土木学会誌9月号モニター回答
「口絵」というコーナーに掲載されていたこの記事には,災害時の現場の様子を撮影した写真が8枚掲載されていた。それらの写真からは,現場の壮絶さと悲惨さが伝わってくる。私も過去に阪神大震災を経験したことがあるが,その時には目の前の光景が現実ではなく夢ではないかと思ってしまうほどの壮絶な体験であった。どれだけ多くの言葉で災害の様子を表現したとしても,写真ほどリアルに伝えることはできないと思う。この写真を見て,何を感じ,自分は何ができるのか,を考えることが大切だと感じた。この災害がなぜ起こったのか,起こさないためにはどうしたらいいのか,対処していくにはどのような方法があるのか。このような事態に対しどのような対処方法があるのかを考え行動するのが,土木の道であり,土木の使命であると私は思う。
(日本道路公団 徳田尚器)
近年の公共事業とりわけ土木事業への市民からの批判は厳しいものがある。本年度の土木学会の全体討論会に参加したが,参加者の意見はやはり厳しいものがあった。
情報開示の無さ,土木技術者の市民への能力の無さ(技術力はあるが素人への説明は下手)等。しかしながら,土木について頭ごなしに否定するのではなく,土木技術への高い評価,土木構造物の重要性については高く評価して頂けていた。どんなに技術的にすばらしいものを作ってもそれは土木技術者の自己満足であり,本当の土木事業は,市民の必要としているものを市民の理解を得て作っていくべきだと改めて思った。
なお,土木学会誌においても専門技術者の記事だけでなく,一般市民の生の意見をより多く載せることで,少しでも土木技術者が市民を理解できる場になればと思う次第である。
(建設会社 30代 男性)
大変時宜を得た特集であり,内容的にも,行政・学識経験者・中央・地方とバランスの取れたものとなっている。今後は,国土交通省等と連携し,住民参加や情報公開について,積極的に推進していること自体を,個別の事業・プロジェクトごとに周辺住民に説明することに留まらず,全国の優良事例等を中心に積極的にPRしていくことも重要と考える。
(匿名希望)
記事にもあるように,建設産業は環境破壊産業であるとの避難に対し,環境創造産業へと理解してもらえるように努力していく必要がある中で,土木事業の市民参加は,国・自治体だけでなく企業にとっても重要な問題であると考えています。談合等の企業イメージの低下に加え,今後の建設市場の縮小や技術者不足等,多くの建設会社は厳しい状況におかれています。その中で,NPO等の連携による地域への浸透など,地域社会とのコミュニケーションを図り,信頼関係を築いていくことが,企業としての存在価値を高め,またそれにより,今後新しい事業分野を見出すチャンスが生まれてくると思います。
(東洋建設 北出圭介)
市民参加については各々の真剣な取り組みが幅広くまとめられていて,非常に勉強になりました。逆説的ですが,記事からは,熱心に丁寧に事業に取り組まれていることが伝わるだけに,逆にこれらの取り組みをすべての事業で一般的に実施することは予算上からも人的資源確保の面からも容易ではないのではないかとも感じました。
今後,こうした市民参加の裾野をもっと小さな事業に広げるための課題や,事業規模に応じたPIへの取り組みの程度などについても記述があれば,より充実した特集になったのではないかと思います。
(日本技術開発 中野雅規)
土木事業の市民参加について,アカウンタビリティの向上は良くなりつつあると思いますが,市民の声を救い上げる制度はまだ十分ではないと思います。現時点での事業の説明はできても,市民の声を反映させた計画や設計の変更はなかなかできないのが現状だと思います。土木構造物に対して市民の声をいかに反映させていくか,市民が積極的に土木事業に関わっていく部分のプロセスが整備されていくことで,より市民の求める土木構造物を作ることができると思います。
(鉄道建設・運輸施設整備支援機構 石橋英介)
ここ数年で,web上での日記であり時に論評であり,議論の場にもなるblog (web-logの略)がweb上に根を広げている。このblogは時に企業・あるいは政治をも動かすメディアの様相を呈し,世論を示すものとして着目されてきている。
しかし,このblogではそもそもIT関係の人間が多かったり趣味で始めている人間が多かったりするため土木系の話題は少ない。あったとしてもそれに対して真摯かつ定量的に要否・是非を検討しているような発言はあまりないようにも思われる。
webへのアクセシビリティが高まり人々があたりまえにその自由を得ている昨今、そろそろweb上での展開もあってよいのではないかとも考える。
なお,私が最初にwebで感じた土木への市民参加は,ある母親が息子(幼児)を土木の日イベント?に連れて行き,息子が示した関心に「来年も来たい」と感想を述べているページだった。記事中にあるような,ふれあい広場などのイベントは市民に公平に(digital devide無しに)接する意味では大変意義あるものと思う。やはりリアルな体験が一番大切なのであろうから。
(JFE技研 田近久和)
本記事に述べられているような市民参加の様々な取り組みが,今後の土木事業に良い効果をもたらすことを期待したいと考えます。ただ,いつも感じることは,土木工事などで取り組まれている幾つかの提言あるいは努力が,土木の「逆風」からの脱却のためという意識が強すぎなのではという疑問です。例えば,この市民参加の試みも,確かに土木工事への批判からの反省から生じているのでしょうが,本当の意味での市民参加を実現するためには,市民の側の自立を促すことを提案することも必要になるでしょう。米国などでは,自治体の事業主体はNPO法人が担っており,税金を徴収して,それをどのように配分していくのかを考える予算化の仕事を行政が行います。すなわち税金で何が出来るのか,何をしたいのかを考えて実行するのは市民であるという体制が整っています。従って,米国では地域住民が自治体を結成し,社会生活に関するインフラ整備なども自治組織が独自に行う場合が多く,それら活動を監視・調整する機関である議会の公聴会にも市民が多数参加します。これは個人から出発して,家族・地域社会・国家そして世界と周囲を拡大していく,見ていく,米国の意識が築いたものと考えます。よく言われることですが,手紙の宛名や名刺の表記法は,欧米と日本とでは逆です。つまり,日本は,欧米とは逆に世界・国家・地域社会そして家族を通して自分を見ていきます。この意識の違いは,個人の発展が地域社会や国家の発展となり,地域社会は自らが築くという社会との関わり方において能動的な個人を育ててきた欧米の風土と,国家は与えられ,その中に暮らすことを考える受動的な個人を育ててきた日本における土木工事の在り方の違いをも産んできたように思えます。土木工事への市民参加は,この個人と社会との関係の意識の変革を要求していくもので,市民側もNPO制度により専門家を育成雇用し,議会での本格的な政策提言活動までも行うような意識を持つ提言を積極的に図るための試みであるという意識も必要だと考えます。土木への批判という罪の意識から芽生えた市民参加では,いつまでも個人の意識は変革できないのではないでしょうか。今の取り組みが工事への理解をお願いすることを目的とする活動だけで終わって欲しくないと考えるのですが。
(京都大学 西山 哲)
私が政経部(山梨県政)担当記者だった10年前,ある県議(現在は国会議員)が言った「これからの政治(行政)は,限られた財源をいかに効率的に配分するかがポイント。それが政治家や行政官僚にとって大切な仕事となる」との言葉がずっと胸に残っていた。確かに時代はそのように動き,土木事業も例外ではない。その意味では,PIなどの「市民参加」がもっと早くからクローズアップされても不思議ではなく,今回の特集は極めて時宜にかなったものだと思う。矢嶋宏光さんの記事「市民参加としてのPIの現状と課題」の中で,「公共事業の信頼に関わる障害は,公共事業そのものの問題というより,意思決定プロセスの問題である。なぜ,誰のために事業が計画されるのか,他の方法ではダメなのかという疑念が十分払拭されないままに,事業を進める姿に疑念があった」というくだりには,市民の立場からうなずいてしまった。
なお弊紙では,2002年1月に「自治体財政危機」シリーズの中で,市民参加の土木事業にも目をむけ,「住民参加型の事業企画」「民活を生かすPFI」との標題で2回にわたって掲載したことを付記しておきます。
(山梨日日新聞社 向山文人)
これからの土木事業を進めるに当たって,重要な課題を扱った特集と思う。ただ,気になったのは,住民参加のための手続きにどの程度の予算措置がされているのかということである。わが国は,総じてモノにはお金は払うが,アイデアや議論にはお金を払わない。まさかとは思うが,事業を受注する予定の企業にPIのための費用の持ち出しや資料作成を発注者側がお願いしたり,というような不正なことが行われないよう願う。
学識経験者の関与についても,その有効性を高める方法を考える必要がある。学識経験者も忙しい人がほとんどであり,事前に資料を送付していただいても,ほとんどの場合,全く読まずに委員会に出席することになる。そうなると,「事務局」と言われる人の説明をただ受け,少々瑣末な質問をするだけで,本質の議論ができないまま委員会が終了することになる。学識経験者の使い方として有効と思えるのは,評価書や計画書に対して相応の対価とともに,そのレビューを依頼することである。この場合は,学識経験者はレポートを科されたような形になるので,まじめな対応が期待できる。ここで「相応の対価」を強調したいのは,アイデアや議論にはお金を払わない,という姿勢から脱却したいと考えるからである。
(東京工業大学 浦瀬太郎)
この記事だけではありませんが、PI(パブリックインボルブメント),アカウンタビリティー,ガイドライン,コミュニケーション,オープンハウス,シフト,ツール,サブスタンス,ファシリテーター……,等々枚挙に暇がないほどにカタカナ語が出てきます。このような言葉を使えば専門家らしく見えたり,有能そうにみえるかも知れませんが,本当に一般的な市民に参加してもらうつもりがあるのかと疑問に感じます。そのカタカナ語を使用する必要性があるのか,もっと分かりやすい日本語の表現にできないのかといったことに配慮することも重要であると思います。
(中央復建コンサルタンツ 澤田幸治)
残念ながら,最低限必要な項目を満たすということで書かれただけの文章のように感じ,何かの報告書というような印象である。PI特集で,この章が必要だったのかどうか疑問に感じる。ただ,次章がとてもわかりやすい説明なので,どういうことがアカウンタビリティが高いということかを理解するのには適していた。
(太田ジオリサーチ 太田英将)
筆者の言う「保身型アプローチから目的指向型アプローチに向かうことが課題である」,「アウトカム指標を用いることで,公共事業の目的がサービス提供や問題解決であることが明白となる」といった意見はその通りであると思った。特に,「行政内部システムの工夫」の章で書かれている,アウトソーシングとして当事者以外のファシリテーターやメディエーターの投入が必要不可欠であること,これらがビジネスとして成立させておくことで将来の人材確保や技術開発に役立つことは非常に重要な提言であると感じた。
市民参加を多様な切り口から論じた記事であり,大変勉強になった。
(復建エンジニヤリング 川瀬喜雄)
「なぜ公共工事は信頼を失い,土木が魅力のない学問分野になってしまったか」とは,以前から自分の中で疑問として残っていた。先月号の「技術者倫理とは何か」でも,これに関する答えは若干触れられていたが,今回の記事からそれらが明らかになった気がする。米国の事例なども紹介されているが,道路建設やダム建設などの公共工事が目的なのではなく,対象としている計画がなぜ提案され,それによって何が良くなるのか。「保守的アプローチ」から「目的指向型アプローチ」への転換が必要であること。それらがよくわかった気がする。その上で,土木技術者として奢ることなく謙虚になり,誠意を持って仕事に当たることが必要であることを痛感する。
(前田建設工業 赤坂雄司)
全体的な流れとして,PIの取組みが進みつつあると感じているが,ケースごとにかなり差があるとも思える。PIは最終的な社会的コストを低減する上でも重要であるし,生活の資本としての公共資本を作っていく上で重要なプロセスと思う。現在,過渡期であることは違いないが,著者が述べる法制化は,今後の流れをつくるきっかけになると思う。著者が述べているように手続きの形骸化には,そうならないような最大限の留意が必要となると共に,日本型の市民参加のあり方やその仕組みについて探りながら進めていける柔軟な運用が,当面は重要ではないかと思う。仕組みを検討するにあたっては,米国におけるメディエーターなどの第三者が果たしている役割や取組みを参考としながら,同時に市民の参加意欲や知識を高める取組みを進めることが必要と感じた。
(八千代エンジニヤリング 高森秀司)
PIにとって重要なことは,市民はもとより関係者がインボルブする(巻き込む)ことが基本であり,そのための法制化・形骸化の防止が重要との説明は,たいへん理解しやすかった。その他のPIに関する説明も,ファシリテーターやメディエーターの必要性など,PIが進むべき道筋が明確に理解できる。とても良い「アカウンタビリティ」の見本という感じであった。
ただ,矢嶋氏が指摘されているように「関連部局はその責任範囲を逸脱したがらず・・・なるべく責任を負わないように交渉する姿勢をとりがちである」ということを,どう改善していくのかというのは,非常に高い壁のようにも感じる。
(太田ジオリサーチ 太田英将)
この記事では,河津下田道路第1期のPI活動の内容を述べているが,最後の「感想」の中で筆者が正直に語っているようにここでのPIが理想的に進められたわけでは決して無い。Aルート帯を提案しているが,文中の表-1と図-3の環境に対するコメントを見ても,説明に対する困難さが窺われるような気がする。
この記事は「あまり上手く行かなかった事例」として,或いは「よくありがちな表面的に行われた事例」として紹介したほうが理解されやすいように感じた。
(復建エンジニヤリング 川瀬喜雄)
今回の特集(第2部)は2部構成となっているが,第2章は愛知万博についてのみの事例である。大プロジェクトとしての意義は大きなものであると考えられるが,イベントに起因する事業であるとの特殊性があることは否定できない。第1章で,中部圏における道路・河川・港湾・ダム・空港といった多様な事例をせっかく紹介しているのであるから,これらの中からいくつかの事例を取り上げ,深く掘り下げて独立した記事にした方が,様々な領域での市民参加の取組みが紹介されて良かったのではないかと考える。
(復建エンジニヤリング 川瀬喜雄)
今回の記事を拝見すると,“市民の会議への参加は博覧会史上でも特筆すべき事柄”,“万博史上かつてない市民参加”また“環境アセスへの膨大なエネルギーをつぎ込んだのは,これまでなかった”とか“会場の約半分が自然のままとするのは万博史上初”といった表現が随所に見られ,この愛知万博のテーマである『自然の叡智』に向け,関係者のご苦労とともに,大きな使命感及び達成感を読み取ることが出来ます。初めてづくしの万博が成功することを願ってやみません。
またプロジェクトの市民参加には,様々な参加形態があり,有識者に限らず,多くの年齢層、職種の方々それぞれが参加できるものだと実感しました。
(鉄道建設・運輸施設整備支援機構 佐藤貴史)
障害者用にと作られている施設が非常に使いにくいものになっているとの指摘にバリアフリーに対する自分の認識不足を感じました。障害者用トイレは,広い個室が必要だという固定観念をもっていたのですがそれは本当に必要とされているものではないとのことです。本当に使いやすい施設を作るためには,設計者の思い込みで設計するのではなく,どのような障害を持つ人がいてそれぞれの方にとってどのような手助けが必要なのかを知る必要があるとわかりました。これらのことを知るためにはやはり本論中でも紹介されているとおり,実際に利用する方の生の声を聞いていくことが最も有効だと思います。
このことは障害者用施設に限った話ではなく,利用者となる人たちと対話して本当にニーズにあったものなのか確認しながら設計していくことが重要だということかと思います。供用時どのように利用されていくかしっかりとしたイメージを持つ必要があると考えます。
(東電設計 白濱美香)
本稿を読み,バリアフリー化やユニバーサルデザインには障害者の方々の意見を聞くことが重要であることが改めて認識できた。特に,障害者用トイレに関する具体的な見解は,健常者だけでは出てこない発想であり,今後のユニバーサルデザインを考える上で,大いに参考になる事例であると感じた。結びで筆者が述べられているように,本物のバリアフリーな社会の実現にはまだ様々な障害があるが,我々土木技術者を含む専門家のますますの努力が重要であると思う。
(中央復建コンサルタンツ 澤田幸治)
「落橋防止構造の施工不良」,「ある道路設計業務での倫理問題」,「工事請負者の設計照査」は,すべて難しい問題であり,また身近に起こりうる問題であることから,目が止まった。私の知り合いでもこのような事態に遭遇している人はいるが,対処方法に明快な回答が見出せていない。理想論として正しいことはわかるが,それを現実化することは非常に難しい世の中です。現実論として実現可能な手段はどのようなものなのでしょうか。
(日本道路公団 徳田尚器)
この倫理問題に限らず,問題事例,失敗事例の学会誌での取り扱いについて改善できないだろうかと考えて意見を述べたい。たとえば,学会誌のプロジェクトリポートなどで,「A県のB橋が完成」などと匿名化した記事を見たことがあるだろうか。基本的には成功事例は実名で土木学会誌に登場する。それに引き換え,この倫理問題特集では,実在したことが疑われる事例もすべて匿名で扱われている。要するに成功したことについては,実名で記せるが,失敗事例,問題事例については実名では記せないのである。受注者側が実名で記せない事情は良くわかるし,発注者側もミスが明るみに出るのは困る。しかし,学会誌の役割を考えると,成功事例の広報も大事だが,失敗事例,環境安全関係情報なども,できるだけ実名で出していく勇気が必要であると考える。失敗から学ぶことは多いはずである。急に何でも実名に,というわけにはいかないと考えるが,徐々に状況を改善していきたい。
(東京工業大学 浦瀬太郎)
今回の倫理問題は,設計や工事の事例を題材として問いかけられており,発注者・請負者の両者が,自身の問題として考えるのに,たいへん分かり易く記述されている。
今回の特集は全体を通して,一人一人が自分で考えることを強く求めており,このような問題提起,特に技術者倫理の問題は,ともすれば公益よりも企業や個人利益が優先されがちな現在においては,今後も,何度も特集を組んだりして,啓蒙していって欲しいと思う。
(前田建設工業 赤坂雄司)
非常に分かりやすい事例を示して頂き,興味深く拝読しました。特に受注者側として,いままで見えていなかった発注者側の倫理問題をかいま見ることができ,なるほどそうかと頷くことが多い記事でした。
その場しのぎの方便が,いつの間にか既成事実になり,問題が大きくなっていく過程が示されており,また発注者と受注者の力関係まで生々しさを持って表現されており,おもわず「うん,うん」と頷く内容でした。
第1回の技術者倫理の定義から,今回の問題提起とどんどん内容が深く,厚くなっており,たいへん面白いです。勿論,単に面白がるだけでなく,自らがその立場にあったらどのように振る舞っていくのか,じっくり考えていく必要を感じています。
あと2回の内容で,どのような提言をされていくのだろうか,興味はつきません。ご苦労は多いこととは思いますが,優等生の答えでなく,いろいろ考えさせてくれる提言を期待しています。
(日本技術開発 今野 剛)
毎回,関心を持ちながら読ませていただいています。記事中にあるように,個人の倫理観と組織の方針で相違が生じた場合,あるいは発注者と受注者という異なる立場ですれ違いが生じた場合,担当者の悩みは尽きなくなる。個人の判断で解決が困難な場合,組織を挙げて支援できるような環境が望ましく思います。倫理問題ではこう対応すべきだ,という絶対的な解が乏しいと思います。そうした思いから第4回の「倫理問題にどのように対応すべきか」に関心を持っております。
(鉄道建設・運輸施設整備支援機構 佐藤貴史)
前号より興味深く読んでいます。
特に今月号は,「自身の問題」として過去の経験と重ね合わせることができ,(というよりか必然的にオーバーラップした)とても考えさせられる記事でした。
このような問題は,まず自分側に「非」はないものだと思いがちであるが,納得しないまま事実を受け入れる「非」があることも考えさせられ,今,自分が一個人として、何ができるのだろうと自問自答しています。
(大林組 中村 泰)
工事や設計の事例を紹介し,技術者倫理を考える内容を提供しているものであり,このご時勢において今もって行われている事ではないと思いますが,発注者・受注者の領域を超えて甚だ呆れる内容である。
慣例に流されるケースが多いと思われるが,技術的倫理以前の一般的常識での判断力が先ず必要ではないだろうか。昨今の情報公開や説明責任を求められる状況下においては,常識的な見識の基で社会情勢に応じた倫理観を個々の技術者が持つべきであると強く感じる。
(JH 高橋俊長)
設計や工事の具体的な事例を題材に,技術者が遭遇しやすい倫理問題について,読者に深く考えることを迫るものであり,技術者でない者にとっても,技術と倫理について日常的に起こる問題を知る良い機会となった。最後の「問題点と考察」に考える視点が記されており,(これを題材とした集団討論等に参加しない)個人だけでも一定の考察が深められるよう工夫されているところも有益であった。
(匿名希望)
事例をあげて,土木技術者が遭遇しやすい話題を提供された記事で,自分ならどう行動するかを考えさせられ,実際問題として,この問題の難しさ感じました。4回にわたる特集の第2回目の記事ですが,特集終了後も毎月続けてなければいけない問題だと思いました。また他の特集の「土木事業への市民参加」でも述べられていたように,土木事業への信頼性向上のためにも,まずは土木技術者が技術者倫理をしっかり身に付ける責務があると感じました。
(東洋建設 北出圭介)
新潟水害速報での「河川工学が未だ未熟であること」からページを読み進むと「河川改修に伴い発生した問題」としての技術者倫理の事例文が目にとまりました。建コン技術者が八方ふさがりになる状況設定の後の,問題点と考察があまりにあたり前な単なる正論で終わり紙面を残した回答で失望しました。
本企画は紙面中央に黄色紙を使い4回にわたり掲載される学会誌として最重要特集との位置付けと思います。
あたり前なことが通らない世の中であるから倫理が叫ばれているのですから正論の先の,それを貫き通す技術が求められていると思います。技術士総合技術監理部門の試験でもトレードオフの技術が要求され,倫理事例を読む際には第三者としての忠告ではなく当事者として,技術者の生活が確保され,企業活動が継続され,社会的にも望まれる,両者WIN・WINに誘導する技術の一端(たとえばビジネス的な交渉術や落し所の伝授)を知り,目から鱗を落としたいのです。
第1回目の「技術者倫理と実務」の古木氏の論文によるマトリックスでの方向性を示した様な理論と実例との繋ぎが薄く,共著の欠点が出ているのはないでしょうか。
(東洋コンサルタント 小林幸男)
あらゆる事例が提示されており自分に置き換えて読んでいくと,いろいろ考えさせられる記事でした。提示された多くの問題は,技術者という以前に常識的な感覚をもっていれば行うべき正しいことの判断はできると思います。ただ,社内的や社外的な上下関係や利害関係,慣例などの様々な障害によって正しいと思うことができなくなる危険があるということではないでしょうか。正しい主張を行ったときに,確実に自分を支援してくれるシステムがなければ事例のような問題が表面化せず続く可能性があるのではないかと懸念します。
(東電設計 白濱美香)
これらの倫理問題は最低限の倫理を持ち合わせている技術者なら答えが分かるものである。結局は,上司や発注者などによる“上からの圧力”と技術者の倫理のどちらが勝るかが問題となると思う。上からの圧力を和らげるのも技術者の倫理を向上させるのも容易なことではなく,このように技術者の倫理について触れる機会を増やして行くしかないのだろうと感じました。
(京都大学 三津田祐基)
技術者が正直な倫理観に基づいて問題を指摘するためには,告発者の処遇を変わりないものにする,氏名を公表しないなど,技術者を守ってあげるための制度を確立させる必要があります。会社側も内部告発をマイナスに捕らえるのではなく,事態が後戻りできなくなる前に事故を防ぐことができるというプラスの視点で考える必要があると思います。
以前,原子力発電所で技術者が内部告発をしたとき,技術者保護の点からは憂慮すべき点がありましたが,問題箇所が数十件にもあることが分かり,結果として重大事故を未然に食い止めることができたということがありました。会社側は内部告発制度が会社を救えることを考慮すべきではないでしょうか。
(鉄道建設・運輸施設整備支援機構 石橋英介)
提供されている倫理問題については,日ごろ技術者が遭遇しやすい話題ばかりで,自分が設計や工事の担当者であったら,どのような対処が行えるかを考えながら,拝読させていただいた。組織の中で働いていると上司の意見に対して,なかなか「NO」と言うことが難しく,技術者倫理に反すると思いつつも自分の意見をまげ,与えられた業務を推し進めることもある。だからこそ,技術者の倫理が問われているのであろう。職場の中で,トップダウン的な意思決定だけではなく,ボトムアップ的な発言や検討の場があれば,技術者倫理の問題に悩む担当者も救われるのでは。
個人だけではなく,会社や組織としてどのように「技術者の倫理」について考えていくか議論しなければ,現状の問題に対して解決していくことは難しいかもしれない。
今後の掲載に期待します。
(東京都 石川幸裕)
最近の自動車産業や食品産業での不祥事をみると技術者倫理の問題は,社会問題となっています。それは我々建設業界にとっても他人事ではありません。しかし,いざ団体に所属すると麻痺してくることがあります。このことは今回の記事を読んで自覚させられました。
今後,仕事をする上で技術者倫理を問われる時が必ずあります。その時にどのような行動とるべきか・・・その答えは普段の仕事に対する取組み方の延長上にあると思います。問題にぶつかったときに間違った判断をしないためにも普段の心掛けから考えていかなければと再認識させられました。
(東急建設 高倉 望)
土木技術者たる者,程度はどうであれ,少なからず1つは倫理問題に直面した経験はあると思います。特集の「河川改修に伴い発生した問題」を,人事とは思えなく,読み進めました。倫理問題は,事態が発生し,これを隠蔽すればさらに悪循環化します。そうなる前に,事態が発生した際には,勇気をもって隠さず報告し,根底から解決することを改めて認識しました。
(復建エンジニヤリング 大嶋 誠)
小職の立場ではなかなか遭遇できない実体験が多く掲載され,興味深く読ませてもらいました。中には,ちょっと間違えると政治サスペンスドラマになってしまうようなものがあり,正義の若手技術者がどう育っていくのだろうと思う一方,まさか土木の世界に嫌気が差して辞めてしまってはいないだろうかと心配になります。また,こうした問題なりケーススタディを,もしも教育の場で取り上げているようなことがあれば,どのように指導・教育されているのかを知りたいと思いました。
(日揮 宮岡秀一)
橋梁アンカーボルトの切断行為については土木屋として非常にがっかりし,周囲からの“そんな非常識なことしているのか??”との疑いに憤懣やるかたない思いをしてきました。しかし本文により,この問題の本質は切断した業者のみならず,発注者を含めた多くの関係者の無責任さにあることが分かり,さらに根の深い問題であったことを知りました。
発注者・設計者・施工者を含めた,技術者倫理に基づく役務の実行と不備な問題解決のシステムの改善が早急に必要と感じました。
(日揮 飯塚浩晃)
昨年頃にNHKの特集番組でアンカーボルトの長さ不足による手抜き工事の番組が制作されていた。非常に驚いたと同時に,この様な事態が起きる風潮が土木業界の中に蔓延しているのではないかといった以前からの思いに合致してしまったために残念でならなかった。
この様な際に土木者倫理といった観点から議論をするのも良いのだが,それ以前に人としての一般的な道徳心に立ち戻ってほしいと考える。私は,幼少時代から父親に常日頃言われた言葉がある。それは,「天知る,地知る,我知る」という文句である。どんなに,周囲の人間を欺けたとしても,お天道様と,大地と,己の心には嘘をつけないと言う意味がある。土木の施工現場は一般の人には直接作業現場を見られる機会は少ないので,手抜き工事や本来行ってはならない手法などでの建造が可能である。また,一度造れば,今回のアンカーボルトなどは発見されずにいることもあるだろう。しかし,己の道徳心により賢い判断を下せる技術者が増えてくれることを期待したい。
(東京都立大学 藤原多聞)
美女木ジャンクション。私がまず思い出したのはタモリ倶楽部での某髭の自称ジャンクションマニアの有名漫画家である。
どうやらその形・信号があることなどが気に食わないらしく自分が考えたジャンクションを描きだし,番組の司会者・ゲスト入り混じってのジャンクション談義となった。
実際にはコスト・用地・立体交差など解決すべき問題があり,それらの天秤に乗った結果なのだと思われるが,機能性の結果かもし出される美しさというものも市民とのコンセンサスを形成する上での重要な点であると考えます。
(JFE技研 田近久和)
この記事を拝見して,地方の公共事業の現状を垣間見ることが出来ました。地域社会において,必要なものをすぐに提供できるシステムとして,今回のCMが機能しているとのことで,今後の良い事例となればと思います。今回の特集で,CMの導入の経緯,CMの選定まで記載されていましたが,現在,どのような業務を行っているのか,CM業務に対する評価また現在の事業の進捗状況について,もう少し説明があればよかったと思います。
(鉄道建設・運輸施設整備支援機構 佐藤貴史)
公共事業者と施工者との関わりあいという側面から本編を拝読した。
近年,公共発注者の技術力低下が話題となっている。これには,様々な原因があると思うが,その一つに官庁技術者の職務の質的変化が背景にあると考える。実際,関係機関との調整,アカウンタビリティの確保等に追われて,現場監督や設計変更の対応などに十分な時間を割くことができないという話を聞く。
一方,受注者側もISOなど施工に付随する書類作成で首がまわらないという実態があるようだ。
こういった状況の中,発注者の技術支援又は現場運営者としてのCMが注目されているが,CM導入の前提として,従来,元請が担ってきた業務あるいはどこに責任があるか不明確であった業務について,三者のうち誰が担うか明確にすることが必要になってくると思う。(例えば,安全管理に係る統括責任など)本編についても,各々のプレーヤーの役割分担の明確化という側面からモニターしていただけることを期待する。
(東京都 草深玲安)
本記事は,道路整備事業にCM手法を導入した事例としてのリポートとなっておりますが,1つの事業報告事例ではなく,それぞれの立場からの意見をインタビュー形式にまとめらてれおり,CM手法と地域を思う人達の思いが伝わり,好意を持って読み進める内容であったと思います。
記事の段階では,導入の経緯にとどまっておりますが,9月3日,トンネル工事を対象として,総合評価落札方式による一般競争入札を公告したようであります。光多教授のおっしゃる様に,導入後の状況報告経緯も知りたいと思います。
自己申告によるCM委託費の減額もあるとのきびしい契約条件のようです。優秀な人材には仕事が集中するものですので,受託者(応用地質さん)側のお話も伺いたいところです。
(東洋コンサルタント 小林幸男)
CM(Construction Management)方式「建設生産・管理システム」の導入事業例が,プロジェクトリポートの新しい試みとして,事業に関わる「人」に注目したインタービュー形式で,島田善多学会誌編集委員により,興味深く纏められていた。悲願の兵庫県日高町と八鹿町をつなぐ知見八鹿道路整備事業を,限られた期間と予算内で実現するために,CMを取り入れた背景と説明が分かり易く行われていた。日高町の清水豊町長の「悲願達成にはエネルギーと工夫,そしてチャレンジ精神」,日高町職員の「CMは地域のアドバイザーであり,マネジャー」,知見八鹿線CM業者選定委員会の光多長温委員長の「CM技術者は技術を売る保安官になれるか!」,八鹿町の広瀬栄建設課長の「時間の意識と行動力を持って,今戦うとき」というサブ構成で,いづれも関係者の熱意と努力を感銘深く伝えていた。
特に,民間に4年間勤務経験のある広瀬栄建設課長の,地域社会の存続発展のために,顧客(住民)のためになることは何かを真摯に常に考えている言葉に感銘した。「民間では,会社を存続させねばならないから,常に時間に対する意識を持つよう教育された」,「住民の求める物は早く造って価値が高まる」,「正直言って,公共事業の流れは遅く,時代の価値に沿っていません。地域住民は今欲しいのです。欲しい時に提供できれば,その事業の投資価値が高いはずです」,「地域の実情にあった,スピーディーで効率的,効果的な事業の進め方の構築が必要である」,「小さな自治体は,時間の意識と行動力を持って戦う時期に来ていると思います」等である。
「CMは,地域レベルでそれぞれの地域の実情にあった事業を,限られた予算内で迅速かつ合理的に行うための助けとなる」ことが期待される。
(広島工業大学 二神種弘)
CMなどの新しい手法は,資金的にも技術的にも国や県に比べて力が小さい地方自治体のインフラ整備に今後も有効であると考えます。そのような考えを以前から持っていたので,具体的な事業について紹介されたこの記事には大変興味を持ちました。特に実際に携わっている方々の生の意見には同感する部分や教わる部分が多々ありました。近年,都市再生について予算的に優遇されている状況の中,さらに地域と都市部の格差をつけないためにも地域の公共事業に新しい手法を導入していく試みは重要なことであると考えます。
(東急建設 高倉 望)
マネジメント分野は,今後の重要性が高まってくる分野であると思えるが,地域にシステムとして根付かせていくためには制度等のバックアップも重要と思う。学会等でその重要性を認知させる活動が進められると同時に,売れる技術をもつ技術者の整備と,さらには買う市場の醸成とを進めなければならなく,ある種の戦略をもって取り組むことが必要と思う。
(八千代エンジニヤリング 高森秀司)
今年の水害による被害は、死者を多数出す大惨事となっている。
特に今年は,台風の上陸が過去最大を記録するなど異常気象は,従来の河川計画を再考する必然性を示していると思われる。
特に,ここ最近「公共事業」が逆風を向かえるなか,何処に何を集中して整備すべきかを教えてくれたように思う。死者を出すまでに至った経緯はいろいろあると思うが,ハード面を整備する使命がわれわれ土木技術者にはあると思う。そして,災害時に大惨事に至らない緊急堤防復旧対策を考えなければならない。
(大林組 中村 泰)
本記事を読み進むうち,「最重要地域での破堤」「河川工学が未だ未熟であること」「急激に越流しても破堤しない構造とする必要性」等のことばによって,地元の河川工学の専門家として,水死者をだしてしまった無念の思い,くやしさが伝わってきて,単なる災害報告ではなく,且つ感傷的なものでもなく,専門的分析を交え土木関係の報告文として感銘を受けました。
新聞報道ではコンクリート護岸部分が破堤せず土盛の部分が破堤したとの図を掲載していたように記憶していますが,一般紙の報道の検証も知りたい部分でした。
(東洋コンサルタント 小林幸男)
今夏の北陸地方の集中豪雨による災害報告を読んで,例を見ない被害状況に驚嘆した。
現状の河川計画では考慮されていない豪雨による災害にしても,被害を軽減する対策について検討されていなかったことが残念である。
最近の雨は,短時間に集中的に降るため,河川や下水道などの雨水排水施設の現行計画では対処できない部分もある。今回の災害を踏まえ,現行計画の見直しや災害に強い施設作りをもう一度検討することが必要だと改めて強く感じた。
(東京都 石川幸裕)
防災関係の職に就いていても,自分の所管(海岸)以外で,この様に詳細に災害のリポートを読むことはない。特に,写真やグラフ化されたデータ入りでの専門的・科学的なこの様なリポートは学会誌ならではで,大変意味があると思う。
(水産庁 浜崎宏正)
この豪雨災害は,「記録的な集中豪雨」ということで報道されたり,発表されたりしているので,潜在的に「不可抗力」という責任回避の心理が働いているのではないかと常々感じていた。大熊先生のこの速報では,「水死者を出し,復旧の困難な壊滅的被害を集中させたことは,今までの治水のあり方について強い反省が求められる」ということを当事者として書かれており,敬意を表したい。今回の豪雨災害の最大の問題点は,堤防の決壊であると指摘されている。堤防を高くすればそれだけ決壊したときの被害は大きくなる。記録的豪雨で越流するのはしかたがないとしても,決壊してしまうのであれば,むしろ低い堤防で早い時期に越流・決壊していた方が被害が少なくて済むという見解は当を得ていると思う。今回の災害の経験を教訓として,「人が豪雨で死なない河川づくり」が少しでも進めばと願う。
(太田ジオリサーチ 太田英将)
豪雨によって堤防の破提が大きな災害をもたらした理由の1つだと思う。その対策としては越流しても破提しない堤防を造ることが大切であり,今後の課題ではないかと思います。
(東北工業大学 柏木雄貴)
今回の豪雨災害は,河川計画において想像していた想定範囲をはるかに上回る量の豪雨が短時間にかつ集中的に降ったためにその被害が拡大した。このような短期的豪雨は,近年の温暖化等の地球環境変化により日本各地で今後も再び起こる可能性がある。つまり,災害対策は今後,全自治体の共通の課題だと言える。
現在,委員会では今後の河川計画,防災計画の提言に向けて取組みを行っている最中であるとのことなので,今後,この提言が全国の自治体や日本の防災レベル向上へと繋がるものとなることを期待する。そのためにも,堤防の災害メカニズム解明等ハード的な検討だけではなく,災害復旧体制等ソフト的な取組みについても調査の上,報告をして頂きたいと思う。
(JR東海 高橋和也)
米国において,工事内容の公表が必ず行われ,契約金額まで公示されていると言う事実には驚いた。これは,今号の特集でも扱われている土木事業の市民への理解を深めることに大いに繋がってくるものだと思います。一般市民が工事内容や契約金額をみてその工事について理解するのはかなり困難なことだが,こちらの情報を公表することで市民の土木に対する不信感を和らげる効果はあると私は考えます。私個人の意見としては,難しいことを理解してもらうよりもまず,市民が感覚的にいいイメージを抱くような方法を考えるべきで,その手段の1つとして情報の公表は有効な手段だと思います。
(京都大学 三津田祐基)
この記事で特に興味を抱いたのが,現場工事の安全管理基準の低さである。「安全は基本的には自己責任という考え方が定着しているようで,・・・安全設備は日本に比べてそうとう粗末なものである」しかし,これはある意味,安全管理が自己責任だという厳しい側面があるのだ。この記事内の文章からもわかるが,やはり国によって安全管理の基準1つとっても様々なのだろうと推測できる。私は将来的に海外の現場で施工管理業務に携わりたいと考えているので,このような事に対応していける能力を養って生きたいと思う。
(東京都立大学 藤原多聞)
「箱根八里は馬でも越すが,越すに越されぬ大井川」と唄われていた大井川は有名な川であるが,その川に架けられた橋が何度も流され架け替えられたという本記事を読み,昔からこの地において繰り広げられていた,土木技術者の先輩方たちと自然との共存を目指した土木技術の戦いを知った。自分も未来の土木技術者たちに何を残していけるのかな,と感じた次第です。
(日本道路公団 徳田尚器)
実はモニターになって日が浅く,門外漢でもあることから,学会誌にきちんと目を通したのは9月号が初めて(済みません)。江戸時代の昔から難所と言われていた大井川と橋の変遷を興味深く読みました。読者にとっては,こういうコラムのような記事は豆知識にもなりうれしく,このシリーズは今後も楽しみ。
(山梨日日新聞社 向山文人)
記事を通して,巨大構造物のダムの夜間工事がこれだけ少ない人数で行われていることに驚くとともに,昼夜を問わず働く作業員の細心の行動などにより,四大管理である工程・品質・原価・安全が守られていることに深く感銘を受けた。巨大構造物を見るとその構造物自身に目が移りがちだが,陰で働く人達の努力上でなりたっているということを確認するとともに,実社会で働く方々の経験を聞けたことは,学生である自分のこれからの指針になるであろう。
(中央大学 田中聖三)
役所の中での事務仕事の我々にとって,現場の作業の流れは未知の部分が多い。写真入りで,時系列に沿ったこの様な解説は,経験のあるものにとってはなんて事ないだろうが,私のように,全くと言っていいほど現場経験もなく,興味津々で見入る者も意外に多いのではないだろうか。
(水産庁 浜崎宏正)
歴史的な背景も述べられており興味深く読ませていただきました。遺構・遺跡の維持管理のためには,過去の文献調査や,施工途中での新たな発見への対処など,時間とコストが必要であることを再認識しました。また同種の工事で,アンコールワットの修復において,当時と現代技術の双方を臨機応変に適用していたことを思い出し,文化財の重要性,傷み度合い,工程,修復コストのバランスなどを考慮した工事方法選定の必要性を感じました。
(日揮 飯塚浩晃)
皇居(旧江戸城)の石垣修復工事における,土木技術の歴史と最新技術を用いた修復工事に関する内容で,とても興味深く読む事が出来た。
石垣背面に築造年や施工者名の刻文が記されているとは,末代に最低限の情報を残す慣例だったのか驚かされた。裏込め栗石に代えて土圧を軽減し,水はけも良い瓦を使用していた部分があったこと,それが大火により発生した再生材利用であったと考えられる事がさらに驚くべき内容で,現代において土木事業に課せられている循環型事業形態への転換のみならず,コスト意識をもって望んだ現われではないかと思われ,先人達の偉大さを感じた。また,修復作業にはレーザー三次元測量と写真測量を併用した現代技術を駆使するとともに調査データは電子データ化して今後の修復に活用可能な石垣管理システムの構築を進めているのが,現代人の意地といったところか。巻末にも書かれているが,最先端土木技術を用いて歴史のロマンと対話する文字通りの大事業であると思う。
(JH 高橋俊長)
石垣の歴史的経緯と当時の土木技術の関係を詳しく調査されていて,とても興味深く読ませていただきました。また今回の修復事業はIT技術による最先端の土木技術を用いていているということですが,当時の土木技術を思うと,築造された江戸城全体の石垣がいかに大きな事業であったかを感じました。
(東洋建設 北出圭介)
歴史資産の保全と利活用は今後の都市政策でも重要となると思い,興味をもって拝読した。石垣という特徴的な歴史資産に限らず,日本固有の建築技術などを,継承していく取組みが重要と思うが,記事中の写真・スケッチ・メモにデジタル画像等を活用したDBは,貴重な資料となると思う。あわせて記述のあった歴史的な資料等を収集・蓄積していく取組みがいずれ重要になると考える。
(八千代エンジニヤリング 高森秀司)
このような歴史的建造物の修復の話題にはロマンがあり,たいへん興味を覚える。震災復旧がなされたのではないか,火災瓦のリサイクルではないかなど,石垣を解体しなければ分からなかったことが推察され,興味が尽きない。圧巻は細川忠興が羽柴姓で寄贈した石垣が発見されたといった記事であり,歴史のロマンを感じずにはいられない。このような歴史的な建造物の修復に,三次元測量等現代科学の粋を持って挑んでいるところも面白い対比である。解体の過程では,本稿では語り尽くせない様々な先人の土木工学的知恵も発見されたと思われ,竣工後には紙幅を大きくした報告をお願いしたいと思います。
(中央復建コンサルタンツ 澤田幸治)
現在の技術を使って失われた技術と歴史の暗闇を追求していく内容に,わくわくするような興味を持ちました。
歴史ある我が国には,土木構造物に限らず,江戸時代以前からの遺稿が数多く残っています。
かつては新しいものほど良いとされた時代もありましたが,現代は,誇りを持ってこうした遺稿を残していくことが求められているのではないでしょうか。
特にいにしえの土木構造物は,重機がなかった時代の人々の英知が感じられる貴重な我々日本人の文化財産であり,積極的な取り組みが必要です。その思いを今回の記事で再確認させてもらいました。
(日本技術開発 中野雅規)
今の日本の土木技術は,石垣等,何百年にも渡る古来の土木技術の積み重ねがその根底を支えている。今後,新しい構造物を造るにしても,古い構造物を維持管理するにしても,我々が土木技術の歴史や時代的背景を知ることは非常に重要なことである。
今回の記事では,江戸城石垣の修復作業を通じて明らかになった当時の石垣技術や歴史的背景等わかりやすく紹介しており,こうした日本の土木の歴史に関心を集めるよい一つのきっかけになったと思う。
また近年,世間でもリサイクルに注目が集まって来ているが,江戸時代にもすでに瓦の再利用は行われており,資源を無駄にしない姿勢が当時の人々の意識の中にもあったことに驚きを感じた。
(JR東海 高橋和也)
私も石垣構造物の建築に関わったことがあり,その際の経験から,石垣建造に関わる技術を伝えていく試みが重要であると感じていたので,本投稿記事を興味深く読みました。近江の坂本では,穴太(あのう)積みと称される工法による多くの石積みが,門前町独特の何とも言えない郷愁を感じさせる街並みを作ってくれています。心に残る思い出として,第2名神高速道路の工事によって付け替えの必要性が生じた東海自然歩道の一部に,この石積みによる擁壁が建造された際のことがあります。空積みである野面積みを採用したため,耐震性などが疑問視されましたが,工事長さんの熱意と石積み職人の方々の努力で,いくつかの試験や解析によって安定性を証明して着工に至りました。出来上がってみると,地域の景観になじんだ構造物として大好評を得ています。景観にも優れ,工事に伴って産出された石を使う石垣擁壁は,人と地球に優しい構造物であることを証明し,住民との関わりあい方を模索する今の土木構造物が抱える悩みに対する答えを教えてくれたような気がしました。この日本人に愛される石積み構造物が,もっと活かされていくことを願っています。
(京都大学 西山 哲)
私も本屋によく行き,たくさんの興味のある本を買い,筆者の言う所の速読,熟読,積読を繰り返す。たくさんの本を読むと言っても,活字世代の方から見れば微々たる物だと怒られそうだが,本を読むことは,多くの人の経験を本と通して追体験,類似体験することにより,自分の世界観が広がっていくことだと自分自身は考える。筆者のような多くの技術的や社会的な経験を持っていらっしゃる方々がその経験を本に記することにより,その本は私のような若輩者にとって何よりも変えがたい財産になると考える。
(中央大学 田中聖三)
思わずぐいと引き込まれる書評で,ぜひこの本を手にとってみたいと感じました。また,冒頭に記述されている朝日新聞との長良川河口堰の論戦に関するエピソードについては,存在することは知っていましたが,恥ずかしながら今でも見ることができるとは知りませんでした。こちらも非常に興味深く拝見させてもらいました。
(日本技術開発 中野雅規)
少子・高齢化が現実のものとなり,総人口も減少に向かう今日にあって,また,土木技術者の地位が不安定となり,社会資本整備への新たな投資が抑制される中にあって,これからの日本のあるべき姿や長期的なビジョンを取り上げて,若い技術者も加わった議論がもっとあってもよいと思う。JAPICにおいても「フラッグシッププロジェクト提案」が公募されており,土木学会が中心となって,土木技術者の中から,土木技術者が元気を出し,活力ある日本を実現して行ける道を議論できる場を提供できないだろうか?!
(前田建設工業 赤坂雄司)
先日どなたかのコメントもあったと思いますが,他の書籍と比べ学会誌の紙面は光を反射し読みにくいので,変更したほうが良いのではと思います。
(匿名希望)
平成15年度土木学会賞の各賞が掲載されていました。併せて,功績賞受賞者の紹介もありました。土木技術に携わるものとして,先輩諸氏の功績に感服する次第でありました。
(JH 高橋俊長)
以前,大学の土木工学科の活動が紹介されていたように記憶していますが近年,土木工学科から都市環境学科のように名称変更した先になにがあったのか知りたいと思います。最近は,土木・建設学科卒の求人に女子学生が多数応募してきて,モチベーションも高いのです。
その土木から環境へと学科名を変えた学生達や女性技術者にもっと紙面を充て華やかで元気な紙面にて活性化を図るべきと考えます。学会重鎮の 功労賞報告等がメインとならずに「付録」として巻末に添え物となっている9月号紙面構成は、個人的には好ましいです。
(東洋コンサルタント 小林幸男)
外来語のいいかえについて興味があります。次回にもう少し具体的に意見を述べさせていただく予定です。
(中央復建コンサルタンツ 澤田幸治)
いつも学会誌を楽しく拝見させていただいております。来年は,愛知万博と言うことで,今月の愛知工業大学で開かれた全国大会の際には,名古屋市内で行われている工事の作業風景を拝見する機会がありました。
今月号では,愛知万博に関しては市内を走るリニアモーターカーについての記事がありましたが,今後も関連した内容の記事を多く掲載していただけると非常に読み応えがありますのでよろしくお願いします。
(東京都立大学 藤原多聞)
9月8日に土木学会全国大会に参加しました。最近の全国大会は,以前に比べて企業単独の発表論文が減り,公的な研究機関との共同研究や大学の発表論文が増えていると感じています。これは企業側の研究予算縮減の煽りをうけている影響が少なからずあると考えております。昨今,その公的な研究機関や大学が独立行政法人化し,さらに研究予算が圧縮されます。これは日本の建設技術力の低下だけでなくインフラの不備,さらに安全で豊かな日本の崩壊を招きかねないと危惧しております。実際に豪雨災害などの自然災害による死者が年々増加してきていることはその一旦かと思います。
就きましては,土木学会が社会に対して声を大きくして技術の重要性を問い続けていただければ幸いです。
(東急建設 高倉 望)
最近の学会誌の傾向として,ソフト面の記事が圧倒的に多く,かつて,ものを作るためのハード面に係わる教育が主体であった時代に教育を受けた人間としては若干寂しい思いがします。技術が成熟してしまって,記事にしたくなるような目新しいものが無くなってきてしまったのでしょうか。「いやいや,そういうことはない」というような,実際にものを作るための技術・研究に係わる記事をも期待します。
(日揮 宮岡秀一)
(編集委員会からの回答)
「ご意見ありがとうございます。学会誌の編集方針として,ハード面軽視ということは決してありませんが,近年ではソフト面に関する話題が飛躍的に増大し,結果としてソフト面の記事の占める割合が高い誌面構成となっております。
したがって,ご指摘のようにハード面よりソフト面が強調された印象となっているかも知れません。
個別記事において,ハード面についても十分な内容を持った記事にしていきたいと思います。」
Copyright 1996-2005 Journal of the Society of Civil Engineers