第5回 調べてみよう!『Win-Winへの道 〜イヌワシをめぐる奮闘記〜』
春井雄介 水谷香織
経歴 |
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1946年7月 | 生まれ |
1969年3月 | 京都大学工学部 卒業 |
1971年3月 | 京都大学大学院 修士課程修了 |
1974年3月 | 京都大学大学院 博士課程修了(土質力学) |
9月 | カナダウェスタン・オンタリオ大学 助手 |
1977年9月 | 京都大学 助手 |
1978年4月 | 電源開発梶@入社 |
1986年12月 | 建設部設計室課長 |
1997年7月 | 奥只見・大鳥増設建設所 所長 |
2000年2月 | 建設部長 |
現在 | 取締役 フェロー会員 特別上級技術者 |
始まりは,イワナへの対策
まず,簡単に事業のいきさつを教えてください.
奥只見ダムは,福島県を流れる只見川の最上流部にあ
るダムです.総貯水量は日本最大で,約,6,億m3におよ
びます.また,大鳥ダムは,奥只見ダムの下流に位置す
るダムです.この両ダムには,それぞれ,1960(昭和,35)年
に運転を開始した発電所(最大出力36万kW)と,1963
(昭和38)年に運転を開始した発電所(最大出力9.5万kW)があります.もともと,大貯水池をもつ水力発電
所というのはピーク時の電力の需要に対応しています.
今回の増設計画は,近年の電力需要増に対応し,ピー
ク時の電気出力の供給能力を増やせないかということで,
この二つの発電所を増設し,合わせて29万kWのもの
新たな電力を生み出そうというものです.特に奥只見発
電所は,これが実現すると最大出力が合わせて56万kW
となり,ダム水路式発電所としては国内最大となります.
事業を開始されて,まず問題になったのはどんなことですか.
当初,周辺住民への説明会で問題になったのは,イワ
ナへの影響でした.奥只見湖は,巨大イワナがいること
で釣り人の間では有名な湖です.湖の周りには,何軒か
釣り人向けの宿を提供しているところもあります.こう
いった方々から,「イワナの餌となっているワカサギが,
新たにできる取水口から吸い込まれてしまいイワナの餌
がなくなってしまうんではないか」という心配が持ち上
がりました.
この問題には,どのように対処されたのですか.
純技術的観点から,奥只見湖という非常に大きな湖の
ダムに直径5mの取水口を設置し,取水したとしても,
ワカサギやイワナにはほとんど影響しないと考えていま
した.
しかし,周辺住民の方々は生活がかかっていますか
ら,とても心配されました.そのため,まず彼らの意見
を元に,シミュレーションを行いました.その結果,影
響範囲はやはり非常に小さいものだという解析結果が得
られました.そして,水理実験結果や解析結果を基に,
増設計画におけるイワナに与える取水口の影響は非常に
小さいということをていねいに説明していきました.
イヌワシの発見
では,その後注目を集めることとなるイヌワシの問
題はどのようなきっかけだったのですか.
環境影響調査も終盤にさしかかった頃です.イヌワシ
が2ペア,生息していることが判明しました.しかも,
そのうちの1ペアの巣は,ダムからも増設工事の現場か
らもきわめて近いところにありました.
イヌワシが見つかった時は,どう思いましたか.
最初に聞いた時には,イヌワシが希少猛禽類であるこ
とぐらいしか,知識としてほとんどもっていませんでし
た.ですから,それほど大きな問題になるとは思ってい
ませんでしたね.イヌワシへの対策をすることにより事
業の推進は可能,と考えていました.
しかし,自然保護団体が計画に反対し,マスコミが取
り上げるようになり,全国的にも同様の動きとともに,
一気に社会問題に発展してしまいました.
その時の堀さんの心中は…
放っておくとどんどん大きな問題になり,このままで
は事業が進まない,何とか対処しなくては,とそれだけ
ですよね.自然保護団体の人たちとは問題のとらえ方や
発想が基本的に異なるものの,無視していては一歩も前
に進まない,という焦りを感じていました.
事態の悪化
堀さんはこの問題を解決するために,まずどのよう
なことをされたのですか.
当初は,基本的に視点が異なると考えていた自然保護
団体の人たちとはあまり話をすることもなく,とにかく
事業推進のための行政の許認可を得ることに必死になっ
ていました.しかし,これは失敗でした.
と言いますと,どういうことですか.
自然保護団体は,今起こっている問題を自分たちの主
張を交えて次々とマスコミに伝えていきました.マスコ
ミにとって,「事業者 vs. 自然保護団体」という構図は,
非常にニュース価値のある面白いネタなわけです.
マスコミはどんどんと取り上げていく.すると,自然
保護団体はさらに勢いづいて反対運動を展開する.中立
の立場にある行政は,大きな社会問題となっているよう
な事業に簡単に許認可を出すことはできない.こういっ
た形で事態は悪循環をまねく一方だったのです.
写真-1 取材時の堀さん
事態解決へ向けてその1 〜現場の公開〜
ではその後,この問題にはどのように取り組まれた
のですか.
一つは,実際に現場をつぶさに見てもらおう,と考え
ました.というのは,一つどうしても許せないことがあ
ったからなんです.それは,「誤解」.つまり「事実とは
違うことを報道される」ということです.
どんな「誤解」があったのですか.
例えば,ダンプが砂煙をあげて走り廻っているとか,
ある年に巣が朽ち果てて落下したのは,「調査工事によ
る発破振動が原因だ」というような表現.また,「振
動・騒音によってイヌワシの餌となる蛇やウサギが逃げ
ている」と当然調査もしましたが,現場に行けばすぐに
わかるんです.そんなはずがないと.そこで,まず現場
を見てもらうことで,誤解をなくそう,と考えました.
事態解決へ向けてその2 〜マスコミとの対話〜
マスコミ対策ということでは,何かされましたか.
正しい情報を直接マスコミの方々に伝える努力をしま
した.マスコミの記者の方々というのは,常にさまざま
なことでの対応で忙しいことから,毎日このイヌワシの
問題に没頭して勉強されているわけではないんですね.
ですから,こちらからありのままの情報を提供し,事実
関係を説明する必要があると考えたのです.
具体的には,どんな内容ですか.
例えば,水力発電所とは,から始まって,この工事
は,ダムの新設工事ではなく,既設ダムに穴を開ける増
設工事であるというような基本的なこととか,また明か
り工事は年間を通じて行うのではなく,イヌワシの営巣
期ではない期間(7月〜10月)だけ行う限定的な工事で
あること,といったことです.
マスコミに情報を伝えていく中で,気を配ったこと
はなんですか.
一言で言うと,「正しい現場の事実を,全方位的に,
同時に,かつ直接伝える」ということです.全方位的,
というのは行政にも,マスコミにも,住民にも,そして
自然保護団体にも,ということです.情報伝達の遅れや
漏れがあると必ず問題が生じます.これには,相当神経
を使いました.
マスコミへの説明の成果は上がりましたか.
記事が変わっていきましたね.われわれがきちんと説
明すると,自然保護団体の主張と私どもの主張の真の違
いがわかってきて,それが記事にだんだんと反映される
ようになりました.そうすると,その記事をさまざまな
人々が読み,回りまわって私どもの主張も理解されてい
くようになりました.
コラム:「奥只見ダムを歩く」
まだ雪の残る今年4月,奥只見ダムを見学させていただき
ました.案内をしてくださったのは,奥只見・大鳥増設建設
所 所長代理の橋本長幸さんと技術・環境管理グループリー
ダーの西川和也さんです.
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●いざ,増設現場へ |
大空を舞うイヌワシ (「奥只見発電所・大鳥発電所,増設工事と環境保全対策」より) |
映画ホワイトアウトの撮影でも利用された長い長い通路を
歩き,ダム内部に入る.こんなにもいろいろな設備があるん
だ….ジャンパーを着て,ヘルメットをつけて,ということ
自体珍しい私にとって,まるで探検.天井がものすごく高い
体育館のような増設地下発電所の現場は,普段大学にいる
と感じないスケール.土木ってでっかいなぁ.この大構造物
を前に,自分の一人小ささを感ぜずにはいられない.
近年は小中学生や地域の方々の見学に,有志によるサービ
スで対応されているとか.「大変ですね」という私の言葉に
は,「誤解や苦情がなくなり,結果的に自分たちのためにも
なるんだよ」と.素敵なコミュニケーションを発見! |
●道すがらお聞きしたコミュニケーションのノウハウ | ●イヌワシ観測所でのエピソード |
どうも「土木」には怪しい雰囲気があるようなので,「同
じ人間がやっています」と人の顔を出すことが大切とのこと.
トラックが何台通るという説明だけではなく,それが何デシ
ベルでどのように聞こえるかをホームページやマスコミを通
じて説明し,水質が基準値を越えた場合は,講じた対策につ
いて報告を追加すれば良いのではと.
また,与えられた条件の中で最新の技術を駆使し,技術屋
としてきちんとやっているという自負があれば,どのような
方にも対応できる.きちんと情報を開示し真実を伝えること
で,後ろめたさがなく気持ちよく仕事ができるそう.「技術
者としての自負」,なんて,かっこいい! |
発電所増設地点周辺で貴重鳥類の継続調査も見学.この
調査は,遠方3地点(イヌワシ保護のため非公開)から,ビ
デオカメラを用いて巣付近でのイヌワシの行動を観察するも
の.観測所には,鳥の専門家が飛翔地点やそのときどきの様
子を細かく記録していた.
卵を温めるイヌワシのかわいらしさと,鳥の観測方法に見
入っていた矢先,突然イヌワシが飛翔し,思わず「すごー
い!」と大声を.そのとたん,「静かに!」と今まで穏やか
だった西川さんの声.イヌワシの飛翔中は,紙面への記録が
できないため,音声で記録するのだそう.少しびっくり.で
もその声の鋭さに,お仕事への熱意とイヌワシへの愛情がひ
しひしと…. |
奥只見ダム (「奥只見発電所・大鳥発電所,増設工事のご案内」より) |
●現場で必要とする学生とは |
新しい事業を生み出していかなければならないので,多様
な発想ができる人,グローバルな視点から環境保全に取り組
んだり,常識をもって上手にコミュニケーションを図ったり
できる人とのこと.やっぱりコミュニケーションって大切な
んだ! (水谷香織) |
事態解決へ向けてその3 〜ISO14001の取得〜
他には,どのような取組みをされたのですか.
ISO14001の取得に取り組みました.ISOというのは
第三者機関が環境マネジメントシステムに対する取組み
を認めているものです.ISO14001の建設現場での取得
は国内では初めての試みでしたのでとても苦労しました.
これは,どのような効果があったのですか.
ISO取得により,何よりも当方の社員の心構えが変わ
りましたね.やはり,外からみられている,という意識
があるだけで,現場で働いている人間の気持ちも変わっ
てきます.
また,われわれが環境に配慮した工事をしようとして
いるという姿勢を単純明快に伝えるために非常に役に立
ちました.このような努力をはらっているということで,
やっと行政からも信頼していただくようになりました.
一連の騒動を通じて
自然保護団体や,行政,マスコミとのコミュニケー
ションについて,わかったことを教えてください.
まず一つは,こういった問題が起きた際,事業計画の
中身が深く問われるということです.今回の事業計画は
果たして最適なものなのか,代替案があるとすればどう
いったものか,等々.こういった疑問に応えるためには
計画に対する深い理解と,単に社会工学的な面だけでな
く,奥深い土木技術,知識が必要です.つまり,本来の
意味でのエキスパートが必要なのです.その点で,ただ
単にコミュニケーション能力があるだけではこういった
問題に対処するのは難しいのではないでしょうか.
なるほど,本来の意味でのエキスパートですか.か
っこいいですね!
ただ,自分の主張ばかりする専門バカになってはいけ
ないと思います.他分野の話が聞ける能力は必要です.
それから,専門家としてのきわめて高度な知識があると,
その余裕から冷静に相手の話が聞け,また相手に説明す
る時に説得力が生まれるのです.そういう意味では,I型ではなく,他分野の専門家と理解し合い協力して仕事
ができる優秀なT型の専門家が必要なのだと思います.
堀さんの心得 Simple is Best
一エンジニアとして、胸の内にはきわめて高い専門性を、そして、一般の人々に説明する際には、きわめてシンプルに、わかりやすく |
学生へのメッセージ
最後に学生へのメッセージをお願いします.
私の学生時代と違って,最近は社会のニーズからか,
社会工学や環境工学を学んでいる学生さんが多くいます
が,やはりこれらの根底にあるのは土木工学だと思いま
す.その意味で,土木工学をきちんと学習しておくこと
によって,社会工学や環境工学を理解できるようになる
のではないでしょうか.
学生の方には,将来何になるからではなく,今あるこ
とに全力で打ち込んで欲しいですね.これができれば,
あらゆるところで応用が効くようになりますから.
最後に,もう一点だけ.それは現場に真実がある,と
いうことです.決して評論家になるのではなく,必ず現
場を見るようにして欲しいですね.
取材を終えて
堀さんのお話には,現実に事業を進めた経験に裏打ち
された言葉の重みを感じました.専門バカになってはい
けない,というのは現代ではあちこちで言われています.
でも,本当に社会が必要としている人物は,堀さんのよ
うな「非常に高い専門性」と「幅広い知識」の二つを兼
ね備えた人物なのでしょう.これは土木に限らず,今後
の技術者にとってもっとも大切なポイントとなるような
気がします.
【学生編集委員 春井雄介】
コミュニケーションを図ることで,さまざまな立場の
方が受け入れられる,満足できる状況(Win-Win Situation)に到達することは,決して楽ではないことが
わかりました.
技術者としては,「きわめて高い専門性」,「最先端の
技術を駆使し,最善を尽くしているという自負」,それ
が大切なことなんですね.私もいつかそう言えるように
なりたいなと思いました.
【学生編集委員 水谷香織】
関連文献 |
(1) |
堀正幸:奥只見「イヌワシ」をめぐる随想,大ダム,No.170,2000.1 |
(2) |
|
Copyright 2001 Journal of the Society of Civil Engineers