苫小牧港(西港区)は我が国において砂浜海岸に大規模港湾を建設する嚆矢である。
港湾計画: 1951(昭和26)年から苫小牧工業港修築計画調査委員会が設けられ、日本港湾協会副会長の鈴木雅次博士が委員長となって、経済効果を含め、国家的見地から検討されたものが、初期の掘込水路計画で、現西港区の掘込水路計画の基本となっている。
漂砂調査: 1954(昭和29)年から開始した漂砂追跡現地調査において、当時、室蘭開発建設部長だった猪瀬寧雄が放射性追跡法を提案した。その後、原子力平和利用の国際会議において、ラジオアイソトープ砂の平和利用として高い評価を得た。
掘込水路: 1960(昭和35)年から本格的に内陸の掘込みが開始され、勇払地区までの掘込は1976(昭和51)年に完了した。掘込み面積は約 400 万m?、掘削・浚渫した土量は約7,200万?で、用地造成、海岸養浜、沖合投棄などで処分され、うち52%は用地造成に活用された。
東防波堤: 1951(昭和26)年から着工し、主要部はケーソン混成堤で、1967(昭和42)年度に完成。当初、室蘭港でケーソンを製作したが、1956(昭和31)年度から、苫小牧港湾修築事務所長の梅木馨六の考案で、現地砂浜上、簡易斜路方式によりケーソンを製作し据え付けた。
西防波堤: 1958(昭和33)年度から着工し、主要部はケーソン混成堤で、1964(昭和39)年度に完成。ケーソンは簡易斜路方式及び函館ドック室蘭製作所のドックで製作された。
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