土木学会誌4月号モニター回答
「・・・成る可く自然の状態を保存して・・・」。ついつい技術を駆使して"すばらしい"ものをつくりたくなるものだが、そうではなくて、「川の自然状態を保って、その上で治水や利水を図ることが合理的であると、岡崎文吉(1873-1945)は考えた」とのこと。技術うんぬんの前に、技術者の精神がどこにあるかが、とても大事だということがわかる。
(崇城大学 上野賢仁)
吉田町で実施された抽選型指名競争入札の記事,興味深く拝読させて頂きました.入札の制度を変えたことによって34社中30社が退席した現実は,技術力が反映された公共工事が実施されていないことを明確にしており,技術者のひとりとして非常に情けなく思います.入札に限らず,技術と無関係なところで公共工事が実施されているケースは多々あることでしょう.つまらない談合をする時間があれば,各社は,その時間を割いて独自の技術力を向上させて欲しいものです.吉田町での事例が,広く全国に普及されることを期待しています.
(京都大学 稲積真哉)
2つの聖域に挑んだある地方の町長の記事であったが、不透明、納得ができない「常識」がまかり通る地方の役場が多い中、この取り組みはかなり先進的なことだと思えた。
(東北工業大学 堀原 順)
周囲から反感を買いながらも日曜開庁や抽選型競争入札を導入するというような、「周囲からのプレッシャーに屈することなく、社会にとって良いと思うことを貫く。」という田村町長の姿勢に感動した。もっとも、町の舵取りをする町長ならばこのような姿勢を取ることは当然のことかもしれない。しかし、現実の世界では田村町長のように周囲からの圧力に屈することなく職務を遂行できるリーダーは少ないのではないだろうか。どうも世間の大きな流れにそって舵を取っている人が多いような気がする。市町村単位でも自分の信念を貫くことができる屈強なリーダーが次々に登場することを望む。
(東北工業大学 引地博之)
個々の記事は十分な内容、主張を持っていると感じましたが、取り上げた内容が広範囲に及び過ぎとの印象を受けました。
「やってよかった小樽臨港線、やめてよかったのか士幌高原道路」のように、当初世論に反対されたが、後に評価された事業、反対されたまま中止となった事業等を集め、事業に対する人(世論)の見方に限定して特集をして頂ければと思います。小樽臨港線事業は、土木技術者に自信を持たせることのできるケ−スだと思います。
(本州四国連絡橋公団 池末泰輔)
特集の主旨の官需から公需へという言を待たずとも、世間の価値観は組織中心から個人中心へと急速に移行しつつある。土木事業によりもたらされる構造物が土木の商品とすれば、電話が単一機種の黒電話から多様な携帯電話へ発展したように、多様な個人向け構造物というのが趨勢だろうが、当然ながら個人向けの土木構造物など存在しない。しかし、土木事業に対する個人の需要が無いのではなく、多数の個人に共通する需要をまとめて満たすものが土木事業である。土木の営業先を官需から公需に変えるためには、個人の需要は何か、その共通点は何かを分析する必要がある。これまでの土木には土木事業が商品であるという観点が不足していたように思う。
一方の課題は共通の需要を持たない個人に対して商品をどのようにアピールするかである。合意形成とは無関係と思っていた個人にも共通の需要があることを気付かせることである。前述の携帯電話は高年齢層にまで需要先を広げている。
(鉄道・運輸機構 玉井真一)
企画解題との表題のとおりに、この国の「官、公、私、国益、私益、公共、政治、行政、自治」などの語彙及び実態が抱える基本的矛盾、不合理、曖昧点について判りやすく詳細に解説され、また今後変えるべき国民の意識、認識、方策についても論及されており興味を持って読ませて頂きました。特に解題(5)の末尾でいみじくも言われた公共サービスの顧客たる住民が高度の判断力と政策立案能力を持つ賢者であるべきとの御指摘はまことにその通りであると思う。しかし、世相で見る現実の交渉当事者双方が眼前の私利益のみ前面に出しあう日本の現状では、そのゆくすえまでの時間の長さを予測すると暗然たる思いにとらわれるのも事実である。
(復建エンジニヤリング 永田成正)
いろいろと考えさせられる記事でした。土木技術者一人一人が意識を高めていく必要があることを痛感させられました。その一方で、よく読むにつれ、土木全体に対する希望というか、明るい未来を予感することができるように思えます。
(本州四国連絡橋公団 薄井稔弘)
最近の公共事業における説明責任に関しては疑問を感じていました。国会議員、官僚を含めた関係者が情報を公開してきちんと説明して来ていれば昨今の土木・建築業界に対する世間の見方などの状況はかなり違ったものになっていたのではないかと思いますがいかがでしょうか?佐伯教授がおっしゃられているように『専門家が専門的な知識と判断をもって行う。その上で住民に対する説明はしっかりとし、住民の合意を得、専門家が主導権をもってやるというシステム』になっていれば風当たりもまったく違うものになるのではないでしょうか。
(東洋エンジニアリング 菅原紳二)
公共事業が減る中、中小の組織(会社だけでなく)が生き残るためには新しい仕事に適応していかなければならないようです。しかし、現実には容易なことではないと思います。環境ビジネスもこれから土木が適応すべき仕事だとは思いますが、気になるのは、中小の組織でやれる環境ビジネスがどれだけあるかではないでしょうか。それを自分で見つけて対応できなければ生き残れないのだ、と言われそうですが、例えば道路の舗装に変わるようなローカルな環境ビジネスがでてくれば、と思ってしまいます。単に切り捨ててしまうのではなく、中小の組織が活かされる道が開けるようなビジョンを示して頂ければと思います。
(崇城大学 上野賢仁)
大規模な公共事業を計画すると、必ずと言っていいほど反対運動が起こるがそれらの意見を聞いていると、少々疑問に感じることが少なくない。役所は反対意見に踊らされるばかりではなく、反対意見を持つ人々に納得してもらえる理由をもって、業務にあたってほしいと思える記事だった。
(東北工業大学 堀原 順)
なぜ士幌高原道路をやめることが問題なのかよくわからない。
自然保護と費用便益比の2つの基準をクリアする公共事業はほとんどないと断言されているが、そのような認識が無駄な公共事業をやっている批判される原因となっているのではないか?
(日本デジタル道路地図協会 安居邦夫)
遠く九州からでも小樽に行ってみたいと思うのは、必ずしも運河だけが魅力というほど単純ではないとは思うが、それを保存できたことは大きなことで、英断であったと思う。当然であるが、わざわざお金をかけて行ってみたいと思うのは、すごい、すばらしいというだけでなく、"歴史"も大事な要素である。歴史は簡単にはつくれないので、せっかくあるものは修復したり復元したりして、大事に保存してもらいたいと思う。しかし、この記事を読むと、事は決して簡単ではないことがわかる。将来のニーズにも応えなければならない土木技術者のつらいところがわかる記事であった。
(崇城大学 上野賢仁)
本論の主張は少々市民運動批判に偏っているのではと感じました。小樽臨港線が建設されなかった場合の不利益や、士幌高原道路が建設された場合の利益あるいは建設中止となった現状の不利益に関する客観的分析が不十分であると思います。小樽臨港線の成功についても1966年当時の計画は観光客の呼び込みが主目的だったのでしょうか。計画は不変でも産業開発と観光開発の間に交通という共通の需要があったからこその成功なのではないでしょうか。このような論調が市民運動との対等な会話を阻まないよう望みます。
(鉄道・運輸機構 玉井真一)
まちづくりや地元自治体と連携したインフラ整備の状況がわかり今後の社会基盤整備の新しい姿が理解できた。
(日本デジタル道路地図協会 安居邦夫)
表ー3 輸送密度別収支係数は非常に興味深いデータでした。たしか国鉄民営化に先立つ地方交通線の廃線・転換は二次にわたっており、一次は輸送密度2000人/日・km以下、二次は4000人/日・km以下だったと思うのですが、その基準が実際の経営状態に非常に合致している点が興味深いです。国鉄と比べると、これらローカル鉄道の営業努力は高いと推察されますから、収益企業として存立が可能かどうかの分岐点は輸送密度4000人/日・km程度なのだと読み取れます。そういった点で、現JRを分析するとどういう結果が得られるのか、興味があります。
また、収益企業としての存立が難しいローカル鉄道に対しては、鉄道という形や枠にとらわれず、バス等も含めた公共交通のあり方を、地方自治体や国がどのような形で支援するかを含め、考えていかなければならないのだと思います。そのような観点からの論もあれば、さらに良かったように思います。
(本州四国連絡橋公団 薄井稔弘)
土木技術者の役割は、現在の土木事業の範囲が地球規模ととても広いので、全てを網羅するのは難しいと考えられる。そのため、現状のように事業の上流から下流の各段階(計画・設計・施工・維持管理)で各専門の土木技術者が腕を振るわざるを得ない。しかし、最も重要なのは上流側の事業計画に携わる土木技術者が、最下流端までの長期的な視野を考慮して計画するかに、大きく依存すると思う。すなわち、本文中の「土木学の哲学を持つことが大事である」ということに大きく共感する。
(鹿島建設 田中俊行)
今後の公共事業に望まれるもの、それはCS(customer satisfaction)であると思った。これまでの公共事業は、「プロダクト志向型」でひたすらに建設し続けてきた。当時、供給者(政府、地方公共団体等)と被供給者(国民)は、「欧米並みの豊かなくらし(特に量的な意味合いでの)」という共通認識に基づく「豊かさ」の実現を求めていた。高度成長を経て、国民の生活が量的に豊かになるにつれて、供給者側と被供給者側の認識にズレが生じ始めた。供給者側が供給する「豊かさ」はかつてと同様に量的なものであるが、被供給者側が求める「豊かさ」は量的なものから質的なものへとシフトしてきている。今後の公共事業は、「プロダクト志向」ではなく「ニーズ志向・顧客志向」で顧客たる国民の満足度を高めることに注力しなくてはならないと思った。そして、相互の認識を共通化するための合意形成に向けての様々な取り組みが重要であることを感じた。
(鉄道建設・運輸施設整備支援機構 清原靖文)
一部を捉えて意見を言うのは失礼とは思いますがどうしても理解できない箇所があります。、
(多数決は決定によって勝者と敗者を生み出し、対立を温存し、憎しみを増幅する)から駄目だと断罪されているのには些か疑問を抱きました。現代民主主義国家運営方式の仕組の中で"多数決"方式は「最善」ではないが少なくとも「次善」には十分耐え得るものと思う。
運命共同体としての国家なり地域の意思決定の結果が本来勝者や敗者を生むわけがないと思います。自己を絶対視せず、決定前の自己主張の意見はあくまで世の中から借りた仮説に過ぎないのでしかるべき方法で決まった以上はそれに従うのが近代民主主義の原則ではないかと考えます(ただし自己矛盾は残るが国家はそこまで救済しない)。
全ての意思決定に全国民が常に参加することを最善法とするならば、どのような「限定された不特定多数」を対象としても常に限界、矛盾は付き纏う。そこに隔靴掻痒ではあるが間接的手法としての代議員制による政治力のさまざまな作用を機能させることの意味があるのではないでしょうか。
(復建エンジニヤリング 永田成正)
文末に示された土木工学科の教育で取り上げるべき科目についてすべて賛成するわけではないが、土木工学のエンジニアや研究者は、自然や社会に対して大きな影響を及ぼす行為を繰り返す(作る、修復する、ルールを作る等など)ということを、教育の場で教えることには同感である。
土木事業が公共事業と呼ばれる由縁は、その委託主体が公共性の高い主体だから、費用が公共性の高いお金で賄われているからというのではなく、自然や社会に対する影響があまりに大きいからであることを、我々中高年も認識すべきである。
(シンクタンク嘱託 河合菊子)
桑子先生は日本人独特の「感性」についての哲学を提唱されて、以前より注目していたこともあり、特集巻末の記事を興味深く読んだ。公共事業のあり方を考える際は、多数決などの合理的な解決を超えた合理形成に基づかなければいけない。公共性という不特定多数を対象にする場合、こういった視点が必要となろう。公共性とは「豊かな生活を営む基盤」であり、その豊かさの背後には、国土に対する深い愛が根ざしている。したがって、公共事業に対する発展的な合意形成を導くために、われわれは日本をよく理解し、国土愛を育むことが重要だとされている。特に海外に行った場合など、改めて日本人としての自分を意識することがよくある。日本文化を理解しその良さを再認識することが、優れた公共事業のあり方につながっていくという指摘は、面白い発想であるとともに希望のもてる提言と感じた。
(電源開発 栗原 哲)
複合構造物の良いところと、斜張橋という形式の組み合わせは実に良い発想であると関心した。また、自重が主たる荷重になる自動車橋梁の中での波型鋼板の利用は非常に有効であると感じた。
(復建エンジニヤリング 青木喜一郎)
橋梁構造型式の選定時に現地の自然災害、施工条件を加味して波形鋼板ウェブを用いたエクストラドーズド橋が選定された説明に加えて、どのような経済比較(事業費・工期等)が行われたのかを詳しく示して欲しかった。
以前よりこのようなランドマーク的要素(今回はとくに主塔がデザインされている)を橋梁デザインに採用する場合、どの程度のエクストラコストを妥当な範囲とするのか、どのような場所がランドマークを必要とするのか、誰が判断するのか、これらを説明できる基準を設けるべきだと考えている。個人的には、合理性を追求したデザインだけでも構造物には構造美が宿るものであり、土木にアートを積極的に取り入れるほど我々は芸術というものを理解しているのか甚だ疑問だと考えている。
(日本道路公団 谷口 寧)
土木技術の多岐多様に渡る社会への貢献をあらためて思い出させる記事であった。とかく公共事業がバッシングされる昨今ではあるが、将来の循環型社会の実現に向けた有機性廃棄物のリサイクル技術の実用化といった環境分野での土木技術の社会への貢献には、明るい未来像、発展への期待を持てるのではないか。とくに事業例が民間企業で実施されているところに、公共が実施する場合以上の効率化や事業としての発展の可能性がある。また、このような技術が将来、他の先進諸国や発展を遂げるアジア諸国に導入され、世界規模での環境型社会への取り組みが行われることに期待が膨らむ。
(日本道路公団 谷口 寧)
廃棄物と聞くと、とかく無用なもののように思えるが、その種類によっては有用なものであることが改めて分かった。特に今回紹介されていた有機性廃棄物については有用なエネルギー資源であるメタンを回収できるだけではなく、3R、つまりReduce、Recycle、Reuseの条件を満たしており、循環型社会の構築に大きく貢献していることが印象深かった。また、地方自治体によってすでにいくつかの嫌気性発酵処理施設が稼動を始めたとのことだが、建設にあたり地域住民の反応はどのようなものだったのか、維持管理の問題点など、同施設への関心が深まった。
(土木研究所 中田典秀)
ロックフィルダムの1つの中で現地の特性等を生かして、うまく施工している。その中で、コンクリートの作成方法はミキサー車で練り混ぜを行う点が面白いと感じた。
(復建エンジニヤリング 青木喜一郎)
この事故は数多くの出版物でとりあげられ、発注者、施工者、設計担当者それぞれの責任を特定する記事が目立った。ただ土木学会誌は淡々と専門的に事故の全容を記述し技術者の冷静な判断がなされていたので好感を持った。あくまで私見なのだが専門誌を標榜する以上、事故関係者の実名や数値を出してまで事故分析を記事にすることは分野を逸脱した行為であると言いたい。罪を憎んで人を憎まずの精神は土木技術者にも当てはまる。
規模が小さい場合プレストレス構造物でも、設計が複雑であり高い精度の施工が要求される。とくに定着部周辺の設計や施工手順等の施工管理を厳守して、品質を確保することが重要であると再認識させられた。
(鹿島建設 田中俊行)
事故による得られる教訓は様々なものがありますが,原因の一つとして,施工時の作業が挙げられたことは,建設会社の一員として重く受け止めています.
「安全第一」とは,工事中の安全はもちろんのこと建設された土木構造物が,将来にわたって「安全であること」も含まれていると思います.土木技術者ひとりひとりが技術力の向上が安全確保の有効な手段の一つと考えます.
(東亜建設工業 川島 仁)
事故調査委員会は土木学会とは直接の関係がないと思いますが、このような事故調査報告が土木学会誌上に掲載されることは大変意義があることです。本報告によれば、斜材定着部耐力の過大算定、補強筋の不適切な配置、ジャッキダウン時のひび割れの見逃しの3つが原因のようです。設計、施工時にこれらのどれかが発覚すれば完成前に問題点が明らかとなるか、落橋事故が生じなかったとも考えられます。事故報告には利害が付随するでしょうが今後もこのような報告がなされることを希望いたします。
(鉄道・運輸機構 玉井真一)
テレビのニュース、新聞記事等でよく見かけた事故で、私も関心を持っていました。
設計で想定した以上の荷重が加わったわけでもないのに崩壊したのがなぜなのかと疑問に思っていましたが、きちんと原因を調査されており、よく判りました。しかし、このような事故が発生すると、我々技術者のレベルが落ちてきたのではないかと、不安に感じます。もちろん、コスト、スケジュールとの兼ね合いで最適な線を見つけることは重要なのですがそれ以前に安全なものを作るという事を忘れてはいけないと感じました。
(東洋エンジニアリング 菅原紳二)
このシリーズは、毎回楽しみにしております。今回も非常におもしろい内容でした。ただ、なかなかコメントしづらい面もあります。記事にあるような、悩める青年技師が増えることは望ましいとは思いますが、自分の信念を貫く青年技師がいるともっと頼もしいと思います。
(清水建設 桜井英行)
いつもこの連載を楽しみに拝見させて頂いているが、今回は思わず「うーむ」と悩まされる内容であった。鳥インフルエンザを巡る食肉業者の一件やトラックの車輪脱落事故の一件など、最近の事件の多くが企業倫理に根ざした問題である。企業倫理(Business Ethics)について、特に公共性の高い業務に携わる土木技術者および将来土木技術者を志す者は、真剣に取り組んでいかなければならないと感じずにはいられなかった。余談ではあるが、もし、私が本稿の「悩める新人エンジニア」の立場であったならば、どのように行動するかの答えは未だに見出せずにいる。できれば、他の方の意見を参考にしてみたいと思った。
(鉄道建設・運輸施設整備支援機構 清原靖文)
わたしは、今年の4月で4年目を迎えた若手技術者である。会社に入社し2年半現場を経験し、現在は設計業務を半年ばかり行っている。「忙中ペンあり」を読んで、素直に思ったことは、この青年に悩む余地があるのだろうか、ということである。文中の「主任に反論すると・・・」という一文から、この青年が、問題の廃棄物を明るみにしたい気持ちを押し殺して、業務を行っているとわたしは感じたが、上司の指示に対して自分が納得して従うことと、納得せずに従うことはまったく別次元である。それこそ後者は職務放棄だと思う。私が業務を行う上で大事にしていることは、自分が責任者だったらという立場に立ち、判断し業務を行っているということである。すると自ずと上司に対する連絡・報告は自分の中で確認という段階になり、相談は本当の意味での相談となる。この青年は上司に相談をもち掛けたのだが、連絡・報告または相談にしろ、上司と意向が違えば、自分が責任者だったらという立場に立ち、納得いくまで上司と話し、同じベクトルで得意先に成果品を納めるべきなのではないだろうか。みなさんはどう思われますか・・・
(清水建設 太田博啓)
記事中に紹介された悩める新人エンジニアと、正直に話すべきであるとアドバイスした先輩が、土木の世界の少数派であること、土木の常識が、社会の倫理観と離れていることが、土木を中心とする公共事業に対する社会の不信感を表しているよい例である。「鉛筆をなめた」経験のある私は、当時どう対処すべきだったのか、これからどう対処すべきなのか、改めて考えさせられた。
(シンクタンク嘱託 河合菊子)
私の住む地域では水不足に悩まされることがあまりない。だから、長い間水不足に悩まされていた人々がどのようにその問題と闘い、克服したのかをもう少し詳しく知りたかった。誌面の都合があったのでしょうが、そこが少しばかり残念でした。
(東北工業大学 引地博之)
煉瓦の積み方に種類があることを,恥ずかしながら本稿を読むまで認識していませんでした.言われてみれば確かに異なる積み方の構造物があったかもしれないと感じました.ちょっと興味がでできてインターネットで調べてみたら他にもドイツ積みなんていうのもあるそうです.煉瓦積みの構造物を見かけたときに,これは「これはイギリス積みだ」などと言ってしまいそうです.English Bond,Flemish Bondの名称の起源は私も知りたくなってしまいました.残念なのは"図-1"でオランダ積みのコーナー部の説明図がなかった(?)ため,オランダ積みとイギリス積みの違いがわからなかったことです.
(横河ブリッジ 水越秀和)
単純にかっこいいパンフレットだなと感じました.そして私が大学院を選ぶ立場でこの記事,パンフレットを読んだらどう感じたかと考えてしまいました.このパンフレットを配布後に入学された大学院生の方たちの感想がぜひ聞いてみたいです.もう1つの興味は,費用が1冊あたりどのくらいなのかなということでした.
(横河ブリッジ 水越秀和)
土木事業は常に否定的な意見との戦いであると私は考えているがその否定的な意見を、心理学的に分析したこの記事にはとても惹かれるものがあった。今後もこのような研究がますます発展し国民と土木の架け橋になってくれればと思う。
(東北工業大学 堀原 順)
筆者は現在の土木事業の在り方に肯定的な世論が多く隠れていることを示し、健全な世論へ形を変えるべき打開策として地道に国土の将来を考え互いに語るよう提言をした。大賛成、志はみな同じだ。
一時期、公共工事の必要性や有効性を街に発信する仕掛けを作ろうという構想の下、若い仲間のグループが集まってディスカッションをしたところ川を大事にキャンペーンと称して地域住民と建設業者と混在のミニイベントに考え着いた。実行部隊を結成しプログラム作成にワイワイやっていたところ水入りである。建設業者がこの手の情報発信をするとは目立ちすぎでしかも世間から見れば我田引水ととられかねずあらぬ誤解を受けるのだけはけしからんと重鎮幹部からご意見承った。結局「川をきれいに看板」を立てただけでお茶を濁しただけで終わってしまった。重鎮の意見も正しいと思うが、これだと決めた事を困難な藪を踏み分けて志を達成するのも困難な時代を生きる若手建設業者の責務ではなかったのかと反省している。
『土木逆風世論の正体は、一人一人が心の中に持つ「逆風世論が存在している」という誤った認識だ。』というところが非常に興味深かった。確かに我々は現実以上に「土木は世間の評判が悪い」と思い込んでいるのかもしれない。これはマスコミの影響も然る事ながら、多発する土木事業の不祥事が社会に与える影響が非常に大きいからなのかもしれない。土木事業は経済にも環境にも大きな影響を与えるため、一度の不正な土木事業が及ぼす被害は甚大である。だからこそ土木技術者は誠実に事業を遂行し続けなければならないのだろう。土木技術者自身が世論という波に飲みこまれないためにも、本当に正しいことを見極める目を持ち、己を貫く行動力を持たなければならない。
(東北工業大学 引地博之)
興味深い内容でした。自らの意見が少数派か多数派かを認識するには、マスコミの影響が大きいと思う。土木事業において賛成派、反対派が生じるのが当然とは思うが、マスコミが大きく取り上げた側の意見が多数派と認識されてしまう。何らかの必要性があって、土木事業が生じるのであり、マスコミは双方の意見を公正に報道して頂きたいものである。
土木事業反対の意見に対し、その必要性を説明する機会もなく(意見を採り上げてもらえず)、事業推進者は沈黙せざるを得ないところもあるのではないか。土木は国土を造るものであり、子孫に残すべきものである。しかし、目先の事象にのみ着目している昨今、土木が理解されることがあるのだろうか。
このように考える自分もすでに「沈黙のらせん」に陥っていると思う。
(本州四国連絡橋公団 池末泰輔)
土木事業一般の評価で逆風世論の真実をとらえるには、少し無理があるのではないか?国民は、個々の土木事業について無駄や疑問をもっているのではないか?個々の土木事業の説明責任をはたすことが重要であると思う。
(日本デジタル道路地図協会 安居邦夫)
非常に面白いデータでした。サイレントマジョリティーという言葉を強く意識させられる調査結果でした。この調査を土木業に従事している方々に行うと、さらに興味深いデータが得られたかもしれません。もしかすると、一般の方々以上に強く「逆風世論が存在しているという認識」があるのかもしれません。
(本州四国連絡橋公団 薄井稔弘)
常日頃から感じているところを客観的データと統計的処理により明示しており、非常に興味深い分析であった。また示唆されているように"合理的"な計画論を国民に語りかけることは、土木技術者にとって昨今最も重要な課題ともいえる。しかし、我々に十分な伝達の術が無いような気がしてならない。やはりマスコミを通じて我々の主張をしっかりと伝えるプレゼンターが必要であり、我々がその役目を負わなければならい。そして、その際には我々の合理的な計画が揺るぎないものでなければならないが、本当に合理的だろうか? この疑問はこれからの課題として、ただ世論に悲観とあきらめを感じるだけでなく、今後の目指すべき方向と望みに向け努力していくことを考えさせられた投稿であった。
(日本道路公団 谷口 寧)
そもそも「世論」とは一体何でしょうか。最近、土木事業に対して否定的な見解を述べることが「正義」であるかのような風潮が見られることがありますが、そのような風潮が土木事業に対する「世論」を形成しているとすれば、非常に残念であり、またある意味恐ろしいことであると思います。これは何も土木事業についてのみならず、国の行方を左右するような政策論争等においても目につくような気がします。
先日、とある新聞に興味深いことが書かれていました。日本人は普段、誰がどの範囲まで最終的な責任を受け持つか、さほど気にしないにも関わらず、いざ何か問題が発生すると、該当する特定の個人やグループに対して過度に無限責任を負わせようとする風潮がある、というものです。結果に対する責任を負うことは非常に重要である一方、本記事にも触れられている「孤立」に加え、「過度に無限責任を負わせようとする」風潮が、自らの意見を公表する傾向を低下させ、またオピニオンメーカーがリーダーシップを取ることを避ける風潮を助長し、時に「虚構の世論」を形成している理由となっているのではないか、と思いました。
(鹿島建設 嶋村知久)
大衆心理の分析が土木学会誌の誌面に登場したのは非常に興味深い。この「沈黙のらせん理論」は、社会集団でのいじめや仲間外れ、戦争への暴走などを生み出し、一般市民を「衆愚」であるとよばせる根本的な理論であろう。自然や社会に大きな影響を与えるという意味で公共性の高い事業に多少なりとも関わる場合には、表に出なかった票数や声の主であるサイレント・マジョリティの存在を勘案することの必要性を提示していると読んだ。
しかし、本記事における筆者の分析結果である「われわれの直感に反して人々は"意外と"土木事業に対して肯定的なのである」という結論をそのまま受け入れるには抵抗がある。その理由は、筆者の実施した分析が非常に限定的なサンプルから導き出されたものであるからである。
調査が実施された京都市の多くは市街化の進んだ地域であり、街の構造や自然環境が激変するような土木事業が行なわれることは非常に稀である。また、東京都民のように「自分が支払った税金のほとんどは、自分には関係のない地方で行なわれる公共事業に費やされている」という意識を持つほど、ビジネスが集積している地域でもない。このように彼らは土木事業に関して当事者ではない。
このように、土木事業に関して利害関係が小さく「当事者」でない比較的少数のサンプルから導き出された結論から「世論は土木事業に対して肯定的」と結論づけるのは、危険である。「土木逆風世論は虚構である」という部分のみ一人歩きしかねない。分析の視点、手法は非常に興味深いものなのであるから、筆者には、異なった結論が導き出される可能性についての検討も含めたさらなる考察を期待したい。
(シンクタンク嘱託 河合菊子)
世論は必ずしも合理的に形成されるものではなく、往々にして少数意見が多数意見に押しつぶされるものである。これが「沈黙のらせん理論」として定式化されているという事実はショッキングであった。残念ながら、土木に対して逆風が吹いているという世論が形成されているという事実は認めざるを得ない。当面は、きちんとした理念に基づいた計画を実施するとしても、逆風にさらされざるを得ないだろう。しかしこの風潮を「合理的でない」と切り捨てても始まらない。一旦形成されてしまった世論に対応するためには、記事にもあるように、理念を根気強く訴えていくことが必要になるのであろう。
(電源開発 栗原 哲)
最近のメディアはしばしば、道路の下で何が行われているかについて取り上げ公共事業の一般的な重要性認識啓蒙の一助になっていると思われる例を見る。だが陳腐な表現であるが「百聞は一見にしかず」であろう。私の経験でも実物に触れるのがなによりで、記憶が体に残る体験が出来る。このような素晴らしいプロジェクトの開催をさりげなくリポートされているが実際には関係者相当な働きと気苦労があったものと行間に推察します。地中利用への公衆の関心がやがて日本の都市美観の弱点であった空中電線の地中化への本格的推進にも拍車をかけるものと期待する。
(復建エンジニヤリング 永田成正)
共同溝というインフラを利用してのPRプロジェクトは,日常生活に密着していながら,謎の部分が多い(実際は見えない)という点が好影響を呼び,成功したと思います.国民に社会資本について正しい情報を知ってもらうためには,こうした日常生活密着型社会資本整備を題材に少しずつ他分野も広げていく方法は,とても有効だと考えます.また,アンケートの結果で目を引いた項目は,社会資本整備についての情報発信に関心があると回答した方が88%にも及んでいたことです.先日,虎ノ門の現場付近を歩いていると新たなプロジェクト「沈黙のシールドマシン展」の案内を見つけました.積極的にコミュニケーションの場を提供することを実践している関係者皆さんの努力を参考に,自分の身の回りで何ができるかを考えていきたいと思います.
(東亜建設工業 川島 仁)
各種インフラ整備事業に関するアカウンタビリティやイメージアップのため、情報発信の重要性・必要性が叫ばれて数年が経過する。その間、事業に関するパンフレットの発行やHPの開設等、公的機関は様々な手法で努力してきた。しかし、共同溝や港湾施設が日常生活に密着した重要なインフラであるということを、多くの一般市民が認知しているとは未だ言い難い。今回の東京ジオサイトプロジェクトでは、「地底能楽堂計画」、「やすらぎトンネル計画」として、事業とは関係ない内容を積極的に取り入れ、事業関係者以外の一般市民を取り込んでいる。そして、現場に訪れた人の9割が「新しい発見があった、感動した」と答えているという。今後、東京ジオサイトプロジェクトのような情報発信の場が増えていくことを期待したい。
(東亜建設工業 菅本清文)
企業倫理に絡む問題は、決して放っておくことはできない問題です。特に公共性の高い事業に関わる機会の多い土木技術者にとっては、非常に重要な問題であると思います。そこでお願いなのですが、企業倫理について考えるコーナーを連載化して頂けませんか。もし、連載が無理ならば特集を組んでは頂けませんか。企業倫理を考えることは、土木技術者にとどまらず、多くの人々にとって有益な内容であると思います。どうか、ご一考願います。
(鉄道建設・運輸施設整備支援機構 清原靖文)
最近、他学会の勉強会に参加した。環境面から見て今の都市づくりは土木が失敗したといったニュアンスの発言があった(なお、発言者は、それを言いたかったわけではない)。土木学会誌でも、技術面はひとまず横において、ごくごく一般的な視点から都市づくり、街づくりを論ずる機会を設けて頂ければと思った。
(崇城大学 上野賢仁)
「土木学会名簿」の発行が告知されているが、この名簿に掲載されている個人情報はどのような項目か?また、それらの項目の好評が実際に必要か、また、名簿自体が本当に必要なものか?
学会誌に掲載されている入会申込書を見ると、生年月日、性別、自宅住所、勤務先、学歴、学位等、かなり詳細な個人情報の記載を求めている。
個人情報流出が大きな話題となっている時期でもあり、学会での個人情報の収集、管理の方法などについて、学会員に対して明らかにして欲しい。
(シンクタンク嘱託 河合菊子)
今回の特集は、とりあげられた記事のそれぞれがとても興味深いものと感じられたが、特集企画を総合的に串刺しする目的や総括が、一貫した形で伝わってこないように感じた。テーマをもう少し絞って焦点を明確にした企画の方が、「特集」として有意義と感じる。
(電源開発 栗原 哲)
忙中ペンあり 第三回 学歴秀才と純血主義について
「忙中ペンあり」で,著者は廣井勇氏について述べているが,土木を学ぶものとして恥ずかしながら,廣井氏について知らなかった.私のようなものはめったにいないと思うが,日本で活躍なさった土木業界の偉人について紹介していただける企画が欲しい.
(匿名)
(編集委員会からの回答)
土木学会誌では、これまでに2回(下記参照)ほど、土木業界の偉人について特集を組んでおります。
(編集委員会)
昭和58年, Vol.68-8, 土木と100人
昭和59年, Vol.69-6, 続土木と100人
Copyright 1996-2004 Journal of the Society of Civil Engineers