土木学会誌2007年12月号モニター回答
最近の本誌の表紙には、他の学会誌と違い表紙についても惹かれるものがあります。今年は世界の町巡りと言うことで毎月楽しみにしておりました。落ち着いた配色で飾られているところがもったいない、と思っていました。しかし、12月号は特に色彩的にも写真的にも意表をつかれた感じがしました。できればこれからも固くならず、電車の中でも広げられるような学会誌になることを期待しています。
(所属:中研コンサルタント 氏名:岡田 八千代)
裏表紙の光きらめく写真に思わず見入ってしまい、表から広げて写真を見ながら、解説文を読みました。「世界の注目を浴びた」オリンピック冬季大会はまったく知りませんでしたし、クラシックに造詣が深くもないので、アルプス交響曲も知りません。それでもこのベンチにもテーブルにもたくさん雪が積もっていて寒いはずの景色に暖かい光があふれている写真は、とても美しく、いつまでも手に取って眺めていたいようです。この光がアルプスの山岳リゾートにきらめいているのも、どこかの発電所から送られてくる電気のおかげだと思うと、インフラの大切さを感じずにはいられません。
(所属:鹿島建設株式会社 氏名:小田晶子)
1944年に論文集から独立したときから、土木学会誌が変わったとのことですが、その当時の様子を当時の委員長にお聞きしているところが、立派だと思います。私もいろいろな編集にかかわってきましたが、誌面を変えようとするときに、前回の大幅改革の際になぜそう変えたのか、議事録や新誌面の冒頭文などの資料を読んだりしてその時代になぜそうしたかを追求します。しかし、改革した人のナマの声を聞くことまではしたことがありませんでした。どういう反対があったのか、どういう社会情勢があったのか、そのあたりのふれかた、ぶれかたを直接伺い、それを現在のものに反映していくというやり方は、なかなかできるものではありませんが、見習いたいと思いました。ただ、新しいデザイン方針で「縦書き」が基本というのには、驚きました。縦書きと横書きの混在は、年配の方から批判があるのは、私も同様のことをしたことがあるのでわかります。結局その本は縦書きが中心のものとなりましたが、数字や単位の表記が出てくると、文字量が極端に増え、読者にもわかりにくくなるように思っております。しかし御誌の読者の場合、特に理系の方、論文をかかれる方は、横書きが当たり前となっているのではないでしょうか?年号、数字、英字、単位・・・こういうものの混在する文章は、横書きなのでしょうか?縦書きが「基本」というのは、どの程度になるのかわかりませんが、縦書きと横書きでは、読み始める場所が違います。混在すると、ますます混乱します。扉・開き方から変わるのでしょうか?見開き2頁ものがおおくなるということなのでしょうか?段組は、どうなさるのでしょうか?学校の教科書は国語以外すべて横書きという時代にあえて縦書きの「読み物」に特化するという指向は、そこに「意思」が感じられていいとは思うのですが、わざわざ「一般的な教養誌」の方向に行かなくてもいいのではないかと思いました。私ども門外漢からすると、こういう理系の本は「理系の教養誌」イコール横書きということで、十分知識欲を満たしてくれる気がしますが。たぶん、何度もコンペや見積もり合わせも行い、デザイン事務所も絡んでの決定だと思いますので、1月号以降、どういう誌面になるのか、楽しみにしたいと思います。
(所属:鹿島建設株式会社 氏名:小田晶子)
都市公園を昔のような自然環境に再生することは、簡単なことではないと思います。しかし、住民の理解と行動力があったからこそ、成功しているのだと感じました。また、「古い人には懐かしい風景であり、若い人には新鮮に見える」という言葉に、一人ひとりの感じ方は違っても、楽しむ空間を提供できることはすばらしいことであると思いました。
土木学会デザイン賞をもらっており、美しい公園に生まれ変わっているとは思いますが、もっと写真があると風景をイメージしやすかったです。
(所属:東亜建設工業 氏名:水野雅仁)
8分野のインフラリニューアルについて特集されていて、「特集を終えて・・・」で、一見なんの関連性もないテーマ同士にみえて、7つの共通点があるということを言及している。インフラリニューアルの企画・設計のための共通視点として、リニューアル対象のインフラに対する、住民がもつ価値の把握、価値構造形成の解明を取り入れられないか。日本橋のリニューアル、道路・公園のリニューアル事例については、住民参加のプロセスが紹介されているが、さらに踏み込んで、そのインフラにどういう価値を感じているのか、何を望んでいるかということの調査に加え、なぜそういう価値観を持つようになったのかという調査、そのためのワークショップも企画の段階で必要でないか。その地域社会や
地域住民の歴史的文化背景と、個人の価値観の関係については社会学、インフラの認知と個人の価値観の関係については心理学の分野で研究が進められているが、現時点では、これらと工学(ここでは土木)が有機的に連携されていない。インフラ整備については、(経済学を含めた)実務的な学際融合の旗振り役は土木分野が適任と考える。歴史的文化的文脈から住民のインフラに対する価値の持ちようについて明らかにしたうえで、企画を進めることで、設計の段階で成功が約束されるような、学際的な方法論が構築できたらいいと考えている。
(所属:東京大学大学院 氏名:大塚佳臣)
『リニューアル』というと職業柄か補修技術の紹介といった記事に目がいきますが、本特集ではさまざまな切り口からリニューアルについて紹介されており、興味深く読むことができました。小林先生の記事にある、『ある時代に最適に整備された社会インフラであっても、時代が変われば最適でなくなることが起こりうる。』という文章の『社会インフラ』の部分にいろいろ他の言葉(例えば『学会誌』)に入れ替えては考えさせられました。
(所属:前田建設工業 氏名:陳 友真)
以前、この記事の周辺地域に住んでいました。江戸の下町を思わせる町並みがかさ上げ護岸によって、「川は危険な場所」という印象を与えてしまい、とても残念に感じていました。一部、遊歩道として整備され、人や自転車の行き来、人が集まる場所として賑わっているのを目にしました。都市の河川は人から遠い存在になってしまっている現状を変えながら、緑豊かな町並みを整備する良い方法のひとつではないかと思います。
(所属:足立区 氏名:白勢 和道)
河川の水害対策と、その河川における水辺空間の創出を同時に進めることは非常に難しいことだと感じている。それは両者がトレードオフの関係にあると考えているからである。水害対策のためにかさ上げ護岸などをしてしまうと、近所の住民から水辺空間を奪うことになる。一方水辺空間の創出に重点を置いてしまうと、水害対策が不十分になり近所の住民に被害が及んでしまう。しかし、この記事で取り上げている小名木川では、河川の水害対策及び水辺空間の創出がwin-winの関係になっているように思う。小名木川の整備はまだ途中ということなので今後の活動に注目したい。
(所属:東京大学大学院 氏名:真田 圭太郎)
ETCが、(道路公団という形でしょうが)全国一律のシステムを採用により、普及率が上がったとのことですね。自動車会社は、画像処理等含めて、車の自動運転を目指していると思いますが、道路側DSRCによる情報も便利であるとは思いました。
(所属:鉄道・運輸機構 氏名:小川 逸作)
私の使う通勤経路では、駅ナカを利用できる環境がなくあったら、さぞ便利であろうと思う。しかしながら時々感じることは、「周辺の地域にはどのような影響があるのか」、といった疑問である。駅ナカにある店舗は、決して駅になければいけないものではなく、駅周辺にも当然あるものである。地域にある店舗は駅ナカの影響をどの程度受けているか、また、将来どのように地域が形を変えていくのかを考えなければならないと感じた。鉄道事業者にとっては、駅ナカは一つの収入源であることは間違えないが、鉄道事業はインフラであり、完全な営利団体としての立場をとることは公平さを欠く。地域といかに共存していくかといった姿勢をもう少し明確に打ち出した方がよいのではないかと感じた。
(所属:氏名:尾島 洋)
駅に求められる利用者のニーズは多様化しており、時代の変化に伴い駅の機能も変化する必要があることを痛感する。ステーションルネッサンスや駅ナカ、駅チカといった取り組みは、駅空間整備の代表的なものであり、その変貌ぶりには感嘆させられる。駅空間はまちの賑わいを創出する起点であると同時に、多くの人が利用する公共空間であることを肝に命じ、鉄道事業者の一人として空間の施設デザインに配慮していきたい。
(所属:東京急行電鉄(株) 氏名:岩本 敏彦)
同じ鉄道事業者として、「うんうん」とうなづきながら読ませていただきました。過去に作られた鉄道の駅は、最低限の機能を重視したものが多いと感じています。(ある意味、あたりまえのことですが・・・。) 今後は、地域のシンボルとしての駅、見て楽しむ事ができる駅、鉄道を利用しない方でも訪れて楽しむ事ができる駅など、いろいろな付加価値を見出していくことが重要になってくると思います。もちろん、「駅をかえる」ことによって、本来必要である機能、サービスを低下させないことが前提です。なお、こういった「駅をかえる」取り組みは、鉄道事業者だけでなく、関連する地域の自治体と連携してできればなお良いと感じました。
(所属:東京急行電鉄 氏名:小里 好臣)
全国的に知られる日本橋においての小路改修の話として、一年余りでリニュアールされたとの中央区の方の文章でした。このリニュアール、行政主導では困難で、地域住民等との連携をとることは不可欠であるとのことでした。
文書中、「むろまち小路」の長さが載っていませんでしたが、いかばかりのものなのでしょうか。記事を読んで思い出したことがあります。ある地方都市を、歩いていると、ある部分、ある部分で歩道等のデザインが(たぶん工事毎{駅前とその近くを流れる一級河川のほとり等}に)異なるということがあり、全体として、ある程度の調和が取れていた方が良いと思ったことがありました。今回は小路としてのリニュアールですが、日本橋という街全体としてなにか統一的なイメージ等あれば知りたいと思いました。
(所属:鉄道・運輸機構 氏名:小川 逸作)
昨今、都市の景観を巡る社会の状況が少しずつ変化しています。社会基盤施設のデザインも世界のそれと比べ、「日本らしく」ないように思います。社会基盤の「リニューアル」を新しいデザインで行なうのではなく、伝統的な町並み、「日本らしい」デザインをうまく活用したこの取り組みはとても有益だと思います。特にこれからは、地域住民と行政が共に活動していくことが必要ですしこれら歴史、文化を継承し、その街の伝統を保存していく土台にもなります。全て一律同じデザイン、景観ではなく、その地域らしさが見えるデザイン、景観をこれからのリニューアルに活用し、「日本らしい」社会基盤を整備することも土木技術者として必要だと思います。
(所属:足立区 氏名:白勢 和道)
地域が抱える道路に関する要望や維持管理手法は同じ自治体の中でも異なります。草刈作業や塗装、補修などの比較的簡単な作業は、その地域全体が道路に対する意識を高め、維持管理に必要な情報などを共有するきっかけにもなると思います。また、道路管理者がこのような新しい道路維持手法の情報を共有していくことも必要で、そのような企画が実施されることを期待しています。
(所属:足立区 氏名:白勢 和道)
一般には草刈りなどの道路の維持管理は行政が行うものという意識の中で、徳島では市民が分担してきれいにするものと思い込んでいるとの言葉は驚きでした。アドプト制度に対する理解は地域によって差があると思いますが、マスメディアに積極的に取り上げてもらうなどの行政側の努力も必要と思いました。
(所属:都市再生機構 氏名:丸田浩史)
津波の首藤先生から続く研究室とは、どのようなところなのだろうと興味深く読みました。今村先生の「津波警報システムがあっても、高い場所がなかったら逃げるところが無い」というお話は、総合的な防災対策の必要性を端的に物語っていると思いました。日本は高度成長期から安定性長期期に入り、今後の新規の社会資本整備は、防災・環境に重点が移っていくのでは、と感じています。工学的な津波研究では世界唯一の研究室とのことですが、新人歓迎会や芋煮など、日本の大学研究室の定番行事もあるようで、自分の学生時代を思い出しました。
(所属:不掲載希望 氏名:笠原宏紹)
イラストは工事写真と異なり周辺の余計な風景が省ける分、見せたい部分が一目瞭然で分かりやすく、とてもよいと思いました。(説明資料を作るときの参考にさせていただきます。)見開き2ページでは物足りない感じもします。
たまたま、長井ダムのHPで水彩画風の工事記録資料を読んだ直後だったので、構造・工法の違いなどもよく分かりました。
(所属:川田工業 氏名:畠中 真一)
この記事を読んで、自然災害の恐ろしさを痛切に感じた。同時に、自然は人間が到底コントロールすることができない偉大な存在であることを改めて認識した。2006年の竜巻で9名の尊い命が失われてしまった。しかし、その悲劇を乗り越えてトンネルは貫通した。このトンネルには亡くなった9名の思いが込められている。だから、このトンネルを大切に使うことが私たちの役割なのではないかと思う。
(所属:東京大学大学院 氏名:真田 圭太郎)
テレビのニュースでこの事故を聞いた時、正直、信じられない気持ちでいっぱいでした。改めて今回の記事を読んで、竜巻の威力に驚きと恐怖を感じました。私自身、今回被災した事務所、宿舎と同様な環境で過ごしていた時期があります。あの時、打合せ中に90mも吹き飛ばされていたらと思うとぞっとしますし、とても他人事と感じられませんでした。今回の事故を受けて、何か竜巻対策ができるかというと簡単には思いつきませんが、事故直後ならびに事故後の対応において、地域を含めた関係者が連携、協力しあって工事が再開できたのは、この工事に携わる方々の日ごろのコミュニケーションの賜物だと感じました。最後になりますが、被災された方のご冥福をお祈りいたします。
(所属:東京急行電鉄 氏名:小里 好臣)
古い橋梁はしっかりと風景にとけ込み、なぜか郷愁のような感覚を覚えさせられる。紀ノ川橋が、当時のアメリカンブリッジ社からの輸入品であった事はここで初めて知ったが、これは餘部鉄橋などとも同じ生い立ちである。鉄道橋は、道路に比べ過積載車両がなく想定外の荷重がかからない上、鉄道車両そのものの軽量化が進んでいると聞く。大切に使って、もっともっと長寿を目指して欲しい。
(所属:川田工業 氏名:畠中 真一)
日本に、供用100年を超えた、構造物がまだ残っていることに驚いています。また、供用100年を超えた時点で行われた、点検によって、上部工、下部工ともに健全である点も非常に興味深いことです。近年では、供用20〜30年程度で寿命を迎える構造物も少なくありません。短期間で寿命を迎えないためにも、日常的な定期点検が重要であると考えられます。
(所属:金沢工業大学 氏名:高柳 大輔)
歴史を扱う仕事をしているので、どうしてもこういう古いものに目が行ってしまう。「日本鉄道請負業史 明治編」に紀ノ川橋梁は出てくるが、施工者(当時は請負者)は4社が羅列されており、鹿島岩蔵の名前はあるものの、どの業者がどこを施工したという記述はない。ただ紀和鉄道の中で紀ノ川橋梁は一番の大工事だったようである。鹿島は「100年を作る会社」をうたい文句にしているが、100年というのは、とても長いスパンである。当社が施工した建築物で史料に残っていて現存する最古の建物は、大正9年施工だった小田原駅も建て替えられてしまったため、昭和に入ってからのものだ。それが、この紀ノ川橋梁は、現存してしかも耐震性なども、問題なく、使用に足る橋梁だというのだからコンピュータも機械もない100年前の人たちの、その技術に驚くしかない。「土木遺産」となると過去の遺物的でそれはそれで、過去に思いを馳せて楽しむことができるが、いまだに使用されていて、十分現在の状況に耐えうるという構造物はすばらしいの一言に尽きる。もっとも、メンテナンスなど、鉄道会社の方々の日々の努力があってこそ現存し、使用されているのかもしれない。建て替えの話も出たのかもしれないが、残そうとしてくださる方々がいたからこそ現在も存在しているのかもしれない。それでも、名もなき人々の手によって積み上げられていったであろう橋脚のレンガのひとつずつをいとおしく感じてならない。
(所属:鹿島建設株式会社 氏名:小田晶子)
100年以上前に作られ、現役で供用されている橋梁は、それだけで立派な産業遺産と言って良いと思います。写真で見ても、いかにも古めかしいピントラスとレンガ貼りの橋脚は、とくに芸術的ではなくても貫禄は十分で、一度見に行きたいものだと思わされます。このような古い構造物をきちんと残し、活用し続けることこそ、サステイナブルな社会の実現のために必要不可欠な技術だと思います。とくに安全性の把握・確認は大変重要です。このような技術情報の共有化によって、事故を未然に防止し、また無駄な架け替えも減らせるのならとても良いと思いました。
(所属:JFE技研 氏名:林 正宏)
近年、橋梁の崩壊事故等が多数報道され、橋梁の安全性、健全性の確保が大きな課題となっている中、建設後100年余を経た現在に至っても、大規模な改修を行っていないにも係わらず、耐久性、健全性、さらには耐震性に問題の無い橋梁が存在したことは正に驚きである。設計手法が十分確立していない時代に建設されたことが逆に橋梁各部の高い安全性、耐久性につながったものと思われるが、このような橋梁の実績を今後の橋梁計画、設計等に反映できれば有意義かと思う。なお、今日までどのような維持管理をされてきたのか、興味あるところである。
(所属:首都高速道路 氏名:高橋三雅)
明治の土木構造物が100年を超えて不都合なく供用されていることに驚きました。コンピューターなど無い時代に設計・施工され、維持管理されてきた構造物は、当時の土木技術者が誠実な仕事をした証と思います。翻って現在、コンピューターはあるけれど、偽装問題などが多発しています。明治・大正・昭和・平成と時代が移り、技術は進歩したけれども倫理・品格は後退してきたのか、とも感じる今日この頃です。この記事を読み、後世にまで役立つ社会資本整備は、技術も重要だけれど、倫理を伴わなければならないと感じました。
(所属:不掲載希望 氏名:笠原宏紹)
構造物をみんなで見守る体制をじっくりと育ててゆく取り組みは、目先の即効性より将来の実力を目指した見習うべきものが大きいと思う。とかく公共構造物では管理者と利用者の意識が遠く、利用者は自らが受けている恩恵に気づかない事も多い。職員への教育・啓蒙からはじまり、利用者も巻き込んだ地域ぐるみのアセット管理に拡大できないものかと思う。
(所属:川田工業 氏名:畠中 真一)
今回の記事の中でもインフラのアセットマネジメントに言及するものが他にもあったが、このレポートが具体的で非常にわかりやすかったと思います。いくらよいマネジメントシステムをつくっても使う人間がそのシステムの背景にあるものを認識してこそよい結果につながるのだと思います。施工管理の段階から体系的に職員の理解してもらうための講習は、他の組織でもぜひ行ってほしいと感じました。
(所属:都市再生機構 氏名:丸田浩史)
アセットマネジメント、人材育成、維持管理と興味深いキーワード満載ですが、この試みはうまく運用できたなら継続することに意味があり、うまくいかなかった場合は改善して運用する必要があるものだと思います。いずれ忘れた頃に経過報告でもしていただけないでしょうか。
(所属:前田建設工業 氏名:陳 友真)
最近六本木ヒルズ、ミッドタウン等といったお洒落な高層ビルの建設が進む一方、近代建築物が急速に失われてきています。その中で古く趣きある東京駅丸の内駅舎が保存・復原に向けた計画があることは、日本の鉄道ネットワークの基点でもある建築物の魅力を高める効果につながることで喜ばしく感じています。東京駅のみならず、既存の近代建築物は重要文化財に指定されているものも多く、保存の価値があるものと思います。ヨーロッパでは古い建築物をリフォームして保存しながら使用しており、私たち日本人も欧州人の古いものを大事にしていくことを見習うべきだと思っております。復原される東京駅が、生まれ変わった東京駅周辺にもマッチした景観を保有したものになることを期待しています。
(所属:中研コンサルタント 氏名:岡田 八千代)
東京駅の赤レンガは現状のものもなかなか美しいと思っています。現在の形になったのはそれなりの歴史があってのことなので、創建当時の姿に復原することがベストとは言い切れないかもしれませんが、賛成できる計画だと思っています。日本でレンガの建物を維持するのは大変だとおもいますが、外観だけでも残す方法を他の建物でも考えて欲しいですね。
(所属:前田建設工業 氏名:陳 友真)
顧客の基本ニーズの一つである「安全・安心」を、自然災害への対策という観点から追及している点が良いと思う。「安全・安心」のニーズは即ち、飛行中の安全・安心を確保することかと考えてしまったが、空港内の安全・安心への追及も非常に重要なことであるなということをこの記事を読んで気付かされた。
(所属:東京大学大学院 氏名:真田 圭太郎)
関西国際空港の安全対策工事について,図や写真を用いてわかりやすく書かれており,興味を持って読ませて頂きました。海上という厳しい環境におかれた空港ということで,安全対策に関わった技術者の方々におかれましては相当なご苦労があったのだろうと想像しております。興味を持った分,内容につきましてはもう少し踏み込んだ技術的背景,具体的に言えば,当時の技術ではどの程度の被害を予測し,どの程度の安全率をもって築造されたのか,といったことについてもう少し記述があってほしかったと思いました。
(所属:前田建設工業(株) 氏名:松林 卓)
最近の話題である地域格差について興味深く読ませていただきました。高速道路がない地域が地域一体となって高速道路を熱望するのは、工事が欲しいということはあるにしても、明確なシナリオを描き出せなくてもそれ以上も疲弊する地域を何とかしたい、高速道路ができれば何かが変わる的な淡い期待があるからだと思います。土木の人間はモノをつくれば終わりということではなく、産業、地域活動を活性化させる取り組みも含めて一体で提案し、また実行しなければならない時代になったということを感じました。それと、地域格差を論じる場合に、高速道路のような広域インフラ(均衡ある発展の観点)だけでなく、下水道や防災のような生活に密着したインフラ(ナショナルミニマムの観点)からも触れて欲しかったと思いました。
(所属:都市再生機構 氏名:丸田浩史)
【総目次】
毎号、様々な記事が掲載されているが、振り返って記事を捜す際に、年末の総目次は隠れた好企画かと思う。
(所属:首都高速道路 氏名:高橋三雅)
【会員の声:男女共同参画について考える】
土木分野で女性が活躍できない理由を「女性の本気」のなさのせいとしているように読み取れる10月号の「忙中ペンあり」に対して、"「『家庭と両立』など所詮無理」ならば、そのような企業への就職は女性でなくても躊躇する"との岡村氏の批判に賛同する。もう一つ男性側?の視点を追加して援護させて戴くならば、「徹夜続きのうえ専門性の生かせない単純作業の連続」から男性が「離脱」しないのは、別に男性に「本気」があるからという訳ではない。家事育児を女性一方に求める通念は、同時に男性を長時間労働に占有する通念をも正当化する。こうした性別役割の通念から逸脱する「本気」は、家事育児の一方的押しつけから解放されて働きたい「女性の本気」にせよ、徹夜続きから解放されて家事育児に参加したい「男性の本気」にせよ、社会制度的には一定の改善が見られるとしても、社会通念的にはまだまだ挫かれる。女性の社会参加の問題は、対称な位置関係にある男性の社会参加の問題と確実に連動している。"「家庭との両立」など所詮無理である"のを、働きたい「女性の本気」のなさのせいにするなら、同様に
家事育児したい「男性の本気」のなさのせいと考えられるかどうかを想像してみれば、個人レベルの「本気」では対処できない実態があることに気づくのではないだろうか。
編集部へ:批判的内容を含む記事なので、修正を加える場合には修正した文章をメールで確認して戴けますか。または下記(学会誌全般へのご意見への意見)を提案します。
(所属:秋田大学 氏名:後藤文彦)
見どころ土木遺産について:多種多様な土木遺産が紹介され、それがどのように構築され、人々に利用されてきたのかが、とても詳細に書かれていて新たな発見が多い記事ですが、今まで日本全国でどれくらいの数の土木遺産が紹介されてきたのでしょうか。HP上などでは候補リストとその写真しか載っていませんが、インターネット地図にその場所を標記したり、紹介文をリンクして載せたり、土木遺産がより身近になるような紹介をしてみてはいかがでしょうか?土木学会誌だけの紹介だけでなく学生の教材や日本に多くの土木遺産があると紹介できるツールになるように有効活用していただきたいと思います。
(所属:足立区 氏名:白勢 和道)
これからも興味深い記事をよろしくお願いします。
(所属:東京大学大学院 氏名:真田 圭太郎)
前回、7月号へのモニター回答の際に
http://www.jsce.or.jp/journal/moniter/200707/koe.htm#28モニター回答者の文章を編集部で修正する場合には、修正内容について回答者にメールで了承を得ることが望ましいと書いたものの、実態がどうなっているかはわかりませんでした。9月号への私のモニター回答が、12月号誌上に掲載されているのを
読んで、なんか話の脈絡が不自然だし尻切れとんぼで子供っぽい文章だなあと思ったら、文章がところどころ削除されておりました(単に文章を削除するだけなら、(中略)だの(後略)と入れてくれるだけで、だいぶ印象は違うと思います)。この記事は特に批判的な内容ではないので、編集部の修正が誘発した誤読のせいで批判を受けたりすることはないでしょうが、やはり、個人が名前つきで公開されても恥をかかないように推敲した文章に手を入れる場合は、
本人に了承を得るのが望ましいと思います。どうしても編集委員にその時間的・労力的な余裕がないということであれば、せめて「モニターの声」欄に、「モニター回答者の文章は、編集部で修正している場合があります。回答者のオリジナルの文章は学会誌ウェブページに全文が公開されています。」「【修】マークは編集部の修正が入った回答です。」などの注釈を入れたらいいのではないかと思います。
(所属:秋田大学 氏名:後藤文彦)
Copyright 1996-2008 Journal of the Society of Civil Engineers