北海道の道路 | 堂垣内 尚弘 | 1-26 |
わが国における「土木」の語議と歴史的経過について | 藤田 龍之 | 27-32 |
地図型土木史データベースの作成に関する一考察 -鉄道路線データについて- | 窪田 陽一、野田 裕志 | 33-40 |
年表からみた日本の土木技術の先進性、後進性 | 中岡 良司、佐藤 馨一、五十嵐 日出夫 | 41-48 |
土木史におけるモデル規範適応過程分析 (2) -北海道広域三角測量導入について- | 山村 悦夫 | 49-54 |
土木史研究の方法論についての一考察 | 馬場 俊介、二宮 光紀、三島 康生 | 55-62 |
戦時下からの占領下を経ての土木制度 | 鈴木 恒夫 | 63-70 |
海軍施設部門の事業 制度・人事 | 今沢 豊正、鈴木 恒夫 | 71-78 |
明治期の攻玉社 -亀井重麿を中心として- | 長谷川 博 | 79-88 |
近世文書にみる堤高に関する研究 | 石崎 正和 | 89-94 |
吉野川の歴史 (その9) -まとめとしての史観- | 澤田 健吉 | 95-102 |
電力土木の歴史-各河川水力開発の変遷 (その8) | 稲松 敏夫 | 103-114 |
雁堤による富士川の治水と社会への影響 -雁堤と富士市- | 高橋 彌 | 115-122 |
近世文書に見る河川堤防の変遷に関する研究 | 知野 泰明、大熊 孝、石崎 正和 | 123-130 |
千曲川における寛保2年(1742年)洪水の規模推定について | 山田 啓一 | 131-134 |
加賀・辰巳用水に係わる技術とその史的考察 | 中川 武夫 | 135-140 |
辰巳用水から見た近世初期の木管技術 | 青木 治夫 | 141-146 |
江戸水道の基礎的研究 その2 -大名屋敷における給水形態- | 神吉 和夫 | 147-154 |
野蒜築港と安積疏流の歴史的変遷 -東北開発の先駆けとなった明治プロジェクト- | 須田 ■、小林 眞勝 | 155-164 |
震災復興事業における河川・運河計画 | 昌子 住江 | 165-172 |
米代河口港の歴史的変遷と現代的課題 | 堀野 一男 | 173-180 |
函館、札幌、帯広の都市計画 -1930・40年代の計画思想の発展 | 越沢 明 | 181-192 |
古代地域計画の原理 その8 続都市構造論 -世界にまたがる古代都市の幾何図形- | 木村 俊晃 | 193-200 |
東京の駅広場計画の変遷 -明治時代からの戦災復興期まで- | 榛沢 芳雄、為国 孝敏 | 201-208 |
歴史的石造アーチ橋の安全性評価に関する考察 | 二宮 公紀、馬場 俊介、福田 光修 | 209-216 |
アーチは東漸したか | 武部 健一 | 217-226 |
明治時代に製作されたトラス橋の歴史と現状 (第5報) -米国系トラス桁その2- | 小西 純一、西野 保行、淵上 龍雄 | 227-238 |
湖畔橋(ペッパロ橋) | 石島 孝志、篠田 哲昭、大野 和彦、早川 寛志 | 239-244 |
わが国における鉄道トンネルの沿革と現状 (第2報) -旧・京都鉄道、旧・阪鶴鉄道をめぐって- | 小野田 滋、司城 能治郎、永井 彰、菊池 保孝 | 245-254 |
わが国におけるニューマチックケーソン工法の歴史 (その3) | 平川 脩士 | 255-262 |
富山県下新川海岸における浸食と海岸構造物建造の変遷 | 芝野 照夫、土屋 義人、須山 洋 | 263-270 |