土木学会誌11月号モニター回答
企画趣旨がとてもよいと思いました。写真もきれいに撮れており(当然でしょうけど)現役で活躍している土木構造物に感銘しました。中でも荒川橋梁,折尾高架橋,三見橋は当時携わったであろう土木技術者の熱い心意気が伝わってきて、自分もそういった構造物を作りたくて土木の道に入った若かりし頃の気持ちを思い出しました。
(JH 高橋俊長)
石造りの文化を持つ欧州とは違い,紙と木の文化の日本であり,地震国である日本では,古いものがどんどん壊されて新しくなり,何もかもが更新されていく中にあって,90歳を迎えた土木構造物が,建設当時の機能をそのまま維持しつつ,現在も風景の一部として残されている姿を写真で紹介してもらい,たいへん良かったと思います。特別号のみならず,通常号でも,歴史的構造物が紹介されていますが,これからもずっとシリーズとして続けていってもらいたいと思います。
(前田建設工業 赤坂雄司)
西山氏の撮影された写真に感銘を受けたのもさることながら,90歳を迎える構造物たちが圧倒的な存在感を持っていることに驚きを隠せません。最近の外観を重視といいながら,周りとの調和がとれていない構造物と違い,無視(良い意味で和洋折衷),環境に溶け込んでいるイメージを受けました。ひょっとしたら,再三学会誌でも呼びかけられている「シビルエンジニアの誇り」が構造物からも染み出しているのかもしれませんね。
(JFEスチール 芥川博昭)
土木学会創立90年おめでとうございます
施工後90年経った構造物を名称のみ文字で紹介し,写真のカットを並べるだけの構図になっていますが,それぞれに構造物の「顔」が浮かび上がってくるようで,見る側の想像力がかきたてられる感じがしました。折尾高架橋と三見橋のズシンと重みのある外観。奥沢水源階段溢流路の水の湛える様子。東京駅と門司港駅の威風堂々とした趣き。いずれも国家百年の計を考えて先人が日本の将来を思い,後世に残してくれたのだろうと思います。
これらの個性的な「顔」を持った土木構造物に比較して,現在造られている構造物はどうでしょうか?予算重視,メンテナンス重視で個性的な「顔」を否定する流れになっていないでしょうか?何も奇をてらったものや莫大な金を次ぎこんだ物,ましてハイカラ(死語でしょうが)なものが必要だと考えているのではなく,技術者が次の後世に何を残していったらよいのかを考えていった結果,自然と「顔」が表れてきたのが90年前の土木構造物であるように感じますし,現在,造っている構造物にも次世代の国民のためを考えながら造ることは必要な要素なのではないでしょうか。
90歳の土木構造物を見るにつれ,現在,技術者が技術者たるのでは無く,サラリーマン化しつつある現状への警告のようにも感じられました。
(鉄道・運輸機構 石橋英介)
多くの土木学会員よりもはるかに先輩のこれら構造物は,自然になじみ,いにしえの昔からその場にいたような存在感と魅力を見せながら,いずれも自己主張しすぎずにたたずんでいる,という一見相反するようなたたずまいを見せています。
2004年の我々の仕事は,後世にこうした感慨を持って見てもらうことができるのだろうかと自答しました。
(日本技術開発 中野雅規)
金子氏の発言に「若いひとは公害がひどくなると応用科学に行かなくなるが,応用科学しか治せる学問がない」とあったが土木の分野でも全くその通りである。公共事業に対して冷たい社会の眼が向けられている時代に,それを正していくのは土木の技術であり,我々土木技術者の使命である。こうすることによって,喪失した自信と誇りを取り戻し,本来の社会資本整備に向かっていくという前向きな姿勢が重要であると思う。
(復建エンジニヤリング 川瀬喜雄)
まずは座談会,濱田先生の最後の言葉「土木技術者よ,シビルエンジニアの誇りと自信を取り戻せ!」に共感しました。ただ,座談会全体流れとして,重厚長大なプロジェクトのためには海外に行け,ともとられかねない雰囲気があったのは残念な気がします。
大プロジェクトにエンジニアであれば惹かれるのは当然ですが,一見地味な既存ストックの有効活用技術,環境に配慮した技術なども,それに負けない重要な仕事であると思うし,やりがいを見いだせる仕事であると思います。そういった面で,再三このようなことに対するやりがいを強調されていた小林氏の姿勢に好感が持てました。こういった考え方が国内の多くのシビルエンジニアのやりがいにつながれば,と考えています。
(JFEスチール 芥川博昭)
これから土木は何をすべきか事例や提案があり,自分がこの先何を目指して仕事をしていくべきかを考えるいい機会となりました。土木事業に対する社会のニーズが「新しい物をつくる」だけでは満たされない時代だからこそ,本当に必要とされる事業を行うためにその仕組みを見直すいい機会なのだと感じました。
これからは解決すべき課題を定義し,それに沿って総合化をする能力が必要とのことです。多くの知識が必要とされるように感じ何から手をつけるべきか悩んでしまいますが,まずは問題を解決するために必要なことに対して,自分の分野にとらわれず取組もうと思います。
(東電設計 白濱美香)
この種の座談会は,しばしば毒にも薬にもならない評論に終始することが多いのですが,今回の企画は面白く読ませていただきました。その主役は,現役の学生さんの鋭い視点です。「私たちは今,必要とされているのかということが第一の不安になっています」というのは,この「必要かどうか」ということを学生さんが真剣に考えているということに対して,希望の光が見えたように感じました。さらに「日常の中で本当に必要だと思うことがあるにもかかわらず,それに対しては何も事業が起きていません」というまさに本質をついていると感じました。
(太田ジオリサーチ 太田英将)
最近の学生は総じてよく勉強するし,インターンなどの制度を利用し積極的に将来を決めようとしている学生も居る。それほど多くの学生が方向性を見失って困っているのかという疑問が湧いた。バブル時代の重厚長大なプロジェクトありきの頃と比べると,逆に学生側の選択肢が増えてきているのではないのだろうか。社会の土木屋への期待と役割が大きく変化する中で,彼らは時代に適合した役割を担うべくアンテナを張り,守備範囲を広げているようにも思う。次の機会があれば,新しい役割について土木関係者ばかりでなく外からの意見も聞いてみてはどうかと思う。
(日揮 飯塚浩晃)
本文の内容を読んでみると,結局土木屋の視点のみの議論になっており,土木構造物の使用者(もしくは最終消費者)である市民の視点が入っていないのではと思いました。
社会では公共事業不要論が叫ばれている現在,市民の視線で本当に必要なものであれば市民は何も文句は言わないでしょうが,土木屋の視点で「必要なのではないか」として巨大な構造物を作り,市民にその有用性を訴えたとしても,市民が必要で無ければそっぽを向かれ,結果として無駄な公共事業に終わってしまう,その繰り返しが続いていることが市民から批判を浴びている原因だと思います。要するに土木屋が社会的に必要に違いないと思いこんでいる思想を市民に押し付けているということなのではないでしょうか。
例えば,国が向かうビジョンを国民に明確に示すことで公共事業の有用性を理解してもらえると記載してあるところがありますが,それは「きちんと理解してもらえれば市民も納得してもらえるはず」という仮定を述べているに過ぎない気がします。
確かに公共事業は計画からしゅん工までのスパンが他の一般消費財と比較して異常に長く,途中段階で社会情勢が変わることが多々あります。しかし,社会情勢についていけなくても施工業者は発注者の注文通り造れば,利用する市民がいなくても代金は税金等から必ず入ってくる。発注者も莫大な赤字が出ても国や地方自治体という巨大な組織がつぶれることは無いとして改善しない。また,公共的な施設だから多少の赤字はしょうがないとして,それを黙認する体質になってしまっている社会情勢の変化で公共事業が無駄に終わると言うのなら,例えばその事業の計画からしゅん工をよりスピーディーに進めることによって社会情勢に遅れない最大限の努力をして有効に活用してもらう,社会情勢に遅れて既に有用性が失われていると判断される場合にはその事業から撤退する,そんな経営者的な決断が発注者に無いのだと思います。土木業界も発注者の考えに引きずられているため,従来の公共事業をただ受注して造るだけという考えから抜け出せないでいます。勿論,発注者と受注者の対等ではないいびつな関係も一因だと思いますが。
結局,土木業界は土木屋の視点による供給が需要を生み出した黒四ダムのような過去の成功体験を引きずったままの業界であるので,需要が供給を生み出す,つまり消費者が欲しいものを作り出すという常識が土木業界では通用していない,そのことが凝縮された座談会だったのでは,という感想を受けました。前例の無い危機的状況のはずなのに,そのうち「一気に状況は変わりますよ」と楽観的であり,「なんとかなる」的な感じで終わっているのもどうかと思います。シビルエンジニアの誇りと自信を取り戻すのは,発想を180度 変えることにより,市民が再評価してくれるようになれば必然的に取り戻せるのであって,状況が変わっていない中で取り戻すことはできないでしょう。
(鉄道・運輸機構 石橋英介)
この記事の中に指摘があった通り借金してまで,公共事業を行うのは私も理解が得にくいことだと思う。
アウトカムをわかりやすくするのは,一つの理解を得る方法だが,その指標を頭の中で理解できても実感は乏しい。実際,都市の日常生活において不便がほとんど無い人にはお金だけが出ていくイメージが先行していることだと思う。そんな中,土木の新しい役割が求められているが,一方で,いかなることがあってもぶれない土木の役割が問われていると私は感じている。
(匿名希望)
土木は古くさい業界だと思う。その中で,「第一世代の人たちは自由で国際派で幅広かった」という言葉が印象に残った。古くさくしているのは自分たちかなと思う。若い者に活力が無いだけで,何も上から押さえつけられているのではないと思った。
(水産庁 浜崎宏正)
本記事は90周年記念号の巻頭を飾るにふさわしい座談会内容であったと思います。TV等で論客ぶりを発揮している金子教授はじめ顔ぶれが多岐にわたり,興味を引き付けるものでした。「時代が変化する時は総合化する能力が必要で,総合化ということは目的志向的に進めることが重要。」「何を理想とし,何を解決したいのかが,はっきりしなくなってきている。」等々,今後の我々の会社のビジョンを考える上でも大変,示唆に富んだ内容でした。
(東洋コンサルタント 小林幸男)
座談会の記事でもあったためか,非常に読みやすい記事であった。参加されているメンバーの方々が活躍されている分野も異なることから,さまざまな角度からの意見やご自身らの経験を踏まえての話は,それなりに楽しく拝読した。しかし,共通の話題たる「学生や若手技術者へのメッセージ」的な内容が薄く感じられ,“私の畑はいい”“僕の畑は豊作だ”といった御国自慢のお披露目に終始しているように感じざるを得なかった。目の覚めるような切り口からではなく,オーソドックスで抽象的な「〜である(べきだ)論」の意見が多すぎて,「学生や若手へのヒント」はどこにあったのだろうかと思う。参加された唯一の学生のコメントが少ないのも気になるところであったが,そのコメントからは,自分の将来像となりえるロールモデルの存在を探しているように感じたが。若手技術者と呼ばれる方々がどのように思われたか,実に知りたいところである。
(JR東日本 外狩麻子)
土木業界への不信感とマスコミの風潮から,公共事業は必要ないという声を私も良く聞きます。一方,土木技術者の立場から見れば,これから公共事業はますます社会的に重要になっていることは周知のことだと思います。環境問題をはじめ,補修維持管理,今年各地で起こった豪雨災害,新潟中越地震災害などの防災対策,高齢化社会への対応など,時代の変化と共に必要な公共事業も多様化していきます。これから先も新しい問題が生じてくるかもしれません。このように,土木技術は特に使命感が強い分野であることを考えると,技術者としての誇りと自信を取り戻せるのでないかと思いました。
(東洋建設 北出圭介)
様々な方の意見が非常に興味深かった。確かに,注目されている環境問題や都市問題などに興味をもつ学生は多いと思う。それはマスメディア等による報道を耳にする機会が多いからだといえる。しかし,それらの問題は土木の一部分でしかなく,国民社会のニーズに対応すること,本当に必要なものを改めて考えるようになれば,土木の一部分の範囲の中だけではなく,多くのやりがいや興味の持てる分野が見つかるはずである。僭越ながら私のような学生だけでなく,土木技術者の方々にとっても土木を原点から考えるきっかけとなる記事ではないかと感じた。
(中央大学 田中聖三)
筆者がいう,今までは「見せない土木」であり,これからは「見せる」努力が必要であるという意見には賛成である。それにしても記事中の3枚の写真が放つ迫力には圧倒される思いである。いづれも名だたるビッグプロジェクトであるが,普段では絶対見ることができない視点場から,建設中の巨大工事を撮影するとこのような壮大なスケールの画となるのかと驚いてしまった。土木技術の素晴らしさ,地球と対峙する時の緊張感が素朴な驚きとして伝わってくる好企画であると感じた。
(復建エンジニヤリング 川瀬喜雄)
「百聞は一見に如かず」土木の素晴らしさ,雄大さを雄弁に写真が語っているように思います。巻頭の座談会のテーマである「土木技術者よ,シビルエンジニアの誇りと自信を取り戻せ!」とあるように,私はこの写真を見て「誇りと自信」を取り戻せる想いがしました。
一般の方々への「広告」という意味では、多くの「言葉」より一枚の「写真」が果たす役割の方がはるかに大きいのではないでしょうか。
(大林組 中村 泰)
土木では,その必要性について,それなりに発信してきたとは思う。ただし,うまく伝えられていないのも事実だと思う。著者が指摘する様に,見せ方はまだまだ下手なのだろうと考えられるし,既存のノウハウを活用することも有効と思う。「広告」を打つとなると少々大げさにも聞こえるが,そういうツールを使いながら,もっと普通の存在として認知されるように伝達できるよう努力していかねばならないと思う。
ある事業について,担当する業者が,民間の戦略としての広報は,それはそれであっても良いかとは思いますが,土木全体として広告する意識の向上を進めていくのならば,土木に関わるある程度の規模の人が,ある程度同じ時期に意識を変えられるような工夫が重要と考えます。
さておき,私的には西山カメラマンが撮影してきたであろう数々の構造物の写真に興味がわきました。一覧で見られるDBがあれば見てみたいです。
(八千代エンジニヤリング 高森秀司)
座談会に続く,土木写真家西山氏の写真も圧巻でありました。「見せない」ことは「恥ずかしい」こと,「見せる土木」をとの写真家としての視点が新鮮でありました。
(東洋コンサルタント 小林幸男)
久しぶりにスケール感に富んだ雑誌写真を見た気がした。「人間の眼というのは素晴らしい。一目で,距離感・奥行き感・スケール感・質感などを把握する。だから,ヒトの撮って来た写真を並べて悩むぐらいなら,そのものを見に行ったほうがいい」と思っている。しかし,紹介されていたようなスケール感を損なわない土木プロジェクトの写真は別である。プロジェクトの規模や大きさ,あるいは竣工までのステップ取り方など,文字表現を付け加えなくとも,多くの情報を獲得することができる。筆者の指摘通り,業界・分野のいいところを「見せる」力が必要になってくるのかもしれない。
(JR東日本 外狩麻子)
第3者の立場ながら土木のことをよく知っている方の話を読むことができてとても新鮮でした。土木業界の変革が求められる今,西山氏のような第3者の介入を歓迎し,意見を取り入れることが今後ますます重要になってくると思います。
(京都大学 三津田祐基)
この記事に書かれている「土木業界はまだまだ見せ方が下手である」ことが,土木構造物,また土木に携わる人々への信頼や理解がなかなか得られない原因の一つだと思います。一般の人々が直接の顧客であるような業界は,公告業界などを利用して「見せる」ことに力を入れ,また一般の人々もそれを利用して,商品買うためにいろいろと理解しようとします。土木業界も,結局は国民が利用者となる土木構造物をつくるのであれば,もっと広告業界などのプロの人材とノウハウを活用した積極的な「見せ方」をしていくことが必要だと感じました。
(東洋建設 北出圭介)
大学で土木を勉強するようになってから,幾度と無く現場を見学する機会を頂いてきました。トンネルの現場が最も多く,シールド,TBMの現場,そしてNATMの現場,またダム工事現場など色々と訪問してきました。この中で最も壮大なスケールを感じたのはダムの現場でした。巨大なコンクリートの塊が峡谷を跨ぐ様に悠々と聳え立つ姿は見るものを圧倒させるパワーを持っていました。
最近の現場は,積極的に見学会を開催しているようで,小学生の団体から個人での見学まで幅広く対応しているようです。多くの方々に工事の意義を理解して貰う事が重要だと,現場の方々が感じているようです。また,外部の人間が出入りする事で,作業員の士気が高まるとも言われています。昨今,土木への風当たりが強いですが,批判する方々の中にどれだけ現場を訪問して真剣に考えた人がいるのでしょうか。多くの人は,マスコミや世論に流されて,単に影響されているだけだと思えてなりません。毎日使っている家電製品の電気はどこから送電されてきているのか,また会社や学校へ通うための公共交通機関はどうか。など,身の回りに溢れているが気づかずに過ごしている土木構造物に思いを馳せてもらえたら,もっと理解をしてもらえるように思います。
(東京都立大学 藤原多聞)
まず掲載されてある写真に感動。土木構造物の壮大さが全面に押し出されていて,例え自分の仕事ではなくとも,土木対する誇りや自信から胸が熱くなりました。「見せる」ことで土木事業にかかわる人々の意識が変わっていくと思いますし,変えていかなければいけないと感じています。ぜひともPR下手な土木業界から脱却し,「見せる土木」をすすめ,多くの人に土木事業に興味と関心を持っていただきたいと思います。
(東京都 石川幸裕)
掲載されているビックプロジェクトの写真のうち二つ(明石海峡大橋,東京湾横断道路(アクアライン))は,道路事業である。この10年間を振り返るとやはり土木は道路事業がメインなのだと改めて確認。自分も来春で入社してからちょうど10年になる。その間ずっと土木のメインである道路事業に携わってこれたことの幸せを再確認した。
(日本道路公団 徳田尚器)
4人の本当に大先輩の話はとても興味深く読むことが出来ました。
戦争を含め,日本の高度成長期を経て,現在の停滞期に至るまで今尚元気でいるばかりか,今日の土木業界に熱い視線を送っておられることに,後輩として勇気づけられました。時代柄,鉄道と道路を中心に活躍された先輩達でありますが,今後は土木の形態・質等変遷していく中で,30年後,50年後に同じ企画があったならば,どのような分野の人間が土木を代表しているのか,技術屋精神がどのように進化しているのか・・・。不安であるのと同時に非常に楽しみでもある。
(JH 高橋俊長)
社会情勢が変化していることは前提の上で,土木技術に関わる者としての貴重な示唆の詰まった体験談として拝読した。世の中は,エリートという存在も非常に見えにくく,ノーブレスオブリージもなじみにくい状況になっているようにも思えるが,混沌の中でこそ,矜恃が重要で,かつそれを評価できる社会システムが重要なのかと感じた。
(八千代エンジニヤリング 高森秀司)
土木の世界の一線で活躍している先輩の話はどの様な話でも面白い。ただ,総じて時系列をおった構成をとっており似た様な印象を受ける。例えば,テーマを絞り,現代の土木が抱える問題の一つをとり挙げたりして,これまでの経験を踏まえた深い話があってもいいと思う。
(匿名希望)
目次で「大先輩」の文字を見たときは失礼ながら古い偏った考えを述べられるものだと思ってしまいましたが,実際に記事を読めば,偏っているのは自分の方だと痛感しました。現在,ますます専門分野が複雑で細分化しているが,様々な分野との融合が必要であり,その中でも土木技術者が先頭に立って,土木だけではなく,全体を見る目を養っていく必要があることを改めて感じた。大先輩方を見習い,広い視野や的確な判断力を身につけていきたいです。
(京都大学 三津田祐基)
高速道路や新幹線など,現在の我々が当然のように使っている社会資本を造りあげた,まさに生き証人である方々のコメントは,それら自体が一つの壮大な物語を読むような気持ちで拝見させてもらいました。今と違って満足な機器もない中での大変な苦労を思うと,敬意を感じずにはいられませんでした。その一方で,周囲から大きな批判をされることなく業務を実施できた時代へのうらやましさを感じたりもしました。今,土木業界は大変な逆風の下にありますが,その中でも自分の仕事に誇りを持ち続けることの大切さが求められています。時代が変わり必要な社会資本が充足されたといわれる現在,何のために仕事をするのかが改めて問われているような気がしました。
(日本技術開発 中野雅規)
大先輩四人の方々の貴重なお話を伺うことができ,元気がでました。
先輩方の活躍されている様子は,まるで幕末の勤皇志士のように私の目に映ります。時代背景と個人の高い能力,強烈なリーダーシップがなせるわざでしょうか。現代では差し詰めIT産業の若き旗手たちが該当するように思います。
土木華やかかりし頃を羨む気持ちも少しはありますが,我々の世代には使命感,責任感,不断の努力といったものが足りていないのではないかと痛切に感じる次第です。また,複数の方がおっしゃっているように,土木とは総合的な技術を持つもの,エンジニアリング=シビルエンジニアリングであるといったプライドや意気も不足しているように感じます。
総合的な技術,すべてのエンジアリングを束ねる技術といった面に今後の土木が果たす役割があるということに,公共事業バッシングで沈滞ぎみの土木に明るい未来が垣間見える気がしました。
最後に,弊社の相談役である藤田o五がトップに掲載されていて正直驚きました。
(中央復建コンサルタンツ 澤田幸治)
第一世代であろう藤田氏の話は,歴史の教科書に出てくる様な話で興味深い。言葉に重みがあり,「随分勉強をしました」というような何気ない一言が,身につまされる。
(水産庁 浜崎宏正)
道路は経済社会活動に必要な最も基本的な基盤施設であり,我が国においても日夜道路整備が進められている。今回の記事では,当時砂利道だった東海道を良くするため地図を持ち現場を歩き,世界の高速道路を見学したとのことであるが,このような現場を知り,また世界の動向を把握する地道な活動が道路整備の原点にあると感じた。
(JR東海 高橋和也)
現場に関わっていた方で共通して言えるのは,完成した構造物を目にしたときに「やってて良かった!」と感じられていて,これは土木工事に携わっている人なら誰でも思う瞬間でしょう。
これからはどうしても大規模な土木現場は少なくなるかもしれません。その中で一つの方向として,既存の施設の付加価値を足していくような仕事が増えると思います。IT化や耐震補強,環境への配慮などがあると思います。10年後には「やってて良かった!」と思う瞬間は,完成した構造物を目にした時ではなく,自分が実際に利用してみて,今までより便利さを実感したときに「やってて良かった!」と思うようになっていくのかも知れません。
(鉄道・運輸機構 石橋英介)
掲載されている文章の多くは,大先輩方のとても勉強になるお話しばかりでですが,自分と世代の近い土木技術者たちの活躍や苦労を読むことは非常に楽しく,そして改めて土木事業はやりがいや感動のある仕事であることを実感しました。
(匿名希望)
最近,土木工学を専門に学んだ学生が他の業種に進むことが多いとよく耳にする。いわゆる「土木離れ」は公共事業の縮小や社会的な批判が多いことが,土木という業界に暗いイメージをもたらし,それが原因となっているのではないだろうか。このような現状のなかで,様々な分野で活躍されている土木を専門とする方々の意見を,掲載されたことは,非常に意義のあることだと思う。この記事をよんだ学生たちも,何故大学で土木について学んだのか,そしてその先にあるものを実感できたはずだと思う。
(中央大学 田中聖三)
大学で土木の勉強をしているのですが,最近は将来についてどうしたいのかという不安がありました。しかし,その不安がこの記事を読んで和らいだように感じました。自分のしたい道がだいぶはっきりしました。
(東北工業大学 鈴木宏幸)
目を通した書籍もあるが,そうでない書籍が圧倒的に多く,概要を見て興味をもった図書が複数ありました。この10年分だけではなく,これまでを含めてWEB上に公開して欲しいと思います。欲を言えば、ジャンル毎に体系化がなされていると,なおありがたいです。
(八千代エンジニヤリング 高森秀司)
これまでの10年間は建設の量と規模が求められた時代であって,土木を目指す技術者にとっては分かり易い時代であった。しかし,これからの10年間は,本来機能に加えて文化的機能をも果すことが求められてきている。つまり専門分野の知識に加えて人間力を総動員することが必要になるということである。このような変化に対応した技術者になるべく,技術力だけでなく人間力を高めていかなければと痛感。
(日本道路公団 徳田尚器)
私が高校1年生の9月に京都では地球温暖化防止会議が開催されて,今後の二酸化炭素排出量の削減の取り決めが進められました。私が地球環境問題に対して意識し,さらに土木を志したのも調度この頃からだったと記憶しています。
国際社会において,ODA等の支援行為は途上国のインフラ整備を推し進め,一国の経済発展に大きく寄与するものであるが,同時に自然環境の破壊を助長する行為であると思います。この矛盾した難題はこれからの若い土木技術者に課せられた課題なのではないでしょうか。
著者は、膨張するアジア経済圏の開発を今後も日本は支えていくことが重要であるが,その一方で環境問題やエネルギー問題等を共有問題として解決していくネットワーク造りが必要だと唱えています。この事に関して,私も同感であります。そこで,これらの開発援助を行う際には,環境破壊のリスクと,構造物のライフサイクルコストを考慮に入れた計画が必要であると思います。
(東京都立大学 藤原多聞)
日本人はまずアジア人であると思っています。国境を超えた域内の連携,協調は昨今のアジアの情勢を見てもかなりの難業であると思われます。しかし,日本人がアジア人であるという認識を持ったときに初めてそれらを乗り越えて,新しい社会が生み出されるものとも考えています。私の海外への夢は広がるばかりです。
(明代環境地盤研究所 明代達也)
わが国の土木技術・土木技術者・建設産業の健全な発展を願って書いた著者の論説を,真摯に受け止めるべきだと思う。著者の指摘しているように,明治維新以来のわが国の直轄システムのなごりと発注者とコントラクターだけが見えて,独立した技術者(コンサルタント)が見えない2者関係が続いていることが,土木技術と土木技術者の評価を低いものにしている。知的活動を軽視して技術の停滞を引き起こす価格競争から脱却し,技術と技術者を評価するプロポーザル方式等をもっと積極的に取り入れていくべきだと思われる。
さらに,著者は,知的生産に価値を認めない日本文化も,土木技術と土木技術者の評価を低いものにし,「知的活動はタダだと思う国民は相変わらず多い。コンサルタントの著作権は無償で発注者に譲渡されることになっていて,実質的には無いに等しい。相手の技術を尊敬しないでどうして自らの技術に対する尊敬がえられようか。これは,コンサルタントを独立した技術者と見ていない一部の人々にも言えることである」と指摘している。
時代は,知財活用政策をとる方向に動いている。この機運を生かし,土木技術と土木技術者の地位と権威の確立へ,わが土木学会は努力し,土木技術者が誇りを持てる日本にすべきであると思われる。
(匿名希望)
最近10年間のものが掲載されていますが,この記事はこれから90年分掲載されるのでしょうか。丁寧な記載はとても勉強にはなるのですが,巻末のビジュアル年表と併せて,何のために作成されたのか,意図が見えにくい気がします。
(日本技術開発 中野雅規)
過去10年を振り返ると,土木業界にとって,激動の10年ではなかっただろうか?毎年のように地震災害,水害,火山噴火等の自然災害が発生し,その度に対策に追われ,インフラの強化が図られてきた。私にとって忘れられないのは兵庫県南部地震であり,自分の持っていた日本の構造物は安全だという認識が消え,また自然の恐ろしさを知った。この地震は私が土木を志すきっかけとなった。当時の気持ち,気概を思い出し,初心に戻り,これから10年,20年を見据えて,国民が何を必要としているか,しっかり考えていきたいと思います。
(鉄道建設・運輸施設整備支援機構 佐藤貴史)
めまぐるしく移り変わる社会の中で,この10年の土木関連の出来事,社会の動き(国内・国外)がまとめられ,また写真も挿入されており,じっくりとは行かないが,少し立ち止まって,この10年の時を考えるには良い年表であると思う。
(前田建設工業 赤坂雄司)
これは記事の内容と全く関係ないのですが,11月号は今までの各号と比較して何か間が抜けている感じの本になってしまったという印象を持ちました。その原因は多分,P8,22,66の余白にあると思います。
学会誌等の編集では厳密なページ数の管理が大切ではないでしょうか。
(復建エンジニヤリング 川瀬喜雄)
「土木学会創立90周年記念特別号」として特集号とした割には,少しがっかりしてしまいました。私,個人的には,いつもの通常形態の方が読み応えもあり,技術的な興味も沸き,知識も得ることが出来て,ずっと役立つものだと思います。
(前田建設工業 赤坂雄司)
学会創立90周年おめでとうございます。100周年に向け,一層の発展を祈念しております。
(匿名希望)
よく使われる言葉だが「無駄な公共事業」とは具体的にどのプロジェクトを指すのか,もしくはどの様な定義に基づくものなのか?イメージだけが先行しており漠然としている。
土木関係者の間では具体的にどんなことを念頭において使われているのか常々疑問に思う。
(匿名希望)
全般的に言って,「土木万歳!」的な言いぶりが目立ち,逆に興味をそそられない。学会誌だから当然だろうが・・・。
もっと辛辣な批判から入って,最後に,それでも土木の重要な役割を果たしたし,これからもそうである,という風に持って行けば印象深い記事になるような気がする。
(水産庁 浜崎宏正)
創立90周年記念特別号ということで,普段見られないような記事が多く含まれており,大変興味深い内容でした。
(匿名希望)
当学会誌は他の専門誌,学会誌と比較して社会性が高く,誰でも読める内容が多いと思っています。専門性は論文集で補っているのでしょうが,このままの内容で続けていただきたいと思っています。
(明代環境地盤研究所 明代達也)
先日,山口大学で行われた土木計画学発表会に聴講に行ってきました。ここで感じたのは,実際に都市を計画される方(自治体,事業者等)がほとんど参加されておらず,身内同士の情報交換会に思えた点です。予測モデル構築など難しい重要なテーマとは思いますが,あくまで計画学のひとつであり,メインテーマとは思えません。都市計画実務者にも参加をもっと呼びかけ,各自が行ってきたプロジェクトの報告やその事後評価などを公表し,広く情報を共有できるような学会活動が必要ではないでしょうか。
(匿名希望)
土木学会と他の学会との交流記事が少ないように思います。学会誌の性格上当然の面がありますが,特集記事等の際には,関係の深い学会との学際的なモデル共同研究,トップに近い方との対談記事も,素人には興味が持てます。100周年に向け,ご検討いただけると幸いです。
(匿名希望)
特集の記事には,大先輩,学生,公募論説と多面的な構成をとることで興味深いものとされていると思います。昨今,利用者重視,住民等とのコミュニケーションの重要性をかんがみ,公共施設の利用者,施設を管理するNGO等の声を反映すると更に興味深かったのではないかと考えます。
(匿名希望)
土木学会創立90周年記念特別号ということで,土木技術者への提言などに携るいろいろと企画されていましたが,学会が担う今後の役割が一体何であるのかは見えたのでしょうか。大学や産業界から学会へ何が期待されているのか,あるいは逆に学会から大学や産業界に対する要請は無いのか,長寿社会を迎えての学会の在り方をどうするのか,会員へのサービスをどのように考えていくのか,土木分野の技術を基に新しい産業の応用を切り拓けないのかなど,学会が果たすべき役割とその責任に関して,大きくかつ重要な課題はいくつもあるように思えますが,それをどのように解決し実現していこうとしているのか,会員に充分その内容が開示できたのか疑問です。「土木技術者には今までよりも幅広い知識が必要となる」と提案するならば,それに対して学会はどう対応していけば良いのかこそ討論すべきなのではないでしょうか。若者に対する活性化を唱えているのにも関わらず,例えば掲載されている企業の広告は商業誌と変わらないものとなってはいないでしょうか。いや,商業誌のほうが企業に関して面白い情報を得るものになっているように思え,これでは企業の方も学会誌を通して,若者に何の情報を発信しようと努力しているのか分からない。「やってて良かった」という実感も,土木の人に発信するのではなく,異分野や異業種に対してアピールすれば,異分野や異業種の人材の確保につながるかも知れないし,土木分野の方のエッセイを掲載するよりも,宗教家の方のエッセイを掲載するほうが工学の在り方が見えるかも知れない。もっと学会誌の在り方そのものを討論しても良かったのではないでしょうか。
また,学会に期待される大きな役割としての論文発表,学会発表の場としての役割も,果たして今の論文誌の在り方,年次学術講演会の形で良いのであろうか。また,学会にもアカウンタビリティが求められる時代において,収めた会費の使い方について,会員は充分納得しているのか。節目となる年こそ,もう一度学会の在り方を会員と共に振り返る企画も欲しかった気がします。土木技術者に「誇りと自信を取り戻せ」と呼びかけるよりも,何のための学会か,誰のための学会活動であったのかを振り返り,会員の声を聞きながら,共に今後の社会の変化に対応する学会の在り方を考えることも必要なのではないでしょうか。
(京都大学 西山 哲)
Copyright 1996-2005 Journal of the Society of Civil Engineers