標津橋は、北海道標津町の標津川最下流に位置する国道244号に架かる橋で、中央スパン60mのタイドアーチ橋の主径間と単純非合成鈑桁橋の側径間により構成されています。この地域は江戸時代から道東の要衝で、標津橋からは北方領土の国後島を望むことができます。1960(昭和35)年に標津川の洪水により木橋であった旧橋が流出し、1962(昭和37)年、永久橋として本橋が建設されました。
標津橋の最大の特徴は、主径間のタイドアーチ橋のアーチリブにフィーレンデール構造が採用されていることです。フィーレンデール構造はベルギーの土木技術者であるアーサー・フィーレンデールによって考案されたラーメン構造の一種です。主構造全体をフィーレンデール構造にした橋梁は東京の豊海橋(令和4年度選奨土木遺産)や黒部川第二発電所の目黒橋などが知られています。標津橋では、アーチリブの上下弦材と鉛直材が剛結されたフィーレンデール構造になっており、橋梁形式としてはアーチリブ両下端がタイ材で緊結されたタイドアーチ橋です。こうした橋梁形式は、世界的にもほとんど例がみられません。戦後の北海道の橋梁に影響を与えた猪瀬寧雄(元北海道開発局長・北海道開発事務次官)は、1956(昭和31)年にヨーロッパの橋梁を視察し、帰国後に視察先で得た知見をいくつかの北海道の橋梁に適用したと述べており、その一つが標津橋です1)。上部構造は内的に高次不静定橋であり、北海道で初めて大型計算機による解析が行われました2)。アーチリブなど細部の造形も実験に基づくデザインで、橋全体として構造的な合理性から生まれた軽快さがあり、海に面した景観とのバランスの良いデザインになっています3)。また当時、北海道のいくつかの橋で採用されていたプレストレスによる応力調整や、下部構造には軟弱地盤対策として釧路開発建設部管内で初の鋼管杭基礎を採用するなど独自の技術的挑戦がなされました4)。 このように標津橋はユニークな構造の橋であるため、計画・建設時から注目されていました。現在は、「北海道かけ橋カード」に選定され、「まちめぐりマップ」のフットパスに組み込まれるなど、地域のシンボルとして親しまれ、北海道の土木技術の発展に貢献するとともに、道東を代表する橋の一つとなっています。 ※画像をクリックすることで拡大してご覧いただけます。
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