2025年12月号 会長インタビュー
―我が国の災害対応力の強化に向けて―
「コスト」から「投資」へ。事前防災への国民的理解を深め対策を強化すべき
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第113代 土木学会 会長
池内 幸司
[聞き手]堀田 昌英 土木学会誌 編集委員長
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本誌10月号のインタビューで、池内会長は、災害発生時の「応急対応」のフェーズを中心に、災害対応力の強化策について語った。今回は、災害が発生する前のフェーズを中心に「平時の備え」について、課題と必要な対策を聞いた。
国が主導する災害対応体制の構築と事業評価制度の見直しが必要
―まずは災害対応の体制整備について伺います。特に、大規模災害の場合には、どのような体制が求められるでしょうか。
池内―現行制度では、基本的に市町村が中心となって災害対応に当たります。しかし、大規模災害が発生すると、被災自治体が機能不全に陥り、的確な災害対応が困難となるケースが多いのです。この点に制度上の課題があると考えています。
大規模災害では国が前面に立つ指揮統制体制も必要なのではないでしょうか。具体的には、小規模災害では市町村、中規模災害では都道府県、そして大規模災害では国というように指揮統制体制を変えていくべきです。海外でも、小規模災害は市町村や郡、中規模災害では州や県、大規模災害では国がリーダーシップを発揮する事例があります。
個別の市町村や都道府県では災害を経験する機会が少ないものの、国レベルでは相当の頻度で災害対応を行っています。したがって、国レベルで様々なノウハウを蓄積し、専門家を育成していく方が合理的だといえます。国全体で災害対応のエキスパートを育成するとともに、災害対応用資機材を国で確保し、大規模災害では国が災害対応を主導できる制度に改善すべきでしょう。
ただし、災害発生時のマネジメントは、「現地」でなければできません。国が主導するといっても「霞が関」にいて指示を出すのではなく、現地で、国、都道府県、市町村、関係機関などの幹部が一堂に会した「現地災害対策本部」で災害対応をマネジメントすることが重要です。米国で開発された「インシデント・コマンド・システム(ICS)」などを参考にして、現地災害対策本部の指揮統制体制を標準化する仕組みを構築すべきだと考えます。
| [日 時] 2025年8月8日(金) 土木学会役員会議室にて |
―仕組みとして準備しておくということですね。そうした体制なども含め、「事前防災対策」の考え方はどうあるべきでしょうか。
池内―防災対策は「事後対応」ではなく、「事前の備え」が基本となります。事前の防災対策を「コスト」ではなく「投資」と捉えるべきです。災害が発生してから対策を講じるのではなく、あらかじめ想定される災害に対して備え、予防的な施策に資源を投入することが極めて重要です。このような事前投資により、災害に起因する損失や復旧・復興に要する財政負担を回避・軽減することが可能となります。
防災対策を公共事業として実施するに当たって課題となるのが、事業の費用対効果、いわゆるB/C(Benefit-Cost)による評価が求められることです。
整備効果を評価するにあたっては、事業の実施によってもたらされる「年平均被害軽減期待額」を現在価値化したものの総和と、施設の建設費及び維持管理費を現在価値化したものの総和を比較することで、当該事業の経済性を評価することとしています。この「現在価値化」を行う際には、現在、4%の社会的割引率が適用されており、この割引率を用いると、100年後の便益の現在価値はほとんどゼロに近くなるという計算になります。
しかし、江戸時代、あるいはそれ以前に整備された治水施設でも、今日に至るまで有効に機能しているものは数多く存在しています。100年どころか数百年にわたり効果を発揮し続けている社会資本が数多く存在するわけです。このように長期にわたって効果を発揮する施設の便益を4%の社会的割引率で評価することは、どう考えても妥当ではないと言わざるを得ません。その価値が正当に評価されるように、より適切な評価手法を導入する必要があります。
もう一つ見落としてはならない点は、「費用対効果分析の対象となるのは、金銭換算が可能な限定的な項目に過ぎない」という視点です。防災対策には、人命を守るという極めて重要な目的があるにもかかわらず、治水事業においては、人命を守る効果はB/Cではカウントされていません。貨幣価値に換算することが妥当ではない、あるいは換算できない効果も、しっかりと定量的に評価を行い、B/Cだけに偏らない、総合的な事業評価を実施する必要があります。
―一般の公共事業の枠組みだけで判断せず、「防災」という文脈にきちんと沿った考え方が必要ということですね。
複合災害対策と電源確保対策の強化を
―近年、「複合災害」への社会的な注目が急速に高まっています。
池内―複合災害の増加に、強い危機感を抱いています。例えば、2024年9月に多くの犠牲者を出した能登の水害は、「地震と水害の複合災害」の典型例と言えるでしょう。
同年元日に発生した「令和6年能登半島地震」によって、能登では斜面や法面が不安定化し、崩壊しやすい状態になっていました。また、被災した河川堤防や排水施設も復旧途上で、浸水が発生しやすくなっていたのです。
大きな地震災害が発生すると、復旧・復興にはかなりの時間を要します。一方で、地球温暖化に伴う気候変動により、洪水をもたらすような大雨の発生頻度が増加しています。このような状況下で、地震と水害の複合災害のリスクは今後さらに高まると考えられます。
もう一つの事例として、「地震と熱中症の複合災害」が挙げられます。2016年4月に発生した熊本地震では、多くの方が避難所や車中で避難生活を送りました。4月下旬以降、夏日が多く観測されましたが、通風や冷房が不十分な避難所では、避難者の熱中症のリスクが高まりました。温暖化の影響で平均気温は上昇しており、熱中症のリスクも一層高まっていくものと考えられます。
複合災害には数多くの組合せがありますから、全てに対応することは困難ですが、少なくとも「地震と水害」、「地震あるいは水害と熱中症」の組合せに対しては、具体的な対策を講じていく必要があると考えています。
―複合災害にはどう備えればよいでしょうか?
池内―2019年の台風15号では、暴風により停電も起こり、高齢者施設でエアコンが使えず、熱中症の犠牲者が出ました。
避難所の環境も、相変わらず厳しいままです。夏場の熱中症や冬場の寒さによる健康被害など、災害関連死につながるリスクを軽減していくことが、非常に重要です。
―災害時の電源確保は非常に重要な課題ですね。
池内―そのとおりです。人命を守るためには、ハザードへの対策など従来型の被害軽減策に加えて、電源をいかに円滑に確保するかが非常に重要な課題です。人工呼吸器、酸素吸入器、人工透析装置の利用者など、電気の供給が停止すると命の危険にさらされる方々が多くいらっしゃいます。非常用電源設備が設置されている病院でも、電源設備や燃料補給設備が浸水のおそれのある位置に設置されているケースが少なくありません。
近年、カーボンニュートラルの流れの中で、EVや蓄電池などが普及しつつあり、エネルギーの地産地消の動きも活発になってきました。ただ、例えば自動車メーカーが災害発生時に被災地へEVを提供しようとしても、どこに相談すればよいか分からないなど、受け入れ側の態勢が整っていません。災害時における効果的な電源供給のマネジメント体制の構築が急務となっています。
災害対応の系統的記録、犠牲者情報のデータベース化と活用
―災害対応の体制整備のためには、災害時の記録を残していくことも大切ですね。
池内―記録については、二つのことをお話ししたいと思います。
一つは、災害対応の記録の重要性です。災害対応の現場で何が起こったのか、どのような対応が有効だったのか、どのような課題があったのか、そうしたことを率直かつ具体的に記録し、分析・検証することが、次の災害への備えにつながるのです。
しかし実際には、災害対応の詳細な記録が系統的に残されているケースは、ほとんどありません。また、たとえ記録があっても、個人情報保護などを理由に共有されにくいという課題もあります。
米国では、2005年のハリケーン・カトリーナ災害に対する連邦政府の対応について、「LessonsLearned」という報告書がまとめられました。ここには失敗も含めて、災害対応の生々しい記録が掲載されています。このように記録を残すと同時に、それらを分析・検証し、次の災害対応に活用していくシステムの構築が必要であると考えます。
もう一つは、「犠牲者情報のデータベース化と活用」についてです。災害による犠牲者を減らすには、過去の災害で人がなぜ亡くなったのか、その詳細な要因分析を行い、防災対策に反映させることが不可欠です。
2021年に内閣府が発表した「デジタル・防災技術ワーキンググループ社会実装チーム」の提言には、「詳細な要因分析のためには、災害で亡くなった方の情報(年齢、要介護情報、死因等)や被災状況(被災場所、被災時の行動(移動中、自宅滞在中(1階、2階等)等)、当該箇所の浸水深、被災時刻等)の情報等を収集し、データベース化する仕組みの構築を検討すべきである」と明記されています。これは委員としてワーキンググループに参加した私の意見ですが、いまだ実現には至っていません。
―何が実現のボトルネックになっているのですか?
池内―それは、個人情報保護の問題です。本来は個人情報保護法の対象とならない情報でも、過度に心配されて情報の提供や収集をためらってしまうケースが多いと感じています。また、犠牲者の情報を分析して災害対策に生かすことの重要性が十分に認識されていないことも、要因の一つだと思います。しかし、犠牲者の情報を分析して災害対策に生かすことこそが、人の命を救う第一歩なのです。だからこそ、国などが犠牲者に関する情報を収集・蓄積・分析する仕組みを構築すべきだと私は考えます。
災害廃棄物の広域的な処理体制の強化を
―平時に考えておくべき課題として、災害廃棄物対策も大きなテーマであり、様々な議論があります。
池内―大規模災害時の災害廃棄物対策の重要性については以前から指摘されていたものの、具体的な対策が十分ではないという印象を持っています。
大規模災害では、膨大な量の災害廃棄物が発生し、仮置場の不足や分別の混乱、処理施設の能力不足、交通渋滞や住民との摩擦などにより、現場は深刻な事態に直面します。特に、被災地が広範囲に及ぶ場合、単独の市町村や都道府県の体制だけでは対応が追いつかず、災害廃棄物の長期滞留や復旧の遅れといった課題が顕在化します。
こうした事態に備え、今後は国・都道府県・市町村が平時から連携し、計画策定、役割分担、仮置場の事前確保、民間との協定の整備を進めるとともに、都道府県を超える広域的な処理体制を強化することが不可欠です。
―その意味でも、大規模災害時にはオープンスペースの活用が必要になります。その対策についてどうお考えでしょうか。
池内―大規模災害が発生すると、公園や広場、学校の校庭などのオープンスペースは、避難場所、救援物資の集積場所、救助・救援部隊の基地、仮設住宅の設置、災害廃棄物の仮置場など、様々な用途に活用されます。しかし、こうした用途が重なり合うと、現場での混乱が生じやすいです。
さらに、首都直下地震クラスの災害ともなると、公共用地だけでは足りず、民有地を借りることになるでしょう。土地所有者などとの事前の調整ができていなければ、発災直後に迅速な対応をとることは難しくなります。過去には、土地所有者の理解を得られず、仮設道路を通せなかったために、復旧が遅れたという話もあります。平常時から
災害時の多様な使い方を想定し、発災後の時間経過に応じた使い方の基本的なルールをあらかじめ決めておくなどの準備が大切です。
また、災害対応に適した地盤改良や設備の整備、民有地の地権者との調整を進めておくべきでしょう。地域住民との情報共有も不可欠であり、計画的かつ柔軟な活用体制を平常時から築いておくことが、災害時の円滑な対応と早期復旧・復興につながると考えられます。
―学会の建設マネジメント委員会でケースメソッドを集めたときにも、災害時の応急対応で民有地が使えずに困ったという事例をたくさん聞きました。
池内―災害対策基本法には、市町村長は、応急措置を実施するため緊急の必要があるときは、他人の土地、建物を一時使用することができるという規定がありますが、この規定が十分に生かされていない事例が見受けられます。この点についても制度の枠組みを整備すべき時期に来ていると考えます。
先端技術の実装では現場での使い勝手や事業性を重視
―最後に、防災分野における科学技術やDXの推進についてはどうお考えでしょうか。
池内―災害時の情報共有と意思決定の迅速化のために、科学技術とICTの活用は不可欠です。私は内閣府SIP「スマート防災ネットワークの構築」プロジェクトの一つのサブ課題において、社会実装責任者兼研究者として参画しています。
このプロジェクトでは、現実空間とサイバー空間を高度に融合させ、ICTやAIなどを活用した取組を進めているところです。しかし、いくら先進的なシステムを開発しても、現場での使い勝手が良くなければ普及は進みません。特に、災害時にはデータ入力作業に時間を割く余裕がないので、手間をかけずにデータを取り込み、情報共有ができるシステムが必要です。
また、新たな技術を社会実装する上では、事業、制度、社会的受容性、人材などに関する課題もあります。新技術の研究開発と並行して、これらの課題の解決を図っていくことが重要です。
―平常時だからこそできる、しなければならない準備はたくさんありますね。
池内―まずは住民や企業などが災害を「自分ごと」と捉え、住まいや会社の立地している場所の災害リスクを正しく認識して、具体的な備えをしておくこと、また行政や専門家が防災に関する啓発活動を継続的に実施していくことが重要です。電源の確保、災害廃棄物の処理、オープンスペースの確保など、大規模災害時に顕在化が予測されているが、いまだ対応策が十分でない課題については、国が中心となって関係機関と連携し、前倒しで検討を進めていく必要があります。今こそ、それぞれの立場で皆が協力し、災害に対する社会のレジリエンスを強化していくことが求められているのではないでしょうか。

