かつての夕張川は、千歳川と夕張太で合流し、名を江別川と変え石狩川に合流していました。栗山町より下流は勾配が緩く、また川幅も狭いことから、下流域の長沼町、南幌町(当時は村)では毎年のように洪水が発生し、住民を苦しめていました。
1910(明治43)年、後に札幌治水事務所長となった保原元二は、東京帝国大学卒業後北海道庁に奉職し、夕張川の測量、流量等の調査にあたり、1918(大正7)年に夕張川を石狩川に直接合流させる新水路計画を立案しました。1920(大正9)年より事業に着手しましたが、周辺には軟弱地盤である泥炭が広がり、難工事の末、1936(昭和11)年に夕張川新水路は完成しました。
保原元二は、調査開始以来27年をかけ新水路を完成させ、これを機に北海道庁を退職しました。この功績に対し南幌町では、保原元二の胸像と彰徳碑を建立し、7月1日を休日とし治水感謝式を開催しています。長沼町でも長沼神社に保原元二乃碑を建立し、7月2日に水祭りが行なわれています。夕張新水路により、この地域は稲作を中心とした農業地帯に生まれ変わり、現在では夕張シューパロダム等の治水事業も進み、道内のみならず我が国の食糧供給基地としての役割を担っています。