北海道の東と西を鉄道で結び、拓殖を進めたい。北海道の近代的な開発が始まり1/4世紀を経た明治時代後半、十勝内陸を開発し、あわせて北海道の東西連絡を円滑にすることが求められていましたが、北海道の背骨といわれる日高山脈が交通の妨げとなっていました。
琵琶湖疎水を完成に導き、東京帝国大学工科大学校教授でもあった田邊朔郎は、日高山脈を踏査し現在の狩勝峠を経由する路線を選定しました。建設工事は、花崗岩質の固い岩盤を掘り進むトンネル建設や急な勾配を緩和するための大築堤建設などで難航しましたが、1907(明治40)年に、北海道の東西を鉄路で結ぶ工事が完成しました。
1966(昭和41)年に輸送力増強のため新線に切替りましたが、現在は峠越えの歴史を伝える遺産として、自然の中を歩く道として地元のNPOを中心に保存、活用が進められています。