジニアとしてどうしても取り組まなければならない課題であると共感することができた。
(日本道路公団 北畑雅義)
最近交通需要予測が悪く言われているようだが、土木の世界での頭脳といっても過言ではない方たちが積み上げてきたものがそのような扱いを受けるのは納得がいかない。元々土木関連工事と政治/行政は深い関係を持っているがために『政治的意図』が予測結果に反映させられてしまうということが少なからずあったのではないかと想像します。やはり難しい話をすべて一般の人にオープンにする事は不可能なためどうしてもブラックボックス性は残ってしまい、政治家(族議員?)に利用されてしまう、ということがあったのではないでしょうか。最近、個人的にも政治家不信になっているため、政治家の道具として使われてしまう可能性があることが残念です。
(東洋エンジニアリング(株) 菅原紳二)
2)[記事名:交通需要予測の技術的課題と使い方]
交通需要予測はある仮定に基づいた計算値であるので、その仮定条件によっては結果が大きく異なるということは明らかだと思います。その仮定条件や結果に幅があるべきことは置いてきぼりで、結果の数字だけが一人歩きしてしまった事が最近の批判の大きな原因ではないでしょうか。幅予測が行政に受け入れられなかったのが主因のようですが、確率や信頼性という言葉は今の世の中では日常的に使われるようになっており、行政側が『混乱』を理由に拒否するような時代ではなくなっているのではないでしょうか?また、需要予測の信頼性を高めていくために、仮定条件が大きく変わったと思われる場合には予測を改訂する、もしくは定期的にパラメーターの見直しを行って予測結果の見直しを行うということがこれから必要になってくるのではないかと思いますがいかがでしょうか?私が学生の頃に当時院生だった屋井先生や石田先生といった方々が森地先生のご指導のもと、モデルの構築に頭を悩ませていた事を思い出します。首から下で仕事をしてきた私には難しすぎてついて行けませんでしたがあの頃の苦労が結実してきているはずで、それが世間であまりよく見られていないと思うと残念でなりません。
(東洋エンジニアリング(株) 菅原紳二)
社会基盤整備に関する需要予測に対し、一般の人々が不信感を抱くのは、「予測に対して結果が悪い」場合である。民間事業の場合であれば、過大な需要予測は事業者自らの不利益や存続の危機を招くため、慎重にならざるを得ない側面がある。しかし、社会基盤整備といった公共事業については、その慎重さに欠ける面があるのではないだろうか。
予測とは、将来どうなるかを既にわかっている他の事柄を基準にして見当をつけ、判断することである。すなわち、需要予測については、ある時点での既知の人為的行動をパラメータとしての予測であるため、結果と予測が異なる可能性の方が高いと思う。本文中にある±5%の解析精度が意味を持つのは、パラメータの設定が実状に合致している場合のみである。構造物設計と同様に、出力精度は入力条件の設定と精度に依存するのであるから、出力の再現性以上に変動するパラメータの設定方法、定期的な修正方法について議論されるべきであると考える。また、予測値が実現困難になったと判断された時点で、事業内容の転換等について、早期に対応することが重要であると思う。需要予測は事業の方向性を決定するために必要であることは個人としては認識しているつもりである。しかし、本文にも述べられているが、予測値そのものを重要視する(してきた)傾向そのものが問題である。予測値は期待値や理想値であって然るべきであり、それを実現するための方策について熟考し、わかりやすい言葉で国民に説明する必要があるのではないだろうか。それが実現できれば、土木業界に対するイメージも好転していくと思う。
(大成建設 福田隆正)
この記事は、交通需要予測の手法を述べている部分が多く、わかりきっているとを述べている部分が多いので、その点が物足りないという印象を受けました。
(東京大学応用力学/岩盤研究室 浜谷健太)
私は通勤に千葉都市モノレールを使用しているため、利用者としての視点からこの記事を読ませて頂きました。需要予測の難しさ、そこに希望的観測を排除することの難しさを感じました。利用者にとっては非常に便利なものである一方、経営側にとっては経営を続けることが難しい現在の状況は楽観的な需要予測を行ったことのつけであることは間違いないと感じています。しかし、需要予測の存在意義を確かにするためにも現在の状況を需要予測を生かした経営でなんとかすることは出来ないものかと感じました。需要予測の甘さによって生まれた失敗は需要予測によって挽回することこそが、この分野の存在意義を確かにするための手段なのではないでしょうか。
(東京大学教授 大西 隆)
千葉都市モノレール事業の当初から、モノレールは景観的に良くない・必要ないという意見が出ていたと聞いていました。実施されてしまった理由は、交通需要の予測だけではなく、何か本当の原因がありそうだと思いました。
(独立行政法人土木研究所河川生態チーム 野間)
実際、調査を役所から受託すると、クライアントの要望(特に首長の公約)にあったまとめ方をせざるを得ない場合もあるのではないでしょうか?後になってから、根拠を示して「過大予測であった」と検証することを繰り返すことによって、そのような無理難題が減っていくことを期待します。そのため、公共事業を経年的に事後評価する仕組みができるといいと考えます。
(匿名)
特集「交通需要予測」では,世間からの批判が厳しいこのトピックスに対し,「完全予測不可能」などのある意味衝撃的な意見が述べられており,興味深く拝見させて頂いた.なかでも,本記事はモノレール事業の罪を簡潔に,そして率直に述べられており,「もし今決めれば,モノレールを選ばない」などの巧みな表題も相まって,都市交通全体を含めた問題(穴川駅近辺の恒常的な渋滞など)として考えさせられるところが多かった.
(電力中央研究所 佐藤隆宏)
就職するにあたり九州から千葉に移り住んだ際、まず、目についたのが、このモノレールの軌道桁とそれを支える支柱の大きさでした。跨座式モノレールに比べて、千葉都市モノレールの懸垂型の方が、モニュメントとしてよいとの印象を受け、このようなモノレールがある千葉市は思っていた以上に都会だなぁと感じたものでした。また、勤務先であった研究所において、このモノレールに関する疲労実験が受託されたこともあって、千葉市民および土木屋の両面から、このモノレールを非常に身近に感じたものです。
このような千葉都市モノレールが赤字で、単年度収支の黒字転換が難しい状況にあるのは残念でなりません。状況が好転することを願う次第です。
(JFEスチール(株) 大久保浩弥 )
一般の人々の抱く不信感,批判の対象を理解できたと考えます。「交通需要予測」に対する世論の不信感は相当なものです。批判の対象は「不透明な計画決定過程」であって,これを「土木」全般に対する不信感へと広げることは何としても阻止しなければなりません。問題の本質や,これからの在り方を,普段土木とは縁のない一般の人々に対して説明していく必要があるのではないかと考えます。
(中国電力 加藤拓一郎)
交通需要予測の「完全予測不可能」を宣言する.衝撃的ではあったが,どこかしら痛快感を覚えた.というのも,昨今の報道における交通需要予測に対する批判が,どのような予測モデルを使って,どのような条件で出てきた数字かを知ることもなく,予測された数字と現状だけを比較するという単純な議論であり,かつそれが空虚なものと映っていたからだ.仮に,予測と現状が合致していたとしても,国民はそれを当然の如く受け流すはずだ.私を含めた国民としてはむしろ,この交通施設によっていかに便利になったか,いかに地域が活性化したか等に関心がある.やはり,ブラックボックス化したモデルによる交通需要予測云々は問題の核心ではなく,記事にあるように,民意を反映させる計画プロセスの構築こそが重要ではなかろうか.
(電源開発(株) 坂田智己)
平易な言葉で書かれていたので、非常に理解しやすかった。学会誌を読んでいてよく感じることだが、自分の専門外の内容については、恥ずかしながら知識が不足していることが原因で十分理解できないことがある。本稿については内容が身近に感じられ、楽しくかつ理解しながら読み進めることができた。
(大成建設 福田隆正)
文字ばかりであるところは、多少図表等を用いて欲しくもあったが、本質的な問題をわかりやすく述べられていたと思う。論者の真面目さを感じた。いつか需要予測、また車社会の本質的な問題についても100年の計いや、1000年の計といった観点から切り崩してもらえることを期待してます。
(土木研究所 河川生態チーム 大石哲也)
私達の生活に身近な例が引き合いに出されていて,非常に分かりやすい記事でした。ここで示されているように,予測が完全なものではないことを明らかにし,さらに,未来を自ら決意し,創造していくものであるととらえることが非常に重要なのだと思います。また,このような立場で,議論を行うならば,私達国民一人一人が日本をどういう国にしたいのかということについて考え,議論し,合意を形成しなければならないと思います。このような議論を行うことができれば,この日本という国はさらに進化することができるのではないでしょうか?
(京都大学 林 芳樹)
下水道工事で良く知られている推進工法を縦向きに使って、海底から海面に向かって導坑を掘進、その後、増径(拡幅)して立坑を造るというアイデアに感心しました。記事によれば、放水路は本坑、分岐坑、立坑の3つのパートに分かれているようです。今回、紹介されていない分岐坑についても、シールド区間からどのように分岐されたのか、是非知りたくなりました。
(大阪府庁 岡田敏男)
このプロジェクトリポートでは、志賀原子力発電所2号機建設工事における環境保全への取り組みや、最先端技術を活かした海底トンネル工事についてわかりやすく述べられており秀逸である。
(本州四国連絡橋公団保全部橋梁保全課 杉本 健)
自然に配慮した工法が求められているのは事実であるが、それをもってして、原子力発電でのテーマを取り上げるのであれば、志賀原発での歴史を踏まえて説明して欲しいと思う(ちなみに、志賀原発は、住民の反対があるなか通産省の許可によって運転が開始されたものである)。工法については、大変解りやすく興味をひく内容であったが、大学教授からの発言とあれば、科学的な立場から分析が求められているので、もう少し中立的な立場から、世界的に減少傾向にある原発が、日本になぜ原必要で、今後の需要が増えていく予測を含めて是非論じて欲しかったように思う。
(土木研究所河川生態チーム 大石哲也)
タイトルと記事にギャップを感じた。サブタイトルの、「能登半島で進む・・・」というだけであれば、納得もいくのだが、「自然との調和を目指した原子力発電所づくり」というのは如何なものか。もしこのタイトルで記事を書くのであれば、後半の海底トンネル工事の記事は独立したリポートとし、地形の保全に如何に苦労したか、その比較案と採用案の切土の差が分かる図面や、潮流の維持に一文字堤がどう貢献しているかを示すシュミレーション結果、温排水拡散範囲の抑制における水中放水の水理実験結果や、地元住民やNPOとの合意事項などもしあるのであれば掲載をして欲しかった。多分モノがモノなだけに設計や工事段階でかなりの苦労をされていると思われる。その辺を伝えるリポートが無いのは残念である。学会誌であるので一般の人がどれ位目にするものなのかは分からないが、私以上にタイトルと記事のギャップを感じるはずである。(特に自然保護系の住民や農漁業者など)
((株)ドーコン 野田敬一)
専門的用語がけっこうあり、分からないことが多かった。専門用語の説明も付け加えてほしい。
(岡山大学大学院 古谷隆志)
なぜ非着定式を選んだのかを知りたかったです。また、非着定式にしたことで大変になったことなどを書いていただけると、もっと面白く読めたと思います。
(横浜国立大学 桝谷有吾)
現在、軟弱地盤上に計画された機械基礎の設計に携わっており、構造物相互ならびに地表面との相対沈下問題に頭を悩ませている最中であり、興味深く読んだ。構造物ごとの相対沈下量は特に機械基礎には重要であり通常は杭基礎となりがちであるが、たとえば直接基礎を採用し、等沈下させる条件で設計を行ったとすれば、非着底式地盤改良基礎はケースによってはコスト面で非常に有利な基礎形式となると考えられる。このような斬新なアイデアは性能設計的な要素があり、これからの土木設計には非常に重要なことと思われる。発想の転換という意味で大変参考になった。
(西松建設 和田 淳)
私にはちょっと専門的過ぎて、なにがいままでどう違うのかが分かりにくかったです。
(岡山大学自然科学研究科 井保大志)
私自身も土木遺産に興味を持っていますので、非常に興味深く読むことが出来ました。
(福岡大学工学部社会デザイン工学科 渡辺亮一)
土木紀行という企画は非常にすばらしいと感じました。ともすれば、技術的、経済的、実用的ということだけに目を向けて設計を進めがちな現在の状況に一石を投じる記事を期待しています。
(東洋エンジニアリング株式会社土建設計グループ 藤原武彦)
本文中にもあったように、初めに写真を見た瞬間に「マディソン群の橋」と感じた。こういったものが現在でも生きてるんだと、嬉しく思いました。当たり前の風景だが、この橋の持っている「懐かしさ」や「青春」・「郷愁」などの感覚は長い年月を懸けて、生まれてきた物である。橋の写真を見ただけでも、なぜか今まで流れてきた時間を感じ取れたようであった。田丸橋のような景観に溶け込んだ土木構造物は次世代に残していくべきだと考える。
(東北工業大学 中居良行)
「そこに住む人たちの愛着があって、親が世話していたものを、子供は壊すことはできません」との言葉に、豊郷小学校改築問題を思い出した。構造物を保存しようとすると、その周辺環境も一緒に保存しなければ、その歴史遺産価値はなくなってしまう。古いものを残すことができる環境を守るのは大変だと思っていたが、上記の言葉に、いろいろ考えさせられました。
(大成建設 今枝拓也)
本記事の「屋根のある木橋が菜の花畑の中に架かっている」写真にまず目を奪われた.
本記事が紹介するように、神社の廊下の延長として屋根のある橋が架かっている例はよくみられるが、生活道路にもこのような形式の橋が古くからあったことには驚かされた.屋根をつけた目的は老朽化や腐食を防ぐことにあったと紹介されているが、私は、屋根が橋の剛性を高める上でも大きな役割を果たしていたものと推測する.当時の設計者がそこまで考慮していたかどうかはわからないが、屋根はピアがないことを補っているのではないだろうか.また、この橋は屋根を付けたことで語らう交流スペースやホタル等の干渉の場としての付加価値がついたとも紹介されている.現在の橋でもペデストリアン専用の屋根の付いた橋がいくつかあるが、その目的は単に移動のための動線としか意識されていないことが多いようである.土木遺産は、現在の橋の利用方法を改めて見直すように語りかけているのかも知れない.
(東北学院大学 石川雅美)
記事を読んでいると「屋根のある橋」は昔から地域住民の生活に密着しており、非常に実用的なものだったという情景が目に浮かびます。違和感なくその場所にあり、地域の人々がその土地に相応しい状態(屋根を葺く)で守りたくなる構造物。洗練されたデザインの構造物とは、自然状態や人間の活動などを含む大きな視点で捉えたときにバランス良く、なおかつ実用的に造られているものを指すのだと思います。
(東亜建設工業 目黒葉子)
土木と自然との調和ということを深く考えさせられる記事でした。これまでもこれからもこのテーマは我々土木技術者にとって恒久のものであると思われます。また、誰よりもこのことを常に考えていかなければならないのも我々、土木技術者なのではないかと改めて考えました。時には都会の無機質な構造物ばかりでなく、自然の中に違和感無く存在している構造物を目にすることも必要なことのような気がします。構造物の存在意義は実用性だけにあるのではない、ということを強く感じました。
(全国建設研修センター 緒方英樹)
菜の花に囲まれた屋根つき橋の写真がとても情緒があって、ぜひ訪ねてみたいな、と感じさせてくれる記事ですね。木の老朽化を防ぐだけでなく、農民が休んだり、ホタル観賞に使われた―というエピソードも、人々に身近な土木遺産であり続けていることが伺えます。ただ、なぜこの内子町に4つも屋根つき橋が残っているのだろう、そもそも全国にどれくらいあるのだろうか、他の地域では保存活動などが起こらなかったのだろうか。。。。などなど、さらに知りたい思いが残ります。紙面の都合もあるでしょうが、もう少し、全体の様子が分かれば、と思いました。
(元中国新聞記者 大川富美)
記事の中にあった、田丸橋の意外な広さ、懐の広さというものが写真からはあまり感じることができず、残念である。
(横浜国立大学大学院 加藤大)
マディソン郡の橋の焼失は、映画に思い入れがある(といっても不倫に憧れるということでは決してないが)ためかとても胸の痛い出来事であった。マディソン郡には、映画に出てくるヒマラヤスギ橋のような木造橋が全部で5つあり、これらはすべて史跡に指定されているそうだ。放火の可能性が高いとのこと、人間の手で自らかけがえのない遺産を壊したことは非常に悲しい。増してや、日ごろ橋に接してきた人々の悲しみは計り知れない。
屋根付き木造橋は合理性かつ自然との調和に優れている。価値観を合理性に求めるか、景観を重んじるか、不況の時代においてこのバランスが再びくずれつつあるような気がする。公共事業の必要性がより重要な議論の対象となり、事業費・将来の需要予測について世間からより注目されてきている昨今、ともすれば無機質になりがちな土木構造物を、人々に長い将来に渡り愛され続ける「もの」を作り上げていくことが、我々技術屋の腕の見せ所であり本来の使命であるのだと、改めて実感した。私が携わる新幹線建設において、人々の目に止まり安堵感を覚えるようなものを作りあげ、遠い将来地元住民の方々の「新幹線保存会」が作られるという夢は、大きすぎる夢だろうか。
(日本鉄道建設公団 本堂 亮)
記事の内容から、田丸橋は地元の方に非常に愛されているということが分かりました。私は現在、橋梁関係の業務に携わっており、規模が大きな橋や新しい技術を取り入れられている橋梁に携わることに興味を持ってしまいがちですが、田丸橋のように使っている人たちの顔が見える橋梁を架けることも私にとっては土木技術者の理想であると感じました。
(清水建設株式会社 太田智久)
周囲の環境と調和した「田丸橋」は,非常にすばらしい土木遺産だと思います。田丸橋は単に端そのものが美しいだけではなく,周囲との調和が美しいのでしょう。それゆえに地域の人々に愛され,手間や費用が惜しまれることもなかったのだと思います。私も,将来この田丸橋のように人々に愛される構造物を作りたいと思いました。
(京都大学 林 芳樹)
このような構造物を見ると心がほっとします.今日では「景観に配慮した」とはいってもこのようにすべて木造とした構造物はほとんど見かけません.現在では効率的な施工等が叫ばれておりますが,こういったものに立ち返るということも時には必要ではないでしょうか.
(京都大学 玉谷宗一朗)
我々土木技術者が作るものは、一度作ってしまうと余程のことが無い限り、50年以上はその場所に残る、いや残ってしまうと言うべきか。長期にわたり人の目にさらされ、人に使われるのがインフラストラクチャーの宿命である。そう考えると今回の記事の田丸橋の様に、機能や経済性のみではなく、さらにプラスαが重要な要素となってくる。田丸橋の場合は、「風景とマッチした構造物」という要素があったから、今でも地域の人々に愛され続けているのであろう。設計当時、設計者の景観に関する意図があったかどうかは今となっては定かではないが、「写真−1」を見る限り実に周辺とマッチしていると思う。常日頃からこの様な感覚を鍛えておく必要を感じた記事であった。
((株)ドーコン 野田敬一)
「屋根のある橋?」7月号の目次を眺めているときに,ふと目に止まった.私が想像した屋根のある橋とは,大型店舗と隣接する駅や駐車場を結ぶ歩道橋や,駅構内のプラットホームを結ぶ橋であり,いずれも都会的であり橋というよりも渡り廊下に近い感覚であった.しかし本誌に掲載されている田丸橋はのどかな風景に佇む木橋に屋根がついており,渡り廊下とは思えない.それでは「なぜ屋根があるのだろう?」という疑問を私も含めて多くの読者が抱いたと思う.記事では,田丸橋の橋歴や屋根の存在意義など,詳細かつわかりやすくレポートされており,想像力をかき立てられる内容であった.とくに,周辺の景観に調和した橋が屋根を持つことによってコミュニケーションの場となり,「癒し」の空間を提供する構造物に変化したことに感銘を受けた.機能の違う複数のものを組み合わせて新しい機能や価値を見出す意味で,最近良く「コラボレーション(collaboration)」という言葉が使われるようになったが,田丸橋の場合もまた,時代を超えたコラボレーションの遺産といえるのではないだろうか.
(広島大学大学院工学研究科 海田辰将)
なにげなく使っている電気。この記事を読んで今の暮らしがどれだけ電気にお世話になっているのかを再確認することができました。また、電気のような私たちの暮らしを支えているエネルギーのありがたみをひしひしとかんじました。
(岡山大学自然科学研究科 井保大志)
土木学会誌をこれまであまり読んでこなかったこともあり,この記事は"ちょっと休憩"といった感じで一番抵抗なく読むことができました.日本の土木関係者は全国民の1割程度と言われていますが,その中で土木学会誌を読んでいるのはさらにその0.2〜0.3%程度でしょうか.その極限られた人たちが理解する難しい話ばかりでなく,多くの土木関係者がなるほど,と思える記事があってもいいと思います.
私的には,いつか野球好きの子供たちと,「ドームの高さはこうやって決められているんだって.」「へぇ〜.すごいね.」といった会話をして,少しでも土木に興味を持ってもらいたいわけです.
(ショーボンド建設(株) 小牟禮建一)
NHKの「プロジェクトX」を見ていて感動するのは、新技術へ挑戦する姿勢と発想です。「ドーム球場の屋根の高さ」も、知的興奮を覚えるものでした。たまたまモニターになったので読むことができたのですが、ラッキーでした。
(山梨日日新聞社 深沢健三)
ドーム球場の屋根の高さは、当然打球の高さを完全にクリアする高さだと思っていたが、その他にも日陰規制、音響などによる制約があり、当時の設計者の苦労がしのばれた。今までにない新しい構造物を作ろうとしたとき、設計者はいろいろなケースを想定し、時には失敗を繰り返しながら設計していくのだろう。
(清水建設 藤田 淳)
興味を持った理由、それは単に野球ファンであるから。このような単純な理由で興味をひく記事は多ければ多いほど良い。専門性、技術性が高くとも、その入り口は簡単であるのが望ましい。
制約の中でも論理と実測による設計をし、合理的であると感じられる。ところで、大阪ドームは天井に良く当たっている印象があるが、別の設計者であるから、と言うことなのだろうか。
(日本鉄道建設公団 水越 潤)
とても興味深く読ませていただきました。学会誌というものを初めて読んだので、何とも言えないのですが、このコーナーは土木をあまり知らない人にとって、土木への興味・関心を持つきっかけになると思います。また、現在土木に携わっている人にとっても、豆知識として楽しく読めるのではないでしょうか。説明も分かりやすかったので、次回も楽しみです。
(呉高専 渡辺まゆ)
ドームの高さは打球がぶつからないようにできるだけ大きく作っていて、あとは経済的理由や技術的限界によって決まっているのだと思っていました。しかし、この記事を読んで、風や気圧の影響などを考慮するという工学的な考えが使われていたり、打球の軌道を観測して統計的に解析しているなど驚かされました。また、天井やスピーカにあたるのは技術者の創造を超えるほどとてつもないパワーを持つ選手が出てきた象徴のように感じていましたが、1年に1度当たる計算であると聞いてたいしてすごくないのだと思いました。
(東京大学応用力学/岩盤研究室 浜谷健太)
純粋に面白かったです。東京勤務時代には何度か足を運んだ東京ドームですが,屋根はもっと単純な曲線を描いているとばかり思っていました。技術屋として建物が原因の珍プレーが屈辱となる気持ちは十分理解できるのですが,その一方,野球ファンとしては豪快な打球を見たい気持ちもあり,正直複雑です。
(中国電力 加藤拓一郎)
ドーム球場の屋根の高さを決めるのに、多くの法的規制や構造上の制約が係っていることが理解できた。また、ドームでの打球が屋外に比べてよく伸びるように感じられるのは、空気圧が関係しているのだろうか。それにしても、東京ドームの竣工時に比べ道具(バット、ボール)の進化と打者のパワーアップには目を見張るものがある。1プロ野球ファンとして、今後はせめて140m級の打球が屋根に当らないようなドーム球場を建設してほしいものである。
((株)コスモ・インテック 富永哲也)
仕事上、私にはまず接点の無い野球場の設計の話、とても興味深く、思わず顔の筋肉が緩むような記事であった。東京ドームを始め、ドーム球場の天井高さは打球が当たらないよう設定されているという話は以前にもちらっと聞いたことがあるが、この記事を読み大変な苦労があったのだと感心した。都心部の日陰規制の中での制約、ドーム内気圧も考慮した形状、過去のデータ収集によるボール弾道予測、そして美しいフォルムの外観等、多方面から検討を重ねに重ね、それは想像を超える産みの苦しみがあったことだろう。セリーグ公式記録から年間のホームラン記録を調べる作業やホームランボールの測量などは、もし野球ファンであれば楽しそうな作業であるが。「ビッグエッグ」の愛称は、そうした様々な苦労を重ねて産み出した大きなタマゴという意味も含まれていたりして?!などと、余計なことを考えてしまった。
(日本鉄道建設公団 本堂 亮)
東京ドームに訪れ、フライが上がるのを見るたびに、いつも頭に浮かぶ疑問がそのままこのレポートの題名である。「ドーム球場の屋根の高さはどのように決めたのだろう?」と。私は「信頼できる根拠作り」の章にあるように投球と打撃に関する各種条件による理論的なシュミレーションでのみ決められているものだとばかり考えていた。しかし「実際の試合で発生する打球を調べる」にあるようなトランシットによる地道な打球の調査があるとは思わなかった。天井に打球が当たる統計的な確率もほぼ現実にあっているとのこと。机上計算だけでなく、現場を見る、といった技術屋としての原点を見た気がした。
(西松建設 和田 淳)
近年テレビ中継を見ていて,ドーム球場で天井まで達する打球を打つ人がいるんだなぁと打球の主のパワーにただ驚嘆しておりましたが,それが設計に携わった方の頭を悩ませていたのは知りませんでした.しかし,昨シーズンを通しても天井にまで達した打球は数えるほどで設計の正確さに驚きます.観測や解析などによって裏打ちされたデータに基づいた上で設計することの大切さを改めて知りました.
(京都大学 玉谷宗一朗)
野球が好きでよくプロ野球を見ており、ドームの天井に打球が当たってしまう、といったシーンは何度か見ていました。こういった身近なところでの話だったので、興味を持って読むことが出来ました。
(岡山大学大学院 古谷隆志)
ドームの屋根の高さは、ドーム内部・外部の両方を考慮した上で、綿密に計算され、決定されていることを知って、ドーム等の巨大構造物の建築に興味をもちました。
(岡山大学自然科学研究科 井保大志)
東京ドームでの野球中継でホームランが出るたびに,天井直撃を期待してTVを見ている私にとって,この記事は非常に興味深かった.また,難しい話抜きで誰でもわかるように執筆されており,野球という身近なスポーツの中で,ホームランボールの軌跡をドーム建設のために明らかにしようとする設計者の方々の様々な試みとその姿が目に浮かぶようであった.また,多くの法的規制や外部荷重に加えて,バットとボールの摩擦までも考慮した結果建設されたドーム球場の屋根は芸術の域であると思った.執筆者は天井直撃の特大アーチによる珍プレー好プレーを耐えがたい事態と表現しており,設計当時の予測を超えるホームランを危惧しているが,野球ファンの私はこれからも天井直撃アーチを期待したい(笑).
(広島大学大学院工学研究科 海田辰将)
昨今、一般市民やマスコミの間で建設業界の評判は残念ながら芳しいとはいえません。土木学会はじめ関係諸団体においてもいろいろな努力をしているが、なかなかイメ−ジが向上しないのが現状です。
このような中で、本記事のような、業界や専門分野と直接関係のない、また会社としても直接利益につながらない地道な努力が継続的に続けられていることは大変重要なことだといえます。
土木学会誌としても一般市民への工法はもちろん重要ですが、このような記事を読者に紹介することも大変有用なことだと思います。今後ともぜひ継続的に取り上げて頂きたい。
((株)大林組 佐村維要)
モニターは初めてなのですが、大変勉強になりました。私は現在、高専で土木を学んでいる者として、最近の建設業界に対する批判を複雑な気持ちで受け止めていました。しかし、今回の記事によってこれからの建設業界のひとつの在り方・可能性を知り、この業界には「まだまだたくさん魅力があるんだ!」と前向きな気持ちになりました。
(呉高専 渡辺まゆ)
私は緑地の計画・設計に8年間従事している者です。千鳥が淵の桜が江戸時代からのものではなく、昭和30年代の区の事業だということが、何だか嬉しい気持ちです。今と同じような仕組みの中、誰かのアイディアが採用されたんですねえ。
桜を植栽するときは、毛虫がつくので住空間に近い場所を避けた公園や河川などで植えるようにしています。特に、掘込みの小さな水路沿いの両岸(川の内側)に桜を植えた場合は、桜の枝が水面に向かって長く伸び、満開時には桜のアーチが創り出されて、水とのコントラストが美しくて大好きです。千鳥が淵の桜もアーチまでは行きませんがこの部類で、さらに周辺施設と調和して独特の雰囲気を醸し出しています。とても好きで良く歩いています。
植物って成長するものなので、植えた時には評判にならなくても、一生懸命考えて設計していれば、何十年後かに情緒深い場所になっている。そう信じてこれからも頑張りたい。
(独立行政法人土木研究所河川生態チーム 野間)
石垣の工学的見地からの評価がわかりやすく解説されていたので、非常に面白かったです。
(福岡大学工学部社会デザイン工学科 渡辺亮一)
東京都平和島に六角間知ブロック積と呼ばれる護岸がある。昭和34年に施工されたコンクリートブロック積である。薄いコンクリート版(6cm)と3枚の控え壁(35cm)、中詰め栗石の構造系であり、力学的な安定がどのようにとられているか不思議であった。土木学会で調べたり、メーカーに問いあわせたりしたが資料となるものは見つからなかった。
このような経験から、城郭石垣の謎に迫るを興味深く呼んだ。
城郭石垣の修復にあたり、古文書の調査、地質調査、現地観測、安定解析等を実施しているとのことであった。
伝統的工法、歴史的構造物の保全、見直しは紹介されているような多くの調査研究、検討がなされ実施されていることに感心しながら記事を読んだ。
(復建エンジニヤリング 樋口邦治)
昔(江戸時代)の人々は,「何を元に城などの大規模な建物の建造していたのか?」現在を生きる私にとって素朴な疑問である。確かに昔の人たちの経験の積み重ねによって今の土木工学が確立されたとは言えこの話題は400年も昔の話である。しかし,記事によると城の石垣について工学的見地から考察を加えると,石材が利にかなった使われ方をしており十分安定性は確保されているのである。そういったことから推測すると当時から(何回か修復しているとしても)何かしらの経験的な,あるいは工法的なものがあったのは間違いない。土木工学の歴史を考えさせられる話題であったので興味深く読ませていただきました。
(西松建設 矢部昇一)
当たり前の結果だったので、物足りなかったです。
(独立行政法人土木研究所河川生態チーム 野間)
城郭石垣は世界に誇りうる日本の土木遺産である。その多くは今から約400年前の 戦国時代から元和の一国一城令の頃に構築されている。このわずかの間に、自然石を用いた「野面積」から、加工石材を用いた「打込ハギ・切込みハギ」へと施工技術を進化させ、プレキャスト化・大量生産化を実現している。また、合力の作用線(示力線)に合致した 石垣勾配(寺勾配)を採用することで、高くて安定した構造を生み出し、石垣本来の目的である外敵からの防御機能を向上させている。おそらく幾多の失敗を繰返し、経験の中から培った技術であろうが、400年の時を経て存在する石垣を見ると、先人の高い技術力を思い知らされる。近代土木の技術を結集し、当時の風合いをできるだけ残しながら、この優れた文化遺産を後世に残していってほしいものである。
((株)コスモ・インテック 富永哲也)
現在の練積造よう壁の先祖である石垣の修復事業に、先人の技術力と経験則を垣間見ることができ、ロマンを感じました。「石垣のたわみ比と根入れ比との関係」のグラフは貴重なデータであると思いました。
((財)東京都新都市建設公社 宇野久実子)
私は城が好きで、この仙台城にも石垣修復工事が行われている時に行きました。何処の城に行ってもそうですが、工学的理論や機械がなかった時代に、よくこのような大規模な石垣などを作ったなぁと感心します。このような石垣に関して工学的な種々の検討がなされたとの本記事を、非常に興味深く拝見しました。また、いつか、このような紹介があると良いと思います。
(JFEスチール(株) 大久保浩弥)
半年ほどまえに、パートナーリングの紹介する記事があり、それの続報かなと思いました。事故による指名停止が無いことや、工事検査写真が無く、検査完了書へのサインが確認となるのは新しい発見でした。ISOへの対応やエージェンシー制度が導入されて、公共事業の発注や施工の進め方がどのように変化したかを、さらに知りたくなりました。
(大阪府庁 岡田敏男 )
筆者は海外の土木工事に約18年従事され、これらの貴重な経験は多くの読者の興味を惹くものであり、また小生も興味深く記事を読ませていただいた。
だた一つ残念だったのは、記事の内容が総花的であったことであり、むしろ一つのプロジェクトに話題を絞り、入札から施工までを深く掘り下げた記事とした方が良いのではないかと思う。
(本州四国連絡橋公団保全部橋梁保全課 杉本 健)
海外勤務を希望しているので、大変興味深く読ませて頂きました。一口に海外と言えど、欧州,アジア,アメリカ,南半球の3つの大陸等の色々な地域が有り、またそれらの地域の中には、更に色々な国が有って、そこで仕事をするには、その場所特有の慣習が有ると思います。国により、地域により、仕事をする上で、どのような事に気を付ければ良いか、主要な国・地域の比較という形で、今後特集などが有ればいいなぁと思いました。
((株)大林組 村井大亨)
海外の土木事業にはもともと興味があったので、興味深く読ませてもらった。コンサルタントの方の紹介も行ってもらいたい。特に、「明日の海外勤務のために」のボリュームを増やした内容を期待する。
(復建エンジニヤリング 甲斐友紀子)
海外経験がないせいでしょうか、あまり興味の持てない記事でした。
(匿名)
身近にも海外勤務を続けている知人が居るため、題名に興味を持ち記事を読ませて頂きました。紙面の都合もあるかと思うのですが、「入札」や「工事施工」に関して日本との違いが明確には分からなかったことと、「明日の海外勤務のために」という提言についても漠然としてイメージがつかめなかったことが残念です。海外勤務で大変な経験をされている方の本音として、ご苦労や失敗事例といった内容も盛り込んで頂ければ、書かれている提言の重みが理解できたのではないかと思います。
(本州四国連絡橋公団 鳥羽保行)
本文は欧州の入札、施工の実務を、多数の御経験を有する筆者が簡潔にまとめたもので、大いに参考となりました。特に興味を引いたのが、施工監理にコンサルタントを活用することです。日本の公共事業では従前にはあまり見られなかったことですが、欧州では通常に行われており、その権限も大きく、即ち責任が大きく、それだけコンサルタントには監理・技術能力が問われることになります。
日本ではそのような土壌が醸成されていなかったため、欧州レベルまで到達していないように見受けますが、今後はその方向にあることは間違いのないところでしょう。ODAの無償資金協力では、まさにコンサルタントが途上国政府の施主に成り代わって施工監理を担当するシステムが採られています。
ところで、日本のコンサルタントは調査・設計を主とする業務が多く、実際に施工監理の責を担える人材を育成するのに苦労しているように見受けられます。また、無償資金協力の制度上の制約もありますが、調査が十分でないため、施工の過程で設計を変更することが少なからず生じます。
色々な問題を抱えつつも、筆者が記しておられたように、日本でも発注者側の行政改革により、コンサルタントの施工監理業務は今後内外に関わらず増える傾向にありましょうから、それに対応し得る人材をより多く輩出していただくことで、欧州並みの環境に近づいていくのではないかと思う次第です。
(国際協力事業団 矢部哲雄)
国際化が叫ばれて久しいが、建設業界にいて私のように国内の業務をやっている人間にはなかなかピンとこない話題なので、思わず読んでしまった。わが国と比べると工事の入札や施工においてかなりの違いがある、とコンサルタントに勤務する私は感じた。特に施工時おけるコンサルタントの関わり方がわが国とは違うのに興味を持った。今回の記事では、その辺についてはあまり詳しく書かれていないので今後自分で調べてみようと思う。また、筆者の方が最後に提言されていた内容を読んで、改めて技術者であっても語学力が必要な時代になって行くのを実感した。
((株)ドーコン 野田敬一)
最近最も不安に思ったのはSARS日本上陸の危険でした.伝染病に国境は無いと痛感させられました.ワクチンの早期発見が最重要視されていますが,伝染病に強い生活環境の整備も共に注目されるべきだと思います.ゴミ管理にカラス対策,ビオトープ運動に廃棄物の不法投棄,どれも今,新聞やテレビで報道されていますが,これらが単独の問題ではなく,すべてが連鎖している問題であることに改めて考えさせられました.
(畠中淑乃)
最近、ビオトープや多自然工法などが、もてはやされていますが、せっかくの取り組みも維持管理をしっかり行わないと、ゴミが集積したり、水が澱んでしまい、たちまち、「ミニ・ビオトープ」になってしまい、媒介蚊の温床になります。自然と共存した社会資本を整備するには、作るだけではなくて、どうやって維持管理していくか、つまり、運営までをしっかり考えることが大切だと感じました。
(大阪府庁 岡田敏男)
熱帯地方などを起源とするウイルスによる疾病の感染拡大を防止する上で、ビオトープがウイルスを媒介する蚊の発生量を増やしかねず注意が必要だという点は考えさせられました。自然との共存の難しさ。自然破壊がひとつの原因だとも言われる新種のウイルスに対し、自然の再生、共存を目指す所でそのウイルスが拡大しかねないという皮肉な話です。自然環境と都市空間を分離せず、どう折り合いをつけていくのかも土木工学の役割だと思いました。
(千葉県 佐藤健一)
インフラストラクチャ−整備において、ウイルス媒介生物の存在を考慮して計画する。このような形で、熱帯病対策に土木工学が役割を果たせることを知り、大変感銘を受けました。同時に、現在の快適で衛生的な生活は、土木技術者が築いたインフラストラクチャ−の上にあることを再認識できました。
昨今、閉塞感が漂う建設業界ですが、更なる国民生活改善のために、土木技術者として意識レベルを上げなければならないと感じました。
(三井住友建設 小出孝明)
近年のSARS騒動もあり、日本に住んでいる我々とて感染症とは無縁ではない。そのようなこともあり小生も記事を読ませていただいた。投稿において筆者は「今後は熱帯病の国内感染に対しても土木工学が貢献できることを理解し認識してほしい」と書かれていたが、小生が読んだ限り、むしろ土木工学が熱帯病対策において果たせる役割が限られたものであることを露呈しているような気がしてならない。むしろ発展途上国におけるインフラ整備による環境改善効果といった観点から議論を進めた方が良かったのではないかと思う。
(本州四国連絡橋公団保全部橋梁保全課 杉本 健)
SARS騒動において日本の危機管理体制は,いろいろな面において不安材料を露呈してしまう形となった.これはいい意味で言いかえると危機管理体制を整える訓練のチャンスでもある.今回,この記事の「熱帯病対策として感染に備えるインフラストラクチャーの整備による環境改善,ごみ管理 ,敷いては空港立地等から土木工学の役割を・・・」という内容に付いては,やはり医療・生態系等の専門的知識なくしては発想されない部分である。環境問題と絡めて述べられている点が土木とリンクする点ではあるが,私としては最先端分野であるため,あまりピンとこない話題であった.
(西松建設 矢部昇一)
回答段階(2003年7月)ではSARS禍も一応の終息を宣言されたとは言え,本稿で例として挙げられた西ナイルウィルス脳炎をはじめとした熱帯病の問題は,本格的な夏を迎える前のトピックスとしてタイミング良く,また,ホットな話題として興味深く拝見させて頂いた.そして,地球温暖化やヒートアイランド現象などに伴い,今後の著しい変化が予想される温度や湿度などの気候の地域特性も考慮したインフラ整備の重要性,ならびにそれに携わる土木事業の課題を再確認することができた.
(電力中央研究所 佐藤隆宏)
熱帯病対策にも土木工学がかかわっていることに驚きを感じました。確かにインフラを整備することによって蚊の発生などを防ぐことは出来ると思っていましたが、それはあくまで国内での話であって、航空機などによって運ばれてくるウイルス保毒蚊などの対策にもつながっているとは驚きです。このような話をもっと伝えていけば土木のイメージアップにもつながっていくと感じました。
(横浜国立大学 桝谷有吾)
ウエストナイルウイルスに関する知識が増えましたが、土木工学としての役割があまり見えてきませんでした。
(東洋エンジニアリング(株) 菅原紳二)
熱帯病は、地球温暖化を防止することが主な防止策であるとして考えていました。しかし、土木工学でも熱帯病感染対策についてできることがあるという新しい知識をいただきました。
(岡山大学大学院 古谷隆志)
本号の特集である「交通需要予測」にもつながることではあるが、やってみなければわからないという不確定要素が大きいのが土木の世界には多い。その意味で、既存のストックを有効活用するために社会実験を「やってみる」という姿勢は非常に良いことではないだろうか。その結果から、さらに第2案、第3案の有効活用に向けた提案が生まれる可能性もある。東京湾横断道路や本四連絡橋など有効活用されていない大規模事業も、社会実験によって評価ががらりと変わるかもしれない。
また、「作る」から「使う」への転換(既存ストックの有効活用)という言葉に、今後の土木の姿があるように感じた。今までの土木は、「作る」ことに意識が集中していて、「作ったものを有効に使う」という視点にかけていたのではないだろうか。作ったら作りっぱなしではなく、新規に構造物を作る段階から有効活用する提案をすることまでが土木技術者の役割となれば、世間から冷たい目で見られている現状も変わっていくような気がする。エンドユーザーである市民の使い勝手が想像できなければ、良い構造物を作ることはできないと感じた。
(清水建設 藤田 淳)
地方都市圏で、総合交通計画、道路網計画を策定する場合、高速道路は、より広域的な機能を有していることからその存在を前提とした上で、都市圏内の一般道路網等の交通体系が検討されてきた。地方の所得水準からみて高速料金の割高感があることもあって高速道路が十分に利用されず交通量が少ないのに対し、並行する一般道路の混雑が予測され、追加的な一般道路の整備が提案される場合も多かったと思われる。今後、自動車交通需要のピーク後の減少が予想される中、既存の交通基盤の有効活用は最も重要な視点の1つであり、本記事のような具体的な取り組みが紹介されたことは他の都市圏にとっても大いに参考になったと思われる。本記事は、既存のインターチェンジを活用した例であるが、都市圏内で高速道路を有効活用するには、都市圏内にインターチェンジを追加新設することも必要になると予想され、有効なインターチェンジ配置や料金設定の定量的検討やインターチェンジ整備への一般道路整備の代替効果を踏まえた助成拡充が望まれる。
( パシフィックコンサルタンツ株式会社 木田川 誠司)
最近、国土交通省が全国の有料道路20路線で料金割引実験を行う、とのニュースがあったが、今後のETCを利用した弾力的な料金適用に向けての基礎データとして、このような実験はもっともっと行ってほしい。この記事の日東道の場合、料金半額で交通量は2倍になり、既存道路の渋滞も半減という、すばらしい好結果になったようだが、こうなると利用者からは恒久的な料金改定要望が強くでているはずである。記事の最後にあるホームページを見てみると、交通状況写真もあり分かりやすかったが、3月末に行われるとの平成15年度準備会からすでに3ヶ月以上経っているのにその方針について記述されてなかったのが少し残念だった。
(大成建設 今枝拓也)
通行料金を基本とした現状の有料道路制度では、全国一律な料金制度となっており、地域や道路の実情には応じていないとの意見が以前からあった。また、高速道路料金の値下げは、収入が下がるという実験結果もあり、適用が難しかった。
そのような中、社会実験という形ではあるが、高速道路料金の割引を実施し、一般道も含めたデータを収集することが出来たことは非常に貴重であったと思われる。
私の個人的な意見としては、今回の社会実験を参考に、高速道路の通行台数の増加以外に、隣接する一般道の渋滞緩和など、料金値下げの効果が大きいと考えられる場合は、国費を投入するといった大局的な判断も必要ではないかと思う。
一般道と高速道路が一体となり、どのような使い方が地域として望ましいのか、全国一律の考え方ではなく、それぞれの地域に即したスタイルを求めていくことが重要であり、道路公団が民営化になれば、そのような考え方で関係機関と施策を進めていく必要があるし、出来るものだと考えている。
(日本道路公団 田之脇 良徳)
大変おもしろい記事だと思いました.高速道路料金を半分にすることで,バイパスの渋滞が緩和されただけでなく,高速道路の利用者が倍増したことで収益も上がるという,まさしく管理者,利用者の双方に利益のある非常に意味のある試みです.そして一番興味深かったのは,今後の料金割引の方法について,「道路公団独自の経営努力で割引」という意見と同じ位,「国や自治体の補助,税金の投入」の意見が多かったことです.現実問題として国の補助や税金投入には問題があるかもしれませんが,この結果は,国の試みを十分に理解したうえで我々も責任を分かち合う,との住民の意志表示に思えます.今回の実験のように,住民を巻き込んで興味を持ってもらい,お互いの責任で何かを決定していく,という流れが広がっていけばいいな,と思います.
完成した構造物を見て,「この構造物はオレが造ったんだ!」という喜びを我々は知っているはずです.住民の方にも同じ気持ちを味わってもらい,同時にその事業に責任をもってもらうことが,今後の土木のあり方の理想に思えます.
(ショーボンド建設(株) 小牟禮建一)
これまで、高速道路は全国料金均一制を貫いてきて、距離に応じて課金されていましたが、TDM政策の一つとして料金を操作することによってインセンティブを与え、交通を制御しようというい考えが進んできています。その社会実験であるこの記事があるわけですが、料金値下げによって想像以上の転換率であると感じました。個人的な見解では、不景気ということもあって多少料金を低くしても時間よりも料金を取るドライバーが多いであろうと思っていましたので。このような意味で、この記事はとても興味深いものでした。
(東京大学応用力学/岩盤研究室 浜谷健太)
大々的な社会実験は、効果的な施策を実現するために必要な行為のはずですが、おそらく関係機関との調整などが難しく、実行に移すのは決して容易なことではないと思います。したがって、高速道路の時間帯料金割引による渋滞緩和効果やアンケート調査の結果をデータで示した本記事は、大変有効だと思います。実験は5日間とのことですが、素人的な感覚として、料金割引による効果(定常的な変化)を把握するには短かすぎるように感じます。実験期間の設定理由や期間の制約を補う対策などについても記載して頂ければありがたいと思いました。
(本州四国連絡橋公団 鳥羽保行)
本記事における社会実験は非常に興味深いものでした。公共施設であっても採算性は重要であるとは思いますが,第1の目的は人々の暮らしが快適になることだと思います。そういった意味では,高速料金を半額にすることは非常に有効な手段であると思います。全国にはここで示された日東道以外にも,割高感のために有効に利用されていない公共施設が数多くあると思われますので,今後はそういった施設に関してもここで行われたような社会実験を行い,料金の引き下げなどを検討していただきたいと思います。
(京都大学 林 芳樹)
この実験により5日という非常に短い期間でも料金を改善すれば渋滞が緩和できる結果が得られたのでこれを踏まえた上で早急に対応策などを講じていって欲しいと思いました.
(京都大学 玉谷宗一朗)
車で比較的よく遠出する私にとって,渋滞と高速料金は頻繁に天秤にかけられる.すなわち,「一般道か高速道路か?」.したがって,本記事は非常に興味深い内容であった.しかし,記事を読み終えた後の正直な感想としては,時間帯および地域別(または路線別)別に変更された料金のみで渋滞を緩和しようとするアイデアに大きな戸惑いを覚えた.結論から言えば,局所的に変更された高速料金で渋滞は確かに緩和できるが同質の交通サービスを全国に提供することは困難であると思う.その理由として(1)渋滞を評価・判断する基準が人によって違う(2)新規路線の開通や路線の拡幅工事に伴う影響が考慮しにくい等が挙げられる.つまり(1)では地域別に設定された料金を見て,利用者は全員納得できるだろうか?(2)では割引路線の渋滞が高速道路以外の理由で緩和された時に高速料金を再び引き上げる(もとに戻す)のか?私は高速道路を渋滞緩和に利用するのであれば,全国的に料金を引き下げて,利用者を増やすのがベストだと思う.そのためには携帯電話の例を参考にしてETCを全国的に普及させることが必要不可欠である.携帯電話も当初は割高感から敬遠されていたが,わずか数年で爆発的に普及した.これは最初本体および手数料を無料同然の価格で提供し,利用者が増えると全国一律の料金に反映させ,その後各利用者の利用形態に応じた様々な割引プランを設定する戦略が当たったためである.私はこの戦略の大部分は高速道路にも適用可能であり,その結果全国レベルでの渋滞緩和が可能ではないだろうか.
(広島大学大学院工学研究科 海田辰将)
「特集」に迫力がありすぎたためか、学会誌の最後を飾る読み物としては、残念ながら全般の勢いを受け止めるだけのものが感じられない.そういう意図で書かれていないこともあるとは思いますが.
(匿名)
土木学会全国大会の案内についてですが,結構なボリュームがあるため,別冊としていただけるとありがたいです。冊子がつるつるの紙を使用していることもあり,電車の中で立って読んでみると,この厚みはかなり強敵です.
(ショーボンド建設(株) 小牟禮建一)
私には面白くないが、会員には重要な情報なのだと理解します。全てに目を通さなくてもパソコン上でこの内容がキーワードで検索でき、門外漢でも活用できるといいと思います。
((財)東京都新都市建設公社 宇野久実子)
このご時世に「交通需要予測」を特集にした土木学会を賞賛したい。市民に開かれた土木業界を目指すなら、土木学会が先導するべきでしょう。今後もこのようなディープな話題を進んで特集していただきたいと思う。
(清水建設 藤田 淳)
初のモニターということで慣れないこともあり、なかなか読み進めることもできず、意見の提出も遅れてしまいました。この回答機関は、素人にとっては短くはないだろうか、と感じてはいます。次回はこのようなことが無いようにいたします。
(日本鉄道建設公団 水越 潤)
土木学会特別討論会の講師紹介の記事が少し大きいかなと思います。後ろにある「会場および座長一覧表」や「年次講演会プログラム」に比べると、活字も大きく、スペースが空いていると思います。
(大阪府庁 岡田敏男)
「土木学会誌」の存在は知っていましたが、配布するのみで読んだ事はありませんでした。今回、モニターとして今回初めて読んでみて(難しくて挫折したページもありますが)、素人にも読みやすい記事がいくつかあるのは意外でした。
(東亜建設工業 目黒葉子)
近年、学会誌もカラフルになり、また大変読みやすくなりました。今後ともこの方針を継続して頂きたい。
((株)大林組 佐村維要)
土木学会会員の退会数が激増していると聞く.不景気という近年の社会的背景も影響しているようであるが,年会費を支払うだけの十分な見返りを感じていない会員もおられるのではないだろうか?
「土木学会の活動は会費で成り立っていること」,「会員になることの特典」を土木学会誌の紙面上からも,強くアピールしてみられては如何でしょうか?
(中央復建コンサルタンツ(株) 小阪拓哉)
学会の案内が全体の半分程度を占めていましたが、その分、記事を増やした方が良いと思いました。
(東京大学応用力学/岩盤研究室 浜谷健太)
全体的に言いっぱなしの記事が多く、記述者の思想が見えないと感じました。つたなくても良いので、思想を語って欲しい。
匿名で良いので、自分の手がけた仕事で失敗したもの、その原因・反省・今後への礎というテーマで編集して欲しい。
(独立行政法人土木研究所河川生態チーム 野間)
先週土木紀行に掲載されていた大井川線に行った。このコラムは毎月楽しみにしているのだが、交通のアクセスなどをもっと分かりやすく掲載していただければ便利だと思う。
(復建エンジニヤリング 甲斐友紀子)
最終ページの建築画法特別号の広告を見て,とてもセンスがいいと感じました.
(東電設計(株) 高橋秀明)
建設業界に何人か知人はいますが、まったくの門外漢です。学会誌ということで固いイメージを持っていました。しかし「土木紀行」や「親土木入門」など、素人にも馴染めるものがあり、編集に工夫が凝らされています。後半を占める全国大会の案内部分は、さすがに大きな学会だとびっくりです。
(山梨日日新聞社 深沢健三)
私が他に入会している学会もそうですが、学会誌といえば「産官学」の「学」に大きく偏った編集をするものだと思っていました。その点、土木学会誌は話題の幅が広く、記事も比較的平易に書かれているため、身構えすることなく接していけそうな気がします。今後も、バランスの取れた編集とわかり易い記事の掲載をおねがいします。
((株)コスモ・インテック 富永哲也)
私が所属している学会では、学会誌をB5版からA4版に移行しようとしています。世の中の流れがB5からA4なのだと深く考えもせず受け入れていたので、モニター意見の中に、「学会誌の小型化」を望む声があり、自分の今までのいいかげんさに驚きました。学者以外の人も広く学会誌を読むことが前提なら、内容だけでなく、読み易い形式にも目を向けるべきなのですね。
((財)東京都新都市建設公社 宇野久実子)
特集や技術リポートなど専門的な話が多くなるときは、最後にまとめとして、ポイントを数点箇条書きなどしていただけると大変読みやすくなると思います。特に自分の専門分野以外の話は難しくて分からないことが沢山かかれています。ポイントをおさえながら読むことが出来れば、より一層興味が湧いてくると思うので是非よろしくお願いします。
(横浜国立大学 桝谷有吾)
今回モニターを引き受けることとなり、これまで「積ん読」で開くことすらあまりなかった学会誌だったのですが、初めてすべてに目を通すこととなりました。率直な感想としては、「読む価値あり!」でした。「特集:交通需要予測」などはなかなか難しい記事ばかりで理解するのに苦労しましたが、我々公共事業を行う立場として肝に命じるべき提案がいくつかなされておりました。他の記事についてもこれから仕事をしていく上で参考となる事柄がいくつかありました。今後、学会誌を読むことが一つの習慣となり、様々な分野に触れ、それらに対し自分の意見が持てればと考えています。
(日本鉄道建設公団 本堂 亮)
文字を新聞サイズにしていただくと、もっと読みやすいのですが。夜読むと目とアタマがいたいです。
((株)木の香の家 牧田誠司)
1.学会誌のサイズはA4サイズですが、サイズが大きいので、持ち運びに不便です。例えば、電車の中で読む場合には読みづらいと思いました。
2.全国大会の案内ですが、土木学会誌と別冊にすれば、当日用意する案内(確か用意されていたような気がします)の部数は減らすことなどできませんでしょうか?
(清水建設株式会社 太田智久)
土木工学を学んだ方の多くは,ゼネコン,コンサルタント,公務員などとして働いておられると思いますが,それぞれの職業でどのようなことをされていて,またどのような魅力があるのかということに興味があります。このような情報を学会誌でも紹介していただければうれしく思います。
(京都大学 林 芳樹)
熱帯病対策における土木工学の役割など,世間でのタイムリーな話題の中で,一見土木工学とは無縁に見えるSARSとの関連等について私たちができることや意識できることについての記事があるのは非常にいいことだと思います.
( 京都大学 玉谷宗一朗)
新技術や世間動向の記事の中に『屋根のある橋』のようにフッと頭が休まるような記事があり、なかなかのバランスだなと思いました。
(東洋エンジニアリング(株) 菅原紳二)
学生会員も多くいるようなので、将来の土木技術者として役に立つような、また知っておくべき土木業界のことなど学生のためのわかりやすい記事などあったらどうかと思います。
(岡山大学大学院 古谷隆志)
土木に関する様々な記事がこの一冊につめられていて、たいへん読みごたえもあり、いい本に仕上がっているとおもいます。
(岡山大学自然科学研究科 井保大志)
特集(今回は交通需要予測)のページ多すぎませんか?と言うのは、特集記事はその性質上どうしても専門的になり、その専門外の人や特にその話題に興味の無い人は読まないのではないでしょうか。今までの私をはじめ普通の読者は興味ある記事を読んで、後は飛ばし見程度で済ませていると思います。そこで特集が興味が無い記事だったりすると実際読むページの半分が飛ばされる事(今月号は、カラー76ページ中、特集37ページ)になります。私も社内誌などの編集委員をやったことがあるので編集委員の方々の苦労はなんとなく想像できますが、次年度からでも考えて頂きたいと思います。
((株)ドーコン 野田敬一)
年次学術講演会プログラムや宿泊案内などはすでにHP等で自由に閲覧・印刷・ダウンロードできるようになっており,インターネットも普及している現在,かなりのページ数を使ってまで学会誌に掲載する必要があまり無いように感じます.
(広島大学大学院工学研究科 海田辰将)
6月号に対して寄せられた「会員の声」に対する編集委員会からの回答です。以下に掲載した他に多くの企画提案および表記の改善提案をいただきありがとうございました。これらのご意見については個々に回答はいたしませんが、編集委員会で検討させていただき、今後の土木学会誌に生かして行きたいと考えております。
【ご意見・ご要望など】表紙・裏表紙に関して
表紙の写真なんですが、具体的な場所の名称・地図などが載っているといいと思います。裏表紙の解説から、横浜のみなとみらい地区だということはわかるんですが、細かい場所が載ってると行きやすいですし。実は、私は幼いころから横浜に住んでいるんですが、この様なすてきな場所があるとは知りませんでした。今度是非行ってみたいと思います。
(横浜国立大学 五十嵐学)
【編集委員会からの回答】
作品を募集した時点で考えておりました表紙レイアウトには地図を掲載することにしておりました。しかしながら,集まった作品が必ずしも場所を特定するようなものばかり ではなかったため,地図をレイアウトから削除しました。後期分につきましても地図を掲載する予定はありませんでしたが,御要望があるようなので,場所が特定できる ものについては検討いたします。尚,6月号の作品撮影場所は横浜の大桟橋埠頭の新国際客船ターミナルです。みなとみらい地区からですと,山下公園に向かって歩いて15分程です。
(表紙担当 石井)
【ご意見・ご要望など】体感できる土木ミュージアム 建設おもしろテクノ館について
夏休みに家族でどこ行こうかなぁという時期に、こういう紹介は助かります。以前に、学会誌の付録で「土木博物館めぐり」という連載があり、それを編集された小雑誌も重宝しておりました。また、土工協のHPでも、「土木パビリオン」というページがありますが、やはり、一般市民向けには「土木学会」というほうが馴染み(ネームバリュー)があるのではないでしょうか。書籍や雑誌だと過去の記事が探し難いので、【土木ミュージアムの情報を】ホームページで検索出来れば便利だと思います。
(大阪府庁 岡田敏男)
【編集委員会からの回答】
今のところ、土木学会で土木ミュージアム情報をホームページ上で検索できるシステムを作成する予定はありませんが、これから発刊される学会誌の記事は土木ミュージアムも含めて可能な限りホームページからも閲覧できるようにする準備を進めております。
(編集委員会)
【ご意見・ご要望など】
学会誌編集ご苦労様です。4月号のモニターで田中真史さんもおっしゃっていましたが、記事を身近に感じるために、執筆者の方の顔写真や略歴程度を掲載されてはと思います。さらに、編集委員会の皆様の顔写真や略歴もご紹介いただけたら、学会誌がより身近に感じるかなぁと思います。
(大阪府庁 岡田敏男)
【編集委員会からの回答】
現在、巻頭言、論説執筆者、座談会メンバー等については、顔写真、所属等を適宜掲載しております。編集委員は年1回顔写真とコメントを掲載していますが(昨年は10月号に掲載)、他の執筆者の顔写真掲載は、その必要性、依頼・掲載に要する編集作業量等を勘案し、行っていません。ご理解下さいますようお願いいたします。
(編集委員会)
【ご意見・ご要望など】
モニターの話を受けてそれが「土木学会誌」と聞いて思ったのは技術系の話が多いのかと思っていました。しかし、半年間読んでみて思ったのは、最近の話題に取組んだものとなっており、また、当り前のものを当り前に書くのではなく、話題のテーマを角度の変えた視点で捉え、大変興味深い内容となっていたので正直驚いた。
技術屋さんらしい所も残しつつ、他分野の意見を多く取入れており、話題が土木に限定されないのが良かったと思います。
もう読めなくなるのかと思おうと残念です。若い技術者のためにももっと受入れやすい体制(メールマガジンなど)を検討してみてはどうですか。
(川崎市 高橋)
【編集委員会からの回答】
現在のところ、学会誌としてのメールマガジンは未発行ですが、社会とのコミュニケーションの充実を目的に、下記のWebサイトから会員や一般の方に向けて情報発信を行っております。是非とも、ご覧下さい。
(編集委員会)
Copyright 1996-2003 Journal of the Society of Civil Engineers